追憶の獅子
師は、変人で有名だった。
どこぞの汚らしい子供を拾ってきては、名を与え、剣を取らせ、生きる術を教えた。
帝国に流民受け入れの法はない。流れ着いたところで、職はなく、飢餓に喘ぎ枯れ果てるか、賊の凶刃に消える。死はまだ救いがあるほうで、運がなければ、死ぬまで奴隷として飼い潰される。
故に、師に拾われた子供は実に幸運だった。
師は例外なく、拾ってきた子供に名を与えたのだ。それも、己の家名を。
曲がりなりにも貴族である手前、周囲の人間は師を陰で笑い者にした。武功だけで貴族にまでのし上がった男である。それだけに、周囲は彼の存在そのものを以前から快く思ってはいなかった。
だが、オーネスにはどうでもいいことだった。
知っていたのだ。誰よりも、師の人となりを。
武門の名家であるグラリエス。その家名を背負うオーネスは、剣において、もっとも才に見放された男であった。なまじ体格が良いだけに、嘲笑の的としては狙いを定め易く、常に侮蔑と嘲りの刃に晒されていた。
そんな地獄からオーネスを救い上げたのが、当時まだ小隊の長でしかなかった師であった。
「技術など、どうでもいいことだ。お前はお前の剣であればよい」
その言葉がオーネスを地獄から引き上げた。
答えが見つからないなら、ただ己の背中だけを見ていろ、と。
その日から、オーネスは彼の弟子となった。
愚痴一つ漏らさず、ただ師の言葉に従い、その大きな背中を追い続けてきた。
が、今回ばかりは、首を傾げざるを得ない。
「師よ、それは一体なんなのです」
思わず口を突いて出た言葉に、師は何を馬鹿な、とでも言いたげに目を丸くした。
「見てわからんか。新しい子だ。お前の弟弟子となる」
それはわかる。師が子供を拾ってくることは今に始まったことではないし、弟弟子とて今日で五人目である。
問題は、その様子だった。
陽に焼けた少年だった。北に多い赤毛に、黒瞳。線は細く、背も低い。まだ十を超えたばかりだろう。
北からの流民、ということなら珍しくはない。ただ、様子がおかしい。
その少年は、あろうことか猿ぐつわを噛まされ、両手は後ろ手に縛られ、足まで縛られていた。
まるで罪人である。
「師よ。とても友好的な輩には見えませぬ」
拘束されてなお、少年の瞳の奥に諦観はなく、それどころか虎視眈々とこちらの隙を窺う獰猛な光に満ち満ちていた。
「少しばかりわんぱくな小僧でな。なに、一月もすれば慣れるとも。ではオーネス、任せたぞ」
いとも容易くそう云ってのける師に、今回ばかりは、さしものオーネスも声を上げずにはいられなかった。
「お、お待ちを。我輩が、でありますか? 我輩、いまだ人を教え導く術を心得てはおりませぬ」
慌てて抗議の声を上げるも、そこでしまった、と己の失言に気づく。
「ふぐぉ!」
案の定、脳天に衝撃。
見れば、拳を握り、こちらを睨む師の顔があった。鬼の形相である。
「黙って従え。馬鹿者が」
「しょ、承知」
威圧を孕んだ師の声音に、項垂れるオーネス。
そこへ再び、師の声がかかった。先よりも、幾分か柔い声音で、
「オーネスよ。お前の目指す剣は」
「護る剣であります。祖国とその民すべてを」
いつもの問いに、いつもの答え。
それを聞き、よろしい、と師は満足げに笑う。
「では、見事護ってみせよ。まずは、そこの小僧をな」
言い終えるなり、颯爽と練兵場を出ていく師の背中を見送りつつ、オーネスは頭を抱えたい思いであった。
ちらり、と傍らの少年に目を向ける。相も変わらず、敵意剥き出しの視線とぶつかった。
諦観の念をため息と共に外へ押しやり、少年の猿ぐつわを外してやる。
途端、
「おい、デカブツ」
とこの有様である。
「デカブツではない。オーネス・グラリエスである。小僧、名は」
「……ヴァン」
名乗っただけ。ただそれだけのことに、オーネスは笑みを浮かべた。
それは、小さいけれど、確かな一歩だと、そう感じていたから。
「うむ。ではこれからは、ヴァン・マクスウェルと名乗るがいい。今日よりお前は、偉大なる剣豪、ガイウス・マクスウェルの子である」
オーネスの日常は、途端に慌ただしくなった。
師は山犬じみたヴァンを預けたっきり姿を見せることはなく、稽古の機会も消えた。ヴァンを鍛える傍ら、折を見て己自身を鍛える毎日。が、そもそもが問題児であるヴァンについていれば、厄介事など、それこそ山のように転がり込んでくる。精神統一など、夢のまた夢。
今日も今日とて、オーネスの元には、厄介事。
「オーネス! あれを何とかしろ!」
肩で息をしながら、練兵場に転がり込んでくるなり、声を荒げる男。
見れば、案の定。いつものごとく、顔中に引っかき傷のようなものが窺える。というより、いつもより酷い。よほど、あの小僧の癪に障ったのだろう。
「警備隊長殿、いつも申し訳ございませぬ」
「バカ、謝罪はいい。それより、今度ばかりは庇い切れんぞ。とにかく、来てくれ。事のあらましは道中で」
ヴァンを預かってから、半月。
とんでもない厄介事を起こしてくれた日だった。
ヴァンの行動は元より、相手が悪すぎたのである。
──ゼル・ドーラム。帝都守護の任につく大貴族にして、聖騎士。歯向かう者は容赦なく灰にするという苛烈な男であった。
「と、とんでもないことを……」
震える声でつぶやくオーネスに、警備隊長の怒号が飛ぶ。
「なにビビってやがる! 旦那に任されたんだろ? 意地でも護れ!」
護る。脳裏に、師の言葉がこだまする。
──護ってみせよ。まずは、そこの小僧をな。
オーネスは師の言葉だけを頼りに、帝都を駆けた。
現場に来てみれば、すぐに赤銅色の髪が目に入った。
周囲には人だかりが出来ており、ただ事ではないことを物語るように、ざわめきに包まれている。
ヴァンの小柄な背中。オーネスに向けられたその背の陰に、幼い少女の姿があった。顔を青くし、がたがたと歯の根を鳴らす音が、距離のあるオーネスにでさえ聞こえてきそうなほどに、少女は怯えきっているようだった。
ヴァンの前方、彼と対峙し、冷ややかな視線を浮かべる男。
否でも、状況がわかってしまった。
「そこを退け。次はない」
抑揚のない平坦な声で告げる、ゼル・ドーラムと思しき男。
しかし、小柄な背中はひるまない。
「てめえこそさっさと消えろ。次はねえぞ」
そのあまりな言い草に、オーネスは表情を歪めた。
よくある話だ。その日、偶然、その場を通りかかった大貴族。間の悪いことに、その眼前を横切った少女。手には、蜂蜜を塗った菓子。
貴族の眼前を横切るだけでも、相手によってはその場で斬り捨てられる。にもかかわらず、少女は相手の服を汚してしまった。その後に待っているであろう結末は、想像に難くない。
「勇ましいな。だが、私はその少女に用がある。わかるな?」
それが最期だった。
ヴァンが鼻を鳴らすと同時に、大気が爆ぜた。




