死都6
「……それが、あの子ってわけ?」
肩を震わせ、呟くように問うシシカ。
それが誰を指しているのか。言葉にせずとも、ヒューリにはわかる。
暗く湿った地の底。鎖に繋がれ、それでもなお生きる活力を持っていた力強い瞳。
「僕の想像通りなら、あの子は僕の罪そのものだ。僕が生んだ、罪の結晶だよ」
呪術師ヒューリ・クロフの最大にして最悪の禁忌。実現するはずのなかった成果が、およそ最悪の形でヒューリの眼前に現れた。
救わねばならない。いや、これは救済ではなく、贖罪だ。
「話はそこまでだよ。ったく、上手く誘導されちまった」
合流するなり二人の会話を断ち切ったのは、桜色の髪の少女。
「クレハさん……やはり、誘導ですか」
誘導──それはつまり、この場所に誘き寄せられたということ。南部の手の平返しには、驚く他なかったが、ヒューリにはかすかな確信があった。彼らが、何故こちらを攻め立てるのか。
簡単なことだ。彼等にとって、敵はヒューリたちだけではない。二つの敵がたがいに潰しあってくれる。そんな状況が成るのであれば。
ヒューリが憶測を口にしようとするも、答えは先にやってきた。
「そういうことか……最悪ね」
近づいてくる地響きに、シシカは険しい表情で得物を構える。
「呪術師。まだ使えるのかい? さっきのえげつないの」
「残念ながら。日に一度が限界です」
さして期待もしていなかったのか、ヒューリの答えにやっぱりね、と嘆息するクレハ。
「参りましたね」
もはや、猶予はない。
逃げる選択肢はなく、戦うには多勢に無勢。
敵は、帝国全土にその武勇を轟かせる最強の軍勢。
「ようやくだな、呪術師」
地響きの中、先頭を切って現れたのは、獅子を模した冑。軍馬の上からヒューリたちを見下ろし、告げるなり腰から剣を抜き放つ。
帝国最強の男。三人の内、ただ一人だけを敵と定めるように、その剣尖がヒューリに向けられる。
「お久しぶりです。オーネス・グラリエス殿」
「この時を待っていたぞ、呪術師。我輩の愛弟子をたぶらかした罪、まさに万死よ」
瞬間。
全身から立ち上った激情が、ヒューリを正面から撃ち抜いた。それは怒気にして、殺意。
強烈なまでの殺意の奔流に、目がくらみそうになる。足は震え、胸は圧迫される。呼気はないに等しく、息苦しさで吐き気がせりあがってくる。
「話し合いで解決、というのはどうでしょう?」
「ほざくな、若造。事はすでに、問答の許される域を越えておろうが」
吐き捨て、馬上から飛び降りるオーネス。
再び剣を構える獅子。静かに滲み出る殺気を前に、しかしヒューリは動けない。動けば、即座に斬り捨てられる。かの獅子が世に響かせる武技。それと間近に接したことはない。だが、対峙した今だからこそわかる。
眼前にあるのは、人ではない。逃れ得ること叶わぬ死だ。
「自らは仕掛けぬと? 臆したか、呪術師」
オーネスの身体がわずかに揺れる。その片足が、ゆっくりと地を滑った。
刹那。獅子の兜が、すぐそこにあった。
死を連想したその瞬間。
ヒューリの眼前に躍り出る影があった。影は、ヒューリとオーネスの間に割って入り、すかさず抜刀する。常人にはまるで反応できない速度で打ち出される一撃。が、オーネスは半歩身を引くことで、悠々とこれをかわしてのける。
「ほお。よいな、貴様。女の身でありながら、実によい。名を告げよ」
「シシカ・レキ。悪いけど、一騎討ちなんてしないから。卑怯だなんて云わないわよね?」
「レキ家の者か。よい、実によい。こうも早く雪辱を晴らす機会に恵まれるとはな」
挑発的な笑みを返すシシカに、オーネスが楽しげな声で告げる。
彼女の黒瞳が、ちらり、と肩越しにヒューリに向けられた。視線のみでその意図を察知し、ヒューリは即座に後退する。そのまま位置を修正し、オーネスを視界に捉えた。
指先を向ける。
──オーネスはすでに踏み込んでいた。
振り上げた巨剣が頭上に登ったまま、ぴたりと制止する。
「呪縛か……相変わらず小癪よ」
ヒューリの呪縛。
忌々しげに唸るオーネス。動きを止めた相手に機を視たシシカは、すかさず踏み込んでいた。一歩。僅かなその一歩が、恐ろしく速い。
一撃。それで決着。
──そのはずだった。
「その上に、愚か」
オーネスが呟くのと、シシカの刀が半ばから叩き折られたのは、ほぼ同時だった。横凪ぎに振るわれた快速の一撃は、それを上回る速度の剣撃によって、真上から叩き潰されていた。
「な、んで?」
驚愕にうめきながら、シシカは膝をつく。その後を追うように、鮮血が散った。
「シシカっ!」
ヒューリはすでに新たな呪縛をオーネスに向けていた。が、オーネスは止まらない。再び巨剣を振り上げ、
「惜しいな、女。剣ではなく、花に寄り添うべきであったな」
心底、残念そうに。獅子の口から告げられたそれは、別離の言葉。死を持って、己が敵との別れとする。そこに、女だからという甘さはない。
呪縛を中断し、ヒューリは駆ける。
術が駄目なら、この身で止める。
「──あーはいはい。そこまでね」
場違いなほどの能天気な声に、思わずヒューリは足を止めていた。
声の主へと視線を向ければ、そこには、
「小娘。いったい何の真似だ」
オーネスの怪訝な声を耳にしながら、それでもヒューリは思った。目の前の光景に対する感想が、それだけなのか、と。
「ちっとばかし時間がかかっちまった。まあでも、これで終わりだよ」
桜色の髪の少女。
祈るように両手を組んだ少女。その小柄な体躯が、宙に浮いていた。
「しっかりしなよ、呪術師。情けないよ? 女に助けられるなんて」
冗談ではない。何が女だ。もはや、人間かどうかすら、怪しいものだ。
ただ、にやついたその顔が、今はなによりも頼もしい。




