死都3
「さて。それじゃあ行きましょうか」
口許に笑みを浮かべた女が右手を差し出してきた。改めて見ると、美しい女である。軍服から帝国軍人であることは確かだが、リベルカと違って、妖艶さと気品に満ちている。女としては確実に勝負にならない。
髪への手入れも行き届いているようで、紫色の髪には確かな艶がある。血と汗にまみれても、水をぶっかけただけで終わらせてしまう自分とは大違いである。
赤い双眸は血液のそれを彷彿とさせるものの、不思議と嫌な感じはしない。
「継承を終えているようね。なら、まずはそこからか」
いい終えるなり、右手を捕まれる。どこへ、と問う間もなく、視界から色が消えた。そして、二度目の漆黒が訪れる。
あの護衛の用いた術と同種のものだろう。相変わらず視界は黒一色で、前方はおろか足下さえまるで見えない。方向感覚などまるで機能しないその空間で、女はしかし、確かな足取りでどんどん進んでいく。
「あ。そうそう、これ行き道と同じなのよ。早い話、残っていた道を無理やり繋げただけなんだけど……」
ふと、女がそんなことを口にした。気になることでもあるのか。何やら言いにくそうに、その先を答えあぐねているようだった。
リベルカに法術の才はない。いくつかの知識はあるものの、それも教本レベル。そんなリベルカに、彼女の話を理解するなど到底無理な話だ。
ただ、言葉の先を促す他ない。
「それがなにか?」
「いやね、 出口にね、気配があるの。私がとってもキライな奴の気配が」
その言葉で合点がいった。あの護衛とこの空間に来た時、リベルカは戦闘中だった。というより、殺される寸前で逃げるようにこの空間に放り込まれたのだ。
つまり──
「……ジル・ドーラム」
呟くと、女は盛大なため息と共に、歩く速度を早めた。
「貴女は下がっていてね。あいつが相手じゃ守れないから」
それはつまり、足手まといだということか。
この女の正体は解らない。目的も明かされていないし、なによりあの少年の顔見知りである。ろくな人間ではないだろう。しかし、ジル・ドーラムについてなら、リベルカもよく知っている。
女の口振りから察するに“紅蓮”ですらも顔見知りなのだろう。だが、その実力までは知らないはず。なにより、同じ聖騎士である自分を簡単にあしらうほどの実力なのだ。この女一人で相手にできるとは思えない。
リベルカの懸念は、自然と口に出た。
「一人では危険です。こんな私でも、帝国の聖騎士です。足手まといにはならない」
「知ってるわよ“疾風”さん。でも、邪魔なの。手加減できないからね」
「私はっ──」
食い下がろうとしたリベルカの右手が、ぎゅっと握られる。その力強さに、思わず言葉を飲み込んだ。
「ワガママいわないで。守ると決めた相手を自分の手で殺すなんて、そんな馬鹿みたいな話……ないでしょう?」
リベルカはそれ以上、何もいわなかった。命を救われている以上、説得力などない。ジル・ドーラムとの戦闘に、勝手に乱入させてもらうとしよう。
それで二対一。女の実力は未知数だが、勝算はあるように思えた。
「はあ。うんざりするわね、ホント」
疲れたように女がいった瞬間。
リベルカの視界に、色がよみがえる。
「──驚いたな。隠蔽術の次は“死神”のおでましか」
欠片も驚いた様子のない“紅蓮”が、リベルカと女を見て剣を構える。どうやら、彼にとってこの女は構えるに価する敵らしい。
悔しさに顔を歪めるリベルカ。そして、ジル・ドーラムの口から出た単語に、遅まきながらはっとする。
──“死神”。
聖騎士でありながら、不吉な異名を冠する謎多き帝国の始末屋。同じ聖騎士であるリベルカですら、顔も名前も知らない。知っているのは、噂だけ。
曰く、帝国に仇なす者に死を与える常夜の聖騎士。
「久しぶりね、ジル。相変わらず堅苦しい顔だこと。息が詰まりそう」
「お前の方は変わったな。変態だとは思っていたが、まさか祖国を裏切り、小娘に加担する狂人にまで堕ちるとはな」
