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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第四章【古き王】
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死都8

 ヒューリは動けなかった。

 クレハに肉薄し、猛威を振るうオーネス。幾度となく、一方的に打ち据えられ、口から血を吐く少女を見ていながら。

 命の灯火が消える寸前まで、その一部始終を見ていながら。

 何も、出来ないでいた。

 彼の呪術は、そのことごとくが正体不明の力に弾き反された。ならば身体でと動こうにも、あの間に割って入って果たしてどうなるというのか。

 もはや、ここまで。

 ヒューリが諦めかけたその時、首をしめつけられたクレハの唇が小さく動いた。言葉を聞いたわけではない。しかし、その言葉が尋常ならざる力を持っていたことだけは、はっきりとわかった。

 空間が軋む。クレハを中心とした周囲の空間が、陽炎のように揺らめいていた。


「──っ!」


 異常を肌で感じ取ったのか、オーネスはクレハから手を離し、即座に距離を取る。その間にも、空間は歪み、ねじれ、クレハという存在を歪ませていく。


「クレハさん!」


 叫ぶヒューリ。その声に反応するかのごとく、空間が裂けた。

 裂け目へ、クレハの小柄な体躯が吸い込まれる。と同時に、大きく弾けた。


「……ふぅ。まさか、ここへきて保険とはね。今度は何をぶん取られるのか。ひやひやもんだな、まったく」


 不満げにぶつくさと口にしながら、クレハと入れ替わるようにして、男が現れた。

 若い男だ。右手に抜き身の剣を携え、赤銅色の長髪をかきあげる男。ヒューリに、見覚えはない。ただ、途方もない威圧感が、その男から発せられている。どこか懐かしい、あの人と同じような、絶対的強者のそれ。


「……な、なぜだ。貴様は西部にいるはずだ」


 オーネスの声が、震えていた。あの獅子が、獅子たる矜持を忘れてしまったのか、見るからに動揺していた。

 オーネスの問いに、男はおや、とでも言いたげに片眉を上げた。


「は? おいおい、まさかアンタかよ。姉妹の敵がまさかの獅子ってなあ、驚きだぜ。弱いものいじめはよくねえなあ、オーネスのおっさん」


「ここで何をしている、セロオン・ヴァン・クリスティオン」


 オーネスの声に威圧の色がにじむ。

 瞬間、男の顔が激しく歪んだ。


「その名は捨てた。欲しけりゃくれてやるよ、獅子。二度とそれを口にするんじゃねえ」


「ふん。ならばその手にあるものは何だ、《天聖》。聖騎士の頂にありながら、その名と責を捨てた貴様がなぜ、今もなお剣を手にしている」


 どこか蔑むような声音でセロオンとやらを睨むオーネス。

 セロオンは顔をしかめたまま、無言で剣尖をオーネスへ向けた。


「……どういうつもりだ。我輩へ剣を向けるということは、祖国を捨てるのと同義であるぞ」


 唸るオーネスに、セロオンの口角がつり上がる。


「悪いが、そういう契約でね。それに、今はアンタの相手をしてる時間も惜しい。とっとと剣をとりやがれ」


 向けられた戦意に、オーネスはセロオンを見据えつつ、ゆっくりと後退していく。視線はそのままに、腰を落とし、足元の剣を拾った。正眼に構え、踏み出される一歩。


「ああ、悪いがこずるいのは無しだ」


 対するセロオンが言った──瞬間。

 オーネスの表情が変わった。目を見開き、唇をわななかせるその様に、獅子たる威風はとうにない。まるで、理解できない恐怖を前に小さく震える子犬のようですらあった。


「貴様、何をした……我輩に一体何をしたっ!」


 うろたえ、激昂するオーネス。 

 そんな獅子の無様をセロオンはせせら笑った。


「俺の体質を忘れたかよ。正々堂々、剣で勝負といこうや。昔みたいによ」


「くっ。化物め」


 呻くオーネスに視線を向けたまま、ふと思い出したように、セロオンは、


「ヒューリ・クロフ」


 とヒューリの名を呼んだ。

 答えるより先に、セロオンは続ける。


「ここは任せて、お前は行け」


 どこに、とすら聞けなかった。

 突如、ヒューリの全身を生暖かい何かが包んだ。かと思えば、強烈な耳鳴りと共に、意識は奈落へ。







 空間に亀裂が走る。蜘蛛の巣がごとく、幾筋にもわたってひび割れていく景色。その中心へ、呪術師と女剣士が吸い込まれていく。

 オーネスは、ただ呆然と彼らを見送った。

 空間転移。高位術式──それも太古に消失したとされる幻の術である。

 

