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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第三章【災厄招く種】
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災禍、白き慟哭と共に9

 


 ──美しい女だった。

 一瞬とはいえ、クリスの全ての思考は四散し、ただ美しいという陳腐な感想だけが脳内を占めるほどに。

 その女を目にした瞬間、圧倒的な美貌に全てが霞んだ。祖国に抱いていた不安や怒りも。友の死でさえも。

 早朝の空気は冷え込み、陽の光をものともせず、吐く息を白く染める。身を切るような冷たい朝。にもかかわらず、その女は薄手の襤褸を一枚羽織っただけの貧相な格好だった。

 帝都ではまずお目にかかれない、最底辺の貧民の格好である。

 しかし、何より目を惹いたのは、女の髪だった。陽の光の下にあってなお、欠片も輝くことのない灰色の髪。それが何故か、途方もなく美しく見えた。

 それに、いくらみすぼらしい格好をしたところで、その美貌は隠せていない。

 まだ若い。あどけなさの残る顔立ちからして、まだ少女といったところか。それにしても、どういうわけかクリスは彼女を女として見れていない自分がいることに気づいた。

 年も年だ。それなりに経験はある。自慢ではないが、女を見る目もあるつもりだった。だというのに、目の前の少女を女とは──いや、同じ人間とさえ思えなかった。

 どこか神聖な、はたまた魔性か。少女は当たり前のように、この世ならざる雰囲気をまとっていた。


「いい加減にしなよ。おじさんの立場じゃ許可できないっていうから、皇帝さんに会いたいっていってるの。何度いわせる気?」


 改めて見ると、少女はどうやら誰かと揉めているらしかった。

 漆黒の瞳に苛立ちを募らせ、不快感をあらわに、おじさんと呼ばれた門番らしき男を責め立てていた。

 場所は帝都中央。宮殿前。帝都の中枢にして、レンダール帝国の心臓である。

 そんな場所で、少しばかりとはいえ殺気をにじませているのはいただけない。おまけに皇帝に会わせろ、とは。本来なら門前払いである。が、格好は別にしても、少女はそれなりに身分のある人間なのだろう。

 困り顔で少女を説得中のおじさんとやらに、クリスは救いの手を差し伸べてやることにした。


「失礼。お嬢さん、あまり門番を困らせるもんじゃないよ」


 背後から声をかけると、少女の肩越しに門番を助かったとでもいいたげに安堵の表情を浮かべる。

 少女の灰色の髪が揺れる。そして、振り向くなり眉間にしわを寄せた。


「君、だれ? 私たちの問題だから」


 だから放っておけ、ということか。

 残念ながら、それはできない相談だった。なにせ、門番はただ仕事をしていただけだ。対する少女は、明らかに無理難題を吹っ掛けている。少なくとも、クリスにはそう見受けられた。


