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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第四章【古き王】
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死都5

 

 迫る白刃が鼻先でぴたり、とその動きを止める。剣を振り下ろす途中の姿勢で固まった兵士をさえぎるように、桜色の髪が踊り出た。

 動きを止められてなお、力ずくで動こうと歯を剥く兵士の脇腹へ、右の拳が叩き込まれる。

 突き刺さった拳を包み込むように、兵士の身体が折れると、腕にからみついてきた兵士の身体をひょい、とその場に捨てる少女。

 少女は振り返り、にやり、と口元を歪めてみせた。


「おやおやぁ? 男のくせに恥ずかしいね? 女に助けられてさ」


 助けられた当の本人であるヒューリの眼前には、にやけ面でしてやったり、とでもいいたげなクレハ。


「恥ずかしい? 冗談でしょう? 甲冑を着た大の男を素手で吹き飛ばす少女ですよ? 恥ずかしさよりも恐怖を覚えます」


「素直に礼も言えないのかい? 呪術師ってのはさ」


 ふん、と鼻を鳴らし、眉根を寄せて不快感をあらわにするクレハ。二の句を継ごうとするヒューリを置き去りに、次の標的を求めて敵の群へと飛び込んでいった。

 南部軍の包囲は完成しつつある。ご丁寧なことに、ある一点のみ、あえて包囲が緩められていた。こちらを誘い込む腹積もりなのだろう。さあこっちですよ、といわんばかりの見え見えの誘導。ある一点を除けば完璧な包囲網であるだけに、より稚拙さが目立つ。

 誘導先は、北。

 南部はどうあっても、ヒューリたちを帝国に差し出したいらしい。国内から追い出すばかりか、他国への逃亡すら許さぬ徹底ぶりである。かといって包囲を破るほどの戦力はない。

 ヒューリ自身はただの呪術師でしかなく、本来なら彼の居場所は戦場ではなく研究室である。縦横無尽に駆け抜けるクレハとて、疲労の色は濃いようで、徐々に動きが鈍くなってきている。説得に向かったシシカが戻ってくる気配もない。


「……お手上げですね」


 誰にでもなく呟くヒューリ。

 言葉通り、お手上げだった。それでも、どうにかこの状況を打破しようと思考を巡らせる。敵を牽制しつつ、逃走経路を確保。その上、どこに消えたかも解らないシシカを探し出さなくてはならない。

 もっとも避けなくてはならないのは、全員がばらばらに分断され、各個撃破されること。クレハは分断の危険性を理解しているのか、戦場を駆け抜けながらも、決してヒューリの視界から外れようとしない。ヒューリとの距離を常に一定に保っている。

 クレハは大丈夫だろう。問題は──


「ユウリ……《呪血》を。包囲を抜ける」


 ついさっきまで探し出そうとしていた女が、ヒューリの眼前に躍り出た。南部兵で埋め尽くされた壁を一瞬で切り崩し、刀についた血糊を振り落とすと、鋭い眼差しで周囲を警戒する。

