災禍、白き慟哭と共に13
「おやっさん! でっかいの頼むぜ!」
振り返って声を張る。と、おやっさんはすでに印を結び始めていた。
すかさず傍らの女に注意を促す。
「下がるぞ、海賊王! 結界が消える瞬間におやっさんに合図を頼む! 他も下がれ!」
イサナは怪訝そうにこちらを見やるも、素直に指示に従い後方へと下がった。
ウルガンと野良犬も、彼女に続いて下がる。
「よお、おやっさん。腕は錆びついてねえかい?」
少し丸くなった、かつての己が師の背中に語りかける。
今もなお印を結び続ける男は、振り返らない。ただ、疲れたように、
「やれやれ。老人にはちときつい仕事だ。もう少しいたわってくれんか」
そんな弱気なことを口にしがらも、その背からは膨大な法気が溢れ出さんとしている。
全身から沸き立つ法気は、ある一点に集約される。
大気を歪めるほどに集約、圧縮された法気。懐かしくも恐ろしいその光景。
「──おじさん!」
イサナが声を上げた。
それを合図に、見えない壁に押し留められていた死人の群れが一斉に動き出す。
同時に、おやっさんの右手に拳ほどの炎が発現する。
「相手は死人。加減はいらんだろう」
呟くと、おやっさんは炎を投げた。
炎は死人の群れに向かって山なりに飛び、敵の頭上までくると停止。それだけ。たったそれだけのことで、死人たちの動きが変わる。
直後、肉を焦がすかのような臭気が風にのって、クリスの鼻腔に流れ込んできた。傍らに視線をやると、嫌な臭いに顔をしかめるイサナの顔がある。
「どうよ? おやっさんの術は? なかなかのもんだろ」
「冗談じゃない。術ってより太陽でしょあれは」
イサナが見つめる先を目で追うクリス。
彼女の台詞は、実に的を得ている。おやっさんの“これ”を見るのは三度目。しかし、時を経てなお、その凶悪さは微塵も衰えてはいない。
おやっさんが再び印を結び始める。
その前方では、小さな太陽によって尋常ならざる熱を頭上から浴びせられ、もがく死人の群れ。死人といえど、身体は人間。肉を焼かれれば、筋繊維は収縮し、動きは制限される。
「相変わらずとんでもねえな、おやっさんは」
自身に法術を叩き込んだ師は、時を経てなお、現役のようだった。
彼が印を結んでいく度に、頭上の太陽は徐々に肥大していく。周囲は熱と光で、その一画のみ昼夜が逆転していた。
印が完成する。
──閃光。
強烈な光に、思わず目を閉じる。
瞼の裏に感じる光が消えると、クリスはゆっくりと瞼を上げた。
何もない。ただ、ごっそりと球状に融解した大地があるのみ。
肉体はおろか、骨すら欠片も残っていない。
「……反則だね」
驚愕と呆れがない交ぜになったような声で苦笑するイサナ。
見れば、野良犬の少年は腰を抜かしてへたり込んでいた。ウルガンの衝撃も相当らしく、何度も目をしばたかせ、唖然とした表情で固まっている。
が、そんなことはどうでもいい。クリスの視線は、前方に釘付けにされていた。
「おいおい。どうなってんだこりゃ」
呟くクリスの視線の先。
消し飛んだ死人の遥か後方に蠢く無数の影。
「まだだ! まだ終わってねえ!」
叫ぶと同時に、印を結ぶ。剣に炎をまとわせ、来る時に備える。
方角からして、敵は帝都から向かってきている。これが正規兵なら、国を挙げてこちらを消しに来ているのだろう。それはそれで問題だが、死人となれば、もはや異常。
すがるような思いで、蠢く集団を待つ。
イサナは得物も抜かずに、無言でその場に立ち、ウルガンは弓を構え、野良犬の少年は握りを確かめるように、無造作に長剣を振るっている。
「──んだよ、それ」
震える声で立ち尽くすクリス。直視しがたい現実が、彼の眼前に広がっていた。
蠢く無数の集団は、その全てが死人であった。
「ここは任せる」
この場の全員に告げたつもりだった。
一刻も早く帝都に向かい、状況をこの目で見る必要があった。なにせ、この数は普通ではない。帝都で何かあったと見るべきだ。
だからこそ、この場を他の人間に任せ、駆け抜けるつもりだった。
しかし、
「ダメだよ、お兄さん」
いつのまにかクリスの脇をすり抜け、前方に躍り出る影。イサナである。あっという間に離され、慌てて速度を上げる。見れば、すでに敵の先頭に突っ込んでいた。
クリスが追い付く頃には、すでに敵の先頭は瓦解していた。どういう理屈なのか、行く手を阻む死人の肉壁は、彼女が前へ出るだけで細切れになっていく。