「……セロオン。貴様、何を捨てたのだ」


「ん? 何の話だおっさん」


 肩に剣を担ぎ、怪訝そうに首を傾げてみせるセロオン。

 その仕草の、何と白々しいことか。


「とぼけるでない。いくら貴様とて、太古の術をそう易々と扱えるはずがなかろう。代償を払ったはずだ」


 途端、セロオンの顔から笑みが消えた。

 無言の肯定。

 かつての友の犯したであろう過ちに、オーネスは満面を苦渋に染めた。


「愚かな。誇りまで捨てたか」


「黙れ」


 低く、底冷えのする声音が、オーネスの耳朶を打つ。

 

「西部で何が起きているのか、アンタは知らない」


 だから、そんなことが口にできる。そうとでも言いたげなセロオンの言葉。しかし、彼のそんな姿がより一層、オーネスには哀れに思えた。

 かつての彼なら、負けはしなかった。 

 いかな障害も、不幸も不条理も、彼は乗り越えてみせた。だからこそ、彼は《天聖》だった。

 そんな彼が、屈している。諦めている。


「契約と、そういったな」


 セロオンは答えない。

 だが、答えなど分かり切っていた。

 高等術式。契約。保険。姉妹。全ては、一つへ。


「魔女と契ったか、ヴァン」


 瞬間、セロオンの瞳に激情が揺らめいた。

 殺意の風となり、オーネスに突貫する。

 さすがに速い。息つく間もなく間合いを詰められる。上段から唸りを上げて迫るセロオンの剣を視界に捉え、すかさず受けの姿勢に入るオーネス。

 が、手応えはない。刃と刃が触れるも、その感触はなく、また音もない。訝るオーネスの眼前で、セロオンの剣が、受けに入ったオーネスの剣を透過した。

 驚嘆する暇もなく、咄嗟に身を翻す。透過してきた刃を寸でのところでかわし、反撃。両手に握った剣を、渾身の力で水平に一閃。しかし、届かない。セロオンの構えた剣に接触するなり、込められた力は霧散し、剣の軌道はあらぬ方向へとそらされる。


「相変わらず奇怪な剣を使う」


「はっ。アンタも相変わらずだなあオイ」  


 返す言葉の代わりに、オーネスは頭上に剣を振りかぶった。

 全力の一撃。が、


「わかりやすすぎんだよ!」


 セロオンの姿が霞む。

 オーネスの剣は虚しく空を切り、地に激突。直後、全身を撫でる悪寒。

 咄嗟に右手を剣から放し、腕を己が首へと巻き付けるように、急所を隠す。

 鮮血が舞う。たまらず、膝を折った。

 全身のいたるところに、裂傷が刻まれていた。《天聖》の得意とする連閃。相手を刹那の間に小間切れにする刃の嵐。

 刃の嵐が止めば、いつの間にか距離をとっていたセロオンが、冷めた表情で傷だらけのオーネスを見下ろしていた。


「相変わらず真っ直ぐな剣だ。とことん、戦争屋にゃあ向いてねえ」


「ぐ、愚弄する、な」


 我輩を愚弄するな。

 その眼で見るな。

 弱者だと笑うな。

 

「我輩を……」


 立ち上がろうと脚に力を込める。が、それを虚しい足掻きだと嘲笑うかのように、傷口が開いた。


「立つな。命はとらん。昔のよしみだ。契約分だけでいい」


「何故だ、ヴァン」


 訊かずにはいられなかった。 

 

「え、英雄に、お前こそ、我輩の……」


 友であり、弟であり、越えるべき壁であった。

 そして──



 




 












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