「私たちの問題? それにしては、ずいぶんと年が離れているようだが?」


 からかうつもりでいってやると、少女は羞恥からか、それとも怒りからか、顔を真っ赤にして見るからに狼狽する。


「ち、ちち違うよ! なんでそうなるの!? バカなの!?」


「うん。実に可愛らしい反応だ」


 バカにしたように笑ってやると、意外なことに少女は反論を止め、クリスから視線を外した。

 そして、再びおじさん門番を責め始める。


「ほら見て? おじさんのせいで変な男がきちゃったよ? ねえ、どうしてくれるの? ねえ?」


「なぜ私のせいになるのです? よいですか? どちらにせよ、貴女様は帝都にこられてまだ日が浅い。それに今は戦時下です。まずは謁見、とはいかぬのです」


 門番の男が何やら説得を始めた。その様子からするに、もう何度も同じような文句を紡いでいるのだろう。普段がどうなのかは知らないが、どこかやつれて見える。

 と、そこでクリスは気づく。その困り顔には見覚えがあった。

 誰だったか、と思いだそうと記憶を探っている内に、二人の会話が進んでいく。


「相手が私でも? わかってるのおじさん? 強制してもいいんだよ?」


「脅迫ですか? 屈しませぬぞ。それに、そんな貴女を見てクーヤ君がどう思うか。よき指導者とは、いつも潔癖な身でいるべきです。何故なら──」


 何故なら、子は親の背を見て育つものだから。


「──子は親の背を見て育つものであるゆえに」


 脳内に浮上した言葉をそのまま口にする門番。

 そこで、クリスはやっと思い出した。


「おやっさん! こりゃたまげたぜ。何してんだよ、こんなとこで?」


 突然、声をかけられたおじさんとやらは、怪訝そうに眉根を寄せ、


「ん? 失礼。どこかで会いましたかな?」


「おいおい。ついにボケたか? 俺だよ、俺。クリスだ」


 そこでやっと、思い出してくれたのだろう。

 おやっさんの顔がぱっと明るくなる。


「おおっ! クリスティオンか! 久しいな」


「おやっさん。その名前で呼ぶのはやめてくれよ。これでもただのクリスで通ってんだから、今は」


 そう、今は。

 今はまだ、ただのクリスでいい。そうでなければならない。

 おやっさんは、はっとすると、次に悲しそうな顔をした。そして、頭を下げる。


「すまぬ。事情が事情とはいえ、私のワガママでお前には辛い役目を負わせてしまった」


「おいおいよしてくれよ。仕方ねえさ。俺しかいなかったんだから」


 そう、あの時のおやっさんの決断は間違っていない。例え、そのせいで望まぬ立場に追いやられ、重い枷をはめることになったとしても。原因がおやっさんであれ、それ以上に恩がある。


「…………ねえ、君たちさ。君たちの感動の再会なんてどうでもいいんだよね、正直」


 刹那、喉元に強烈な熱が走った。

 まるで鋭利な刃物で一凪にされたような──致命傷を受けたに等しい感覚。無意識の内に、右手が剣に伸びていた。

 しかし、抜かない。いや、抜けない。

 少女の漆黒の瞳が、抜けば命がないことを告げていた。それこそ、つい今しがたの感覚が現実となって襲ってくるだろう。

 見れば、おやっさんも同じように、顔を青くして柄を握りしめている。


「は、ははは。殺気だけで“これ”か。うら若い乙女には失礼だろうが、あえて言わせてもらおう」


 まるで勝てる気がしなかった。

 やり合おうとすればきっと、抜く暇もない。おやっさんと仲良くあの世行きだ。


「──化物が。この国に何のようだ」


 悔しまぎれに吐き捨てる。それが精一杯だった。

 クリスの虚勢をそうと知ってか、少女から放たれていた殺気が消える。


「おじさんにも言ったけど、お兄さんは友達が困っていたら助けようと思うよね?」


 いきなり何の話だ、と思いつつもクリスは頷く。


「私もそう。当たり前のことをしてるだけ。久しぶりに友達に合おうと思ったら、どうしてか訳のわからない罪で指名手配中。詳しい話を聞こうにも、誰も知らん顔。ねえ、お兄さんはどう思う?」


 そういわれても、と返答に窮しているところへ、おやっさんの援護が入る。


「知らん顔とは、それはあまりな仰りよう。我々は伝え聞いたことをそのまま貴女様に伝えているだけです。決して、真実を隠そうなどとは」


「伝え聞いただけでしょ? それってもう、ただの噂だよね? 嘘かホントかも判らない噂に踊らされて、ヒューリ・クロフは指名手配? 弁明の機会も与えないまま?」


「ちょっと待て!」


 咄嗟にクリスは話に割って入る。

 さすがに、聞き捨てならない名前が出た。

 周囲を警戒し、


「ここでその話はするな。おやっさんも、もちろんお嬢ちゃんもな」


 どういう意味だ、と少女が視線だけで問うてくる。

 何か知っているなら、すぐ話せとでもいいたげな鋭い視線が突き刺さる。


「ついてこい。二人ともだ」


 そういって今まさに踵を返そうとしたところへ、少女の制止の声がかかった。


「ダメ。連れがいるから。場所だけ聞かせて。後で向かう」


 頷き、少女に隠れ家の場所を伝えてやる。

 おやっさんはどうする、と視線を向けると、神妙な顔で頷きを返してきた。



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