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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第一章【逃亡】
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逃亡者たち2

 生い茂る木々をかき分け、走る。

 と、傍らのシロが不思議そうに疑問を口にした。


「あの木の穴……大変なの?」


 状況が判っているのかいないのか、少女はキョトンとした表情で小首を傾げていた。

 こうやってまともに会話ができるようになっただけでも、少しはマシになったな、とヒューリは思う。

 千年塔を出てからというもの、それまで抑えつけられていた怒りを発散させるかのごとく、ところ構わず少女は暴れ回った。

 正確には、久しぶりの外の空気に興奮しただけなのだが、周囲の人間からするとはた迷惑な話である。

 その都度、善悪を教え、常識を教え、今に至る。

 帝国を出てからまだほんの一月ほどしかたっていないのに、今では遠い昔のことのように感じられる。


「大変です。それはもう最高に大変ですよ」


 どうして、と再びの疑問。

 ヒューリは息を切らせながらも、答えてやることにした。

 こういう積み重ねが、少女の知識に、そして生活そのものになると判っていたから。


「あの巨木は、法気の宿り木なのですよ。人々に身体に法気が流れているのも、世界が法気に満ちているのも、全てはあの木のおかげなのです」


「ホ……ウキ?」


 そこで、ヒューリは自分が失念していたことを知った。

 彼女は物心ついた頃から、監獄に繋がれていた。

 つまり、一般常識とはかけ離れた場所で生活していたのだ。当然、法気の概念など知るはずもない。


「万物に──全ての生命に宿る気を法気といいます。あの巨木は、世界の誕生と共に芽吹き、世を法気で満たした。その後に生まれた人間には皆、この法気が肉体に満ちています。もちろん、シロ。貴女の身体にも流れているんですよ」


