白き病4
封印の術によって縛りつけられた少女に、アレスは困り顔で、
「はあ…………まったく。お前は本当に学習しない奴だね。あーもう。また引きちぎって……」
少女の手足にぶら下がった金属を見て、アレスはわざとらしく肩を落とした。
小柄な身体のどこにそんな力があるのか、鎖は途中から引きちぎられ、少女の飾りになってしまっている。
動きを封じられながらも、その瞳に浮かぶ敵意は消えてはいない。
獣のように喉の奥を鳴らし、低く唸る。
その姿を改めて見て、ヒューリは怪訝そうに眉根を寄せた。
瞳だけに止まらず、腰まで届く長髪までもが色素の抜け落ちてしまったかのごとき純白。松明に明々と照らされた素肌でさえ、病的なほどに白かった。
その身体的特徴は、ヒューリも知識として持っている。というより、帝国人なら誰でも知っている。常識といってもいい。
「どういうことか説明していただけますか、アレスさん」
アレスは指先を少女に向けたまま、ヒューリに視線を投げる。
続いて、とぼけるように首を傾げた。
「何のことです?」
「その娘は、病にかかっています。それもただの病ではない。すぐに相応の医療施設に入れてしかるべきです。少なくとも、このような不衛生な場所に放置させておける状態ではない」
ヒューリの声が、怒りに震えた。
抑えつけていた感情は、今にも外へと溢れ出さんとするかのように、身の内側で激しく燃え上がっている。
「病人に相応しいのは治療の場であって、聖域などではないはずです。ましてや、牢獄などあり得ない」
年端もいかぬ幼女の身を蝕む病。
それはかつて、帝国のとある都市を滅亡させた。罹患者全ての死という結末をもって。
「つまり、何故これを連れていくのか説明しろ……ということでよろしいので?」
頷くヒューリに、アレスはまたしてもと首を傾げる。
そして困り果てたような表情で口にした。
「と、いわれましても……そもそも、この件は決まったことです。今さら何をいったところで変更はあり得ませんよ? それに、僕もそう多くを聞かされているわけじゃないので」
申し訳ありません、と苦笑してみせる。
「判っているはずですよ、アレス・ルインオーラ。貴方も術師なのですから」
何のことやら、と肩をすくめるアレス。
そろそろ限界であった。ヒューリは、すでに充分すぎるほど耐えた。感情は抑えた。理性を優先させた。
しかし、もうその必要もないだろう。
「……ふざけるな。彼女の症状は紛れもなく《白死病》。それも重度のものだ。瞳から変色を始め、髪、そして肌。末期には身体的限界を超え、筋繊維の異常発達。その娘はもう、限界に近い。今すぐ腕のいい法医に診せるべきだ」
「貴方こそ、判っているはずでは? 《白死病》は不治の病だと。高名な法医をいくら頼ったところで無駄なんですよ。それに──そもそもこいつには必要ない」
どういう意味だ、と思わず声を上げようとするヒューリを続く言葉が制止する。
「《白死病》が知れ渡った事件はご存知ですよね。まあ、都市がまるまる一つ滅んでしまいましたからね。知らない方がおかしい」
そんな説明はどうでもいい。
そう口に出そうとして、しかしヒューリは止めた。聞こえてきた言葉の衝撃が、あまりにも強すぎたのだ。
「それ以来、かの病は発症事例がないんですよ。それこそ、小さな噂もね。おかしいとは思いませんか?」
そんなはずはない。
白死病は動物から感染する病である。都市が壊滅した日を境に、大小様々な村や街で被害が相次いだ。
「白死病による死者は二百万人以上だったといわれてます。けど、実際のところはたったの数万人です」
それはつまり、何者かが情報を操作していたということ。それも、帝国領内全域という途方もない範囲に渡って。
そしてそれが事実なら、眼前の少女はつまり、
「お気づきですか? つまり、すでに滅んだとされているアスヴィオルの生き残りというわけですよ。この罪人はね」
ヒューリは言葉を失った。
あり得ない。それが事実だとするなら、彼女は鎖に繋がれていていい存在ではない。
それに──
「罹患者は発症から十日足らずで死亡したと聞きます。貴方のいったことが事実なら、その娘は白死病の身でありながら二年近くも生きていたことになる」
「事実、そういうことですよ。上層部が隠したがる理由までは知りませんけどね」
そういって、アレスは動けない少女の細腕を取った。ぐいっと引っ張り、引きずるようにして牢から連れ出す。
「名はありません。ここでは便宜上、シロと呼んでいます。由来はまあ、見たままですけどね。《白死病》の罹患者にして唯一の生き残りであり、また末期から症状の進行が見られない希少な体質です」
いいながら、ヒューリの眼前に少女を立たせるアレス。
全裸で人前に出ているというのに、少女に恥じらいはなく、それどころか恐れすらもない。
敵意に染まった瞳の奥に、誰だこいつは、とでもいいたげな色が浮かんでいた。
「はじめまして、シロ。貴女をここから出してあげましょう。ただし、噛みつかないでくださいよ? 痛いのは嫌いなんです」
ここから出