 シシカの口にした術の名に、ヒューリは顔をしかめた。


「……禁呪を使えと?」


「躊躇っている時間はない。それに──」


 言いながら近づいてきた敵を一刀の元に切り伏せ、ヒューリがひた隠しにしている事実を静かに口にする。


「罪悪感なんて今さらでしょう? 今の貴方には」


 シシカに表情はない。

 ただ、途方もなく沈んだ声だった。

 彼女には、見えている。ヒューリの犯した罪が。幾重にも積み重なった骸の山が。いまこの瞬間も、はっきりと見えているのだ。


「……シシカ。僕は」


「──やめて。聞きたくない。どうせあの女のためでしょう? それに、今はこの状況をなんとかしないとね」


 話は終わり、とばかりにシシカは敵の群れへと戻っていく。

 彼女はどこまで見えているのだろう。ヒューリの背負った咎のみならず、術師としての本質まで見透かされているのだろうか。

 だとすれば、彼女はきっと、失望している。もう、あの頃のヒューリはいない。ユウリ・レキとして生きた少年はもう、この世のどこにもいはしない。

 ヒューリは術の準備に入った。

 呪術の禁忌。標的に確実なる死をもたらす術。

 大がかりな術だ。本来であれば、まず相手の名を知り、真名に呪詛を刻んで魂を縛る。《呪血》の術は魂を死という名の鎖で縛る。

 が、ヒューリは標的の名を必要としない。

 それはヒューリ・クロフの奥の手であり、呪術師としての禁忌。

 呪血という禁忌に、禁忌の上塗り。

 もはや、堕ちるところまで堕ちた。

 奥の手もシシカは見抜いたのだろう。ヒューリなら可能だと。

 ──呪をもって喚する。

 呪喚によって、ヒューリは己が罪を解き放つ。

 ──喚ぶは印。

 己が身の内で永遠の苦しみにもがく魂を。

 ──印をもって結とする。

 死人の魂を縛る呪印を今、呪詛へと代える。

 ──《転の呪印》。

 溢れ出さんばかりの呪詛を転換。陣の呪術へ。

 ──《呪血の陣》。


「ぐはっ」


 眼前に躍り出た南部兵が、血反吐を吐いた。

 一人だけでなく、兵士たちは次々とその場に倒れていく。全身を小刻みに痙攣させ、口許から広がる血の海に沈む南部兵たち。

 呪血。流れる血を毒へと変える禁忌呪術。

 白眼を向いて息絶える遺体。それらがいくつも、山のように転がっている。つい先ほどまで息をしていたのが嘘のようだった。ともすれば、本当はすでに息はなく、死体が動いていたかのような錯覚に襲われる。

 命を繋ぐ糸が切り落とされた。ヒューリの手によって。

 酷く呆気なく、抵抗する時間すら与えず、その命に終わりを刻んだ。


「……終わったわね」


 ヒューリの側まできて、シシカは刀を納めた。

 返り血だろう。凝固した血液が、シシカの全身を黒く染めている。顔にこべりついた血を袖で拭い、シシカは表情を和らげた。警戒を解いたのだ。


「お疲れさま。それで? まず何から訊けばいいのかしら」


 問われ、ヒューリは瀕死のシシカを発見してから、これまでのことを語った。

 クレハに治療させたこと。謎の女に救われたこと。そして──


「つまり、なに? 王都を目の前にして、突然クルセニスの軍に囲まれたと?」


 ヒューリは首肯する。

 目を覚まさないシシカを背負い、王都で適切な治療を受けさせ、手がかりを探すつもりだった。幸いなことに、クレハは元“蛇”。それも幹部だという。

 王都の資料を漁り、クレハの知恵を借りれば、何かしらの手がかりは掴めるだろうと思っていた。

 それがどういうわけか、何の前触れもなく完全武装の正規兵に包囲され、抵抗すれば殺すときた。


「なら、さっさと戻った方がいいわね」


「戻る?」


 当たり前のように告げるシシカに、しかし、どこへとは訊けなかった。

 訊くまでもない。


「わかっているでしょう、ユウリ。帝国にはもう、戻れない。おまけに南部もこの通り。貴方の旅は終わったのよ」


「僕は戻らない。戻るわけにはいかない」


 彼女を救うために、故郷を飛び出した。

 先の見えない暗闇の中をかき分け、ようやく、一筋の光が見えたのだ。ここにきて、諦めるわけにはいかない。


「僕は──」


「いい加減にしてよっ!」


 シシカの鋭い声に、いいかけた言葉を飲み込んだ。


「今、自分がどうなってるのか、貴方わかってるの? 普通じゃないのよ? ヒサキさんに診てもらっても治るかわかんないんだよ!?」


 瞳いっぱいに涙をためて、シシカは声を張り上げる。

 きつく鋭い眼光を真っ正面から受け止め、ヒューリは静かに告げた。


「……シシカ。自分のことは自分がいちばんよく知っているよ」


 柔らかく、出来るだけ優しく、ヒューリは告げる。


「僕はもう長くない。だから……せめて、彼女を救う材料だけでも揃えておきたいんだ」






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