まるで目には見えない無数の刃が、彼女の眼前で踊っているかのようである。
「いいのか、海賊王。あの数が相手じゃ、振り切るのも楽じゃないぞ」
「大丈夫だよ。あのおじさんがいるじゃん。それに、ウルガンも強いから。クーヤだって逃げ足は最高に早い」
いいながら、何事かを思い出したかのようにくすりと笑う。
大方、あの野良犬の逃げっぷりが脳裏に浮かんでいるのだろう。さぞ滑稽だったに違いない。
「帝都まで一気に行くぞ」
眼前の死人の首を払い、前を行くイサナに声を張る。
彼女は前を向いたまま、飛び散る肉片を器用にさけながら、
「邪魔なのは私に任せて」
頼もしい話である。
事実、彼女の不可思議な技のおかげで、敵の群の中をすいすいと進んでいける。技と呼んでいいのかは疑問だが、法術には見えない。印を結んだ様子もなかったし、なにより法気の流れに変化はない。
とすると、何らかの技。あるいは自分と同じく特異な体質なのか。
どちらにせよ、イサナのおかげで帝都にはすぐに到着できた。
無数の敵を越えた安堵も束の間、突然イサナが立ち止まる。クリスが何事かと問うより早く、彼女は大きく声を張り上げた。
「止まって!」
反射的に足を止める。
「感心しないな。こそこそかぎ回るなんて」
帝都に入った二人を出迎えた男は、開口一番にそういった。
桜色の珍しい髪色のその男は、口許を歪め、指先で軽く眼鏡をかけ直す。
「その髪……なるほど、海賊王か」
男の瞳がイサナに止まった。眼鏡の奥の眼光が鋭利さを帯びる。
男の背後には、無数の死人。その全てが、まるで鍛え上げられた軍人のように整列し、男の合図を待っているようだった。
「お会いできて光栄だ、東海の覇者」
「こっちは最悪な気分だよ。君、なにしたの?」
隣に立つイサナの声から、温度が消えていた。
「改革さ」
即答する男。
彼は不敵に笑ったまま、続ける。
「窮屈だとは思わないか? この縛られた世界は。お前なら尚更そうだろう、海賊王」
イサナは答えない。
相手の動きを待っているのか、自ら動く気配はない。あれだけ激しかった殺気もなりをひそめている。
それでも、押し込められた殺気は少女の身体に収まり切らないのか、大気を焦がすように汚染していく。ひりつく大気を肌で感じながら、クリスはその瞬間を待った。
何もさせない。怪しい動きを捉えれば、すぐさま踏み込み、一刀で斬り伏せるつもりだった。
「そこのお前もだ。どうやってあの術をくぐり抜けたのかは知らんが、やめておいた方がいい。無駄なあがきだ」
男の挑発とも取れる言葉を、クリスは鼻で笑ってやった。
「やかましい。これでも愛国者でね。好き勝手はやらせねえよ」
「──面白い。なら止めてみろ」
男は背後に顔を向け、何やら指示を出す。
すると、整列していた死人の群が割れた。現れたのは、二人がかりで担がれた純白の棺。
──直感だった。異様に白い棺を目にした瞬間、悪寒が背筋を這い上がった。
「イサナ! それを何とかしろ!」
叫びながら、自らも前に出る。
が、遅かった。踏み込みと同時に振り抜いた剣は、眼鏡の男に届く寸前、横から割って入った死人に遮られた。崩れる腐敗した肉体。その向こうで、棺を開き、心底楽しそうに笑う男と目が合った。
間に合わないと悟り、祈るような気持ちで背後を振り向いた。そこで目にしたのは、どういう訳かその場から一歩も動かず、目を見開いたイサナ・ウルの姿。
「何やってんだッ! 止めろ!」
瞬間。
強烈な光が視界を焼いた。
瞼を下ろす刹那に垣間見えたのは、棺から物のように取り出された白髪の少女。
──ああ、こいつか。こいつがアスヴィオルの。
《ィ……ィィ……イイギィ……イイアアアアアア!》
それは果たして、声だったのか。
人のものとも、獣のそれとも違う、この世から外れた絶叫。それは鼓膜で認識できる音のそれを越える。鼓膜を突き刺す慟哭に大気は引き裂かれ、全身を揺らし、鼓動を直接穿つような錯覚がクリスを襲う。
「…………なんだよ」
その光景に、息を呑んだ。
「…………ふざけんなよ」
その光景に、絶望した。
「…………ふざけんなッ!」
怒号は、絶望に抗うため。
憤怒は、心が壊れてしまわないように。
我を忘れて飛び込んだのはきっと、異常にすぎる現実へのせめてもの防衛本能だったのかもしれない。
クリスは赤熱する剣を手に、飛びかかった。
肌も髪も瞳も、全てが白に染まった死人の群れに──。