「アタシにも?」


 ええ、とヒューリは笑顔で頷いてやった。


「身体に流れる血液と同じように、全ての人間はこの法気と共にあります」


 無論、ヒューリのような常識外れの例外もいる。

 法気は全ての人間が持つ生命力そのものといってもいい。

 だからこそ、法気を持たない人間は《厄種》として忌み嫌われる。


「その大元でもある巨木。それを守るために、人々はかの巨木とその周辺の森を聖域と定め、立ち入ることを禁じたのです」


「じゃあ、あの木がなくなると大変だね。なくなると、どうなるの?」


 シロは、率直な疑問を口にしただけのようだった。

 しかし、それは想像するだけでも恐ろしい。法気が世界から消え、人々からも消えたならば、それはつまり世界の死を──人類の死滅を意味する。


「わかりません。そんなこと、考えたこともないですからね。まあ、今はとにかく逃げましょう。そろそろリベルカさんも暴れ出しそうですしね」


 ヒューリがいうと、すかさずシロに担がれたリベルカが抗議の声を上げる。

 冷静沈着で、馬鹿がつくほど真面目な聖騎士。かつてのその姿と今とを脳裏で比べ、こんな状況なのに思わずヒューリは笑ってしまう。


「なっ!? なぜ笑うのです、ヒューリ・クロフ! さっさと下ろすように言いなさい! シロ! 君もいい加減にしなさい!」


 人形のように物静かな女が、こうも取り乱すとは。

 聖域を出てから、しばらくはリベルカをからかえそうである。

 内心、ほくそ笑むヒューリ。

 そろそろ、出口は近い。


「見えましたよ。シロ、リベルカさんを下ろしてやりなさい」


 いわれるなり、リベルカを放り投げるシロ。

 受け身も取れず、無様に地面と衝突するリベルカ。

 立ち上がり、憎々しげにヒューリを睨む。


「いやあ、いいですねその表情。貴女のそんな顔が見れるなんて。聖域にきたかいも少しはあったというものです」


 満足そうに笑うヒューリ。しかし、直後に顔から表情が消えた。

 怪訝そうにヒューリの視線を追って振り向くリベルカ。その眼前に広がる光景に、彼女は息を呑む。

 軍旗をはためかせた、完全武装の帝国軍が視界を埋め尽くしていた。


「援軍? こんなに?」


 驚きの声を上げるリベルカ。

 安堵し、そのまま駆け出そうとするリベルカ。その腕を無言で掴むヒューリ。

 何を、と声を上げようとするリベルカに、ヒューリは冷たくいい放つ。


「逃げなさい、リベルカ・リインフォード。私が間違っていた。認識が甘かったといわざるを得ない」


 何故、気づかなかったのだろう。

 聖域調査にこの面子。その時点で気づくべきだった。

 いや、最悪の場合、リベルカが護衛についたあの日から、事態は進行していたのかもしれない。だとすると、もはや手遅れ。


「呪術師ヒューリ・クロフ! 及び聖騎士リベルカ・リインフォード!」


 帝国軍の内から、大声が上がる。それを期に割れる軍勢。

 中央を進んできたのは、他より荘厳な装飾の施された甲冑姿の男。

 指揮官らしきその男には、見覚えがあった。というより、この状況を作り出した張本人ともいえる。


「シャルマン・ロゼ……やはり貴方ですか。陛下はこの事態をご存知なのですか?」


 知るはずのないことだ。判ってはいても、ヒューリは問う。

 今はただ、時間を稼ぐ。それしか生き残る道はない。


「黙れ逆賊めが。咎人である貴様に、もはや主君はない」


 ヒューリに調査を命じた重鎮の一人。

 シャルマン・ロゼ。宮廷法術師にして、その長を務める男がそこにいた。


「両名には、万死の罪の脱獄に手を貸した疑いがある。加えて、看守長アレス・ルインオーラの殺害。これらの罪は万死に値する。投降せよ」


 声高々に告げるシャルマン。


「そんな馬鹿なっ!?」


 リベルカは驚愕を声に出す。

 満面を朱に染め、肩は怒りに震えているようだった。


「ロゼ殿! どういうことか説明して頂きたい! 私は陛下の勅命により、ヒューリ・クロフの護衛を任されている。かの者に、そのような事実はない!」


 そうだろう。ヒューリを間近で見てきた彼女だからこそ、身の潔白は証明するまでもない。だが、問題はそこではない。事態はすでに、罪の有無を証明する場を許してはいない。

 リベルカ・リインフォードは実直な騎士である。実直にすぎる、悪くいえば愚かな騎士でもある。

 故に、事態の重さと最悪の状況に理解が追いついていない。

 だからこそ、ヒューリは時間を稼ぐ必要があった。


「なるほど。リベルカさんは貴方にとって、さぞ目障りだったのでしょう。故に、私の護衛に回した。違いますか?」


 ヒューリはシャルマンに向けて、己が推測を告げる。とはいえ、それは確信に近かい。


「逆賊と交わす言葉はない。速やかに投降するか、ここで死ぬかだ。選ばせてもらえるだけ、光栄に思うことだ」


「逆賊は貴方でしょう? 随分と用意周到なことですね。さすがは宮廷法術師。頭の出来が違うようだ」


 挑発的に笑ってみせるヒューリ。

 もはや問答は無用と悟ったのか、シャルマンは視線をリベルカに移す。


「リベルカ・リインフォード。貴殿も騎士なら、祖国のために剣を捨てよ。そして、その二人をただちに捉えることだ。さすれば、弁明の機会くらいはくれてやろう」


 リベルカはきつくシャルマンを睨み据え、続いて背後を振り返る。ヒューリを見、続いてシロに視線を向けた。

 ゆっくりと深く息を吸い込み、続いてそれを外へと吐き出した。

 そして、再び前を向く。


「くだらない。謂れのない罪で剣を捨てる必要がどこにある。弁明の機会? それも必要ない。そもそも、私たちは罪を犯してなどいない」


 静かに告げ、リベルカは腰の柄に手を添える。

 瞬間、色めき立つ軍勢。


「正気か? この軍勢を前に何ができる? いくら聖騎士といえでも、一人の力には限界がある。悪いことはいわん。投降しろ」


 シャルマンの最後通告。

 答える代わりに、リベルカは長剣を引き抜いた。


「貴殿こそ気は確かか? その程度の数で私を止めるに足ると、本気でそう思うのか。あまり私を舐めないほうがいい」


 期は熟した。

 すでに、ヒューリは準備を終えていた。


「リベルカさん、もう一度いいます。逃げなさい。出来るだけ遠くに。可能なら、南部がいい。あそこなら、追手から逃れることも容易なはずです」


 小さくそういったヒューリ。

 答えようとしたリベルカの背中で、今度は大声が上がった。


「シャルマン・ロゼ! 喜びなさい! 呪術の真髄を貴方に見せて差し上げよう!」


 予め、帝国内に張り巡らせていた呪詛の糸。

 それを今、手繰り寄せる。

 ──呪をもって喚する。喚ぶは縛。


「なっ!? か、身体が」


「動かないぞ! どうなってる!?」


「なんだ! なんだこれ!」


 軍勢の中から次々と戸惑いの声が飛び出す。


「おのれ《厄種》めが。何をしたッ!」


 激昂するシャルマンに、ヒューリは冷めた笑みで答える。


「《呪縛の陣》。指定した人間全てを縛る《呪縛》ですよ」


 無論、万能ではない。

 予め流し込んでいた呪詛を《呪喚》によって喚び起こす二重の呪術である。

 切り札は切った。後は、


「走れ! リベルカさん! シロ!」


 シロは素早く動き出す。

 軍勢の脇を抜け、そのまま駆けていく。

 一方、自身も駆け出そうとしていたリベルカはしかし、ヒューリに向き直り、声を張り上げる。


「貴方も早く!」


「先にいってください! 私にはまだやり残したことがある!」


 そんなものなど、何もない。

 強いていうならば、皇帝陛下の安否が気がかりだった。

 何かにつけて、自分に便宜を図ってくれたあの、気弱なくせに大胆な君主が心配だった。

 軍勢をかき分けて消えていくリベルカの背中。それを確認し、ヒューリはシャルマンと視線をぶつける。


「さて、お話でもしましょうか、シャルマン・ロゼ。時間はたっぷりとありますしね」


「おのれっ! 術が解けたその瞬間こそ、貴様の最期だ《厄種》。この世に生まれ落ちた間違いを正してくれるわ」


 最期。

 これがそうなら、悪くはない。

 慌てふためくリベルカ、という珍しいものも拝めた。白死病にも、シロという希望がある。それを、自分自身の手で活かすことができないのは残念だが。

 ただ、誰かがこの男を討ってくれることだけは祈っておこう。

 本当なら自分の役目だが、もはやヒューリにその力はない。





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