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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第三章【災厄招く種】
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災禍、白き慟哭と共に13

 


「おやっさん! でっかいの頼むぜ!」


 振り返って声を張る。と、おやっさんはすでに印を結び始めていた。

 すかさず傍らの女に注意を促す。


「下がるぞ、海賊王! 結界が消える瞬間におやっさんに合図を頼む! 他も下がれ!」


 イサナは怪訝そうにこちらを見やるも、素直に指示に従い後方へと下がった。

 ウルガンと野良犬も、彼女に続いて下がる。


「よお、おやっさん。腕は錆びついてねえかい?」


 少し丸くなった、かつての己が師の背中に語りかける。

 今もなお印を結び続ける男は、振り返らない。ただ、疲れたように、


「やれやれ。老人にはちときつい仕事だ。もう少しいたわってくれんか」


 そんな弱気なことを口にしがらも、その背からは膨大な法気が溢れ出さんとしている。

 全身から沸き立つ法気は、ある一点に集約される。

 大気を歪めるほどに集約、圧縮された法気。懐かしくも恐ろしいその光景。


「──おじさん!」


 イサナが声を上げた。

 それを合図に、見えない壁に押し留められていた死人の群れが一斉に動き出す。

 同時に、おやっさんの右手に拳ほどの炎が発現する。


「相手は死人。加減はいらんだろう」


 呟くと、おやっさんは炎を投げた。

 炎は死人の群れに向かって山なりに飛び、敵の頭上までくると停止。それだけ。たったそれだけのことで、死人たちの動きが変わる。

 直後、肉を焦がすかのような臭気が風にのって、クリスの鼻腔に流れ込んできた。傍らに視線をやると、嫌な臭いに顔をしかめるイサナの顔がある。


「どうよ? おやっさんの術は? なかなかのもんだろ」


「冗談じゃない。術ってより太陽でしょあれは」


 イサナが見つめる先を目で追うクリス。

 彼女の台詞は、実に的を得ている。おやっさんの“これ”を見るのは三度目。しかし、時を経てなお、その凶悪さは微塵も衰えてはいない。

 おやっさんが再び印を結び始める。

 その前方では、小さな太陽によって尋常ならざる熱を頭上から浴びせられ、もがく死人の群れ。死人といえど、身体は人間。肉を焼かれれば、筋繊維は収縮し、動きは制限される。