吐き捨てるジルの頭上に、炎球が発生した。拳ほどのそれは、ゆっくりと大気を熱しながら膨張していく。
握った剣を頭上へ。振り上げられた長剣が、今もなお膨張を続ける炎球へと、刺し込まれる。
「本気? やるなら手加減しないわよ?」
いうなり、女の右手に影が生じた。黒く周囲を塗り潰すそれは形を変え、一振りの大鎌へ。
右手の大鎌を肩にかつぎ上げ、今度は左手に影の球体を作り出す。影球は女の手を離れ、宙に浮き上がると、表面から幾つもの水泡を飛び出させる。小さな黒い粒を無数に飛び散らせ、分裂する影球。やがて、数え切れないほどの黒の粒が空中で制止した。
互いに戦闘態勢。交わされる言葉はない。
リベルカは無言で、二人の術に見入っていた。いや、そもそも術といっていいのか。印はなく、独りでに術が発動したようにしか見えない。もしも、そんなことが可能なら、二人はすでに人ではない。神か悪魔か、どちらにせよ人外のなせる業に他ならない。
沈黙が下りる。どちらも動かず、時だけがゆっくりと世界に刻まれていく。
睨み合ったまま、微動だにしない二人。先に動いたのはジル。
ジルの頭上にあった炎球が、天へと舞い上がった。
「下がりなさい! 早く!」
女の鋭い声に、弾かれたように動き出すリベルカ。
後方へ飛び退く。と同時に、つい今しがた立っていた場所に、何かが落ちてきた。矢のごとく飛来したそれは、地に衝突すると轟音と共に爆散。土煙を上げ、無数の礫が周囲に四散する。
冷や汗を流すリベルカの鼓膜が、二度目の轟音をとらえる。咄嗟に視線をやれば、先ほどと同じく、土煙が立ち上がっているのが見えた。続いて、二度、三度と立て続けに鼓膜を揺する轟音。
足下が揺れていた。見上げれば、空には一面に巨大な炎球。視界を埋め尽くさんばかりの炎球が、次々と落下してくる。
「……なんだこれは」
降り注ぐ炎球にさらされながら、我が身も省みず、茫然と立ち尽くすリベルカ。
こんなものは術ではない。もはや天災そのもの。同じ聖騎士でここまで差があるのか。
「ボサッとしない! ほら早く!」
届いた声に、慌てて女を探す。
──いた。降り注ぐ炎球をものともせずに、先ほどの場所から一歩も動いていないようだった。何故と思うものの、答えはすぐに見つかった。
空中に浮かんだ黒い粒が、縦横無尽に動き回り、迫る炎球を襲っている。無数の黒い粒は、幾度となく炎球に衝突し、目標に到達する前に粉々に分解していく。
まるで意思を持つ術である。
同様のことがリベルカの頭上でも起きていた。つまり、守ってくれているのだろう。
「ジルに気をつけて! 本命はあいつ自身よ!」
女の言葉に従い、リベルカは意識を集中させた。
気配を探る。轟音と地揺れの中、五感を研ぎ澄ませ、認識する音や臭いを人のものに限定する。
頭上に無数の黒点を引き連れながら、こちらに向かってくる女の姿を視界にとらえた。同時に、その足音を研ぎ澄まされた聴覚が拾う。五感がとらえた女の動きを一度、意識から切り離す。すると、今度は背後に足音を拾った。
向かってくる女が何かを言おうと口を開ける。おそらく、危機を告げようとしてくれているのだろう。だが、問題ない。すでに気配はとらえている。
微かな空気の動きを察知し、最小限の動きで身をひねる。視界の隅を、煌めく刃が通りすぎる。動きはそのままに、今度は地を蹴り距離をとる。背中のすぐそばに女の気配を感じながら、リベルカは敵を見据え、祈るように両手を組んだ。祈りの型。始まりの印。
「後ろからか。今日はずいぶんと卑怯者に縁がある日だ」
失笑と共に、印を結んでいくリベルカ。
背後の女にも動く気配がある。
ジルは長剣を構えたまま、表情を動かさない。ただその口元だけが小さく動く。
「今さら何をするつもりだ。諦めろ。貴様は俺の足元にも及ばない。“死神”の後できっちり葬ってやる」
「やってみるがいい。その前に貴方を倒してみせよう」
リベルカの印が完成した。