「相変わらずとんでもねえな、おやっさんは」


 自身に法術を叩き込んだ師は、時を経てなお、現役のようだった。

 彼が印を結んでいく度に、頭上の太陽は徐々に肥大していく。周囲は熱と光で、その一画のみ昼夜が逆転していた。

 印が完成する。

 ──閃光。

 強烈な光に、思わず目を閉じる。

 瞼の裏に感じる光が消えると、クリスはゆっくりと瞼を上げた。

 何もない。ただ、ごっそりと球状に融解した大地があるのみ。

 肉体はおろか、骨すら欠片も残っていない。


「……反則だね」


 驚愕と呆れがない交ぜになったような声で苦笑するイサナ。

 見れば、野良犬の少年は腰を抜かしてへたり込んでいた。ウルガンの衝撃も相当らしく、何度も目をしばたかせ、唖然とした表情で固まっている。

 が、そんなことはどうでもいい。クリスの視線は、前方に釘付けにされていた。


「おいおい。どうなってんだこりゃ」


 呟くクリスの視線の先。

 消し飛んだ死人の遥か後方に蠢く無数の影。


「まだだ! まだ終わってねえ!」


 叫ぶと同時に、印を結ぶ。剣に炎をまとわせ、来る時に備える。

 方角からして、敵は帝都から向かってきている。これが正規兵なら、国を挙げてこちらを消しに来ているのだろう。それはそれで問題だが、死人となれば、もはや異常。

 すがるような思いで、蠢く集団を待つ。

 イサナは得物も抜かずに、無言でその場に立ち、ウルガンは弓を構え、野良犬の少年は握りを確かめるように、無造作に長剣を振るっている。


「──んだよ、それ」


 震える声で立ち尽くすクリス。直視しがたい現実が、彼の眼前に広がっていた。

 蠢く無数の集団は、その全てが死人であった。


「ここは任せる」


 この場の全員に告げたつもりだった。

 一刻も早く帝都に向かい、状況をこの目で見る必要があった。なにせ、この数は普通ではない。帝都で何かあったと見るべきだ。

 だからこそ、この場を他の人間に任せ、駆け抜けるつもりだった。

 しかし、


「ダメだよ、お兄さん」


 いつのまにかクリスの脇をすり抜け、前方に躍り出る影。イサナである。あっという間に離され、慌てて速度を上げる。見れば、すでに敵の先頭に突っ込んでいた。

 クリスが追い付く頃には、すでに敵の先頭は瓦解していた。どういう理屈なのか、行く手を阻む死人の肉壁は、彼女が前へ出るだけで細切れになっていく。

 まるで目には見えない無数の刃が、彼女の眼前で踊っているかのようである。


「いいのか、海賊王。あの数が相手じゃ、振り切るのも楽じゃないぞ」


「大丈夫だよ。あのおじさんがいるじゃん。それに、ウルガンも強いから。クーヤだって逃げ足は最高に早い」


 いいながら、何事かを思い出したかのようにくすりと笑う。

 大方、あの野良犬の逃げっぷりが脳裏に浮かんでいるのだろう。さぞ滑稽だったに違いない。


「帝都まで一気に行くぞ」


 眼前の死人の首を払い、前を行くイサナに声を張る。

 彼女は前を向いたまま、飛び散る肉片を器用にさけながら、


「邪魔なのは私に任せて」


 頼もしい話である。

 事実、彼女の不可思議な技のおかげで、敵の群の中をすいすいと進んでいける。技と呼んでいいのかは疑問だが、法術には見えない。印を結んだ様子もなかったし、なにより法気の流れに変化はない。

 とすると、何らかの技。あるいは自分と同じく特異な体質なのか。

 どちらにせよ、イサナのおかげで帝都にはすぐに到着できた。

 無数の敵を越えた安堵も束の間、突然イサナが立ち止まる。クリスが何事かと問うより早く、彼女は大きく声を張り上げた。


「止まって!」


 反射的に足を止める。


「感心しないな。こそこそかぎ回るなんて」


 帝都に入った二人を出迎えた男は、開口一番にそういった。

 桜色の珍しい髪色のその男は、口許を歪め、指先で軽く眼鏡をかけ直す。


「その髪……なるほど、海賊王か」


 男の瞳がイサナに止まった。眼鏡の奥の眼光が鋭利さを帯びる。

 男の背後には、無数の死人。その全てが、まるで鍛え上げられた軍人のように整列し、男の合図を待っているようだった。


「お会いできて光栄だ、東海の覇者」


「こっちは最悪な気分だよ。君、なにしたの?」


 隣に立つイサナの声から、温度が消えていた。


「改革さ」


 即答する男。

 彼は不敵に笑ったまま、続ける。


「窮屈だとは思わないか? この縛られた世界は。お前なら尚更そうだろう、海賊王」


 イサナは答えない。

 相手の動きを待っているのか、自ら動く気配はない。あれだけ激しかった殺気もなりをひそめている。

 それでも、押し込められた殺気は少女の身体に収まり切らないのか、大気を焦がすように汚染していく。ひりつく大気を肌で感じながら、クリスはその瞬間を待った。

 何もさせない。怪しい動きを捉えれば、すぐさま踏み込み、一刀で斬り伏せるつもりだった。


「そこのお前もだ。どうやってあの術をくぐり抜けたのかは知らんが、やめておいた方がいい。無駄なあがきだ」


 男の挑発とも取れる言葉を、クリスは鼻で笑ってやった。


「やかましい。これでも愛国者でね。好き勝手はやらせねえよ」


「──面白い。なら止めてみろ」


 男は背後に顔を向け、何やら指示を出す。

 すると、整列していた死人の群が割れた。現れたのは、二人がかりで担がれた純白の棺。

 ──直感だった。異様に白い棺を目にした瞬間、悪寒が背筋を這い上がった。


「イサナ! それを何とかしろ!」


 叫びながら、自らも前に出る。

 が、遅かった。踏み込みと同時に振り抜いた剣は、眼鏡の男に届く寸前、横から割って入った死人に遮られた。崩れる腐敗した肉体。その向こうで、棺を開き、心底楽しそうに笑う男と目が合った。

 間に合わないと悟り、祈るような気持ちで背後を振り向いた。そこで目にしたのは、どういう訳かその場から一歩も動かず、目を見開いたイサナ・ウルの姿。


「何やってんだッ! 止めろ!」


 瞬間。

 強烈な光が視界を焼いた。

 瞼を下ろす刹那に垣間見えたのは、棺から物のように取り出された白髪の少女。

 ──ああ、こいつか。こいつがアスヴィオルの。


 《ィ……ィィ……イイギィ……イイアアアアアア!》


 それは果たして、声だったのか。

 人のものとも、獣のそれとも違う、この世から外れた絶叫。それは鼓膜で認識できる音のそれを越える。鼓膜を突き刺す慟哭に大気は引き裂かれ、全身を揺らし、鼓動を直接穿つような錯覚がクリスを襲う。


「…………なんだよ」


 その光景に、息を呑んだ。


「…………ふざけんなよ」


 その光景に、絶望した。


「…………ふざけんなッ!」


 怒号は、絶望に抗うため。

 憤怒は、心が壊れてしまわないように。

 我を忘れて飛び込んだのはきっと、異常にすぎる現実へのせめてもの防衛本能だったのかもしれない。

 クリスは赤熱する剣を手に、飛びかかった。

 肌も髪も瞳も、全てが白に染まった死人の群れに──。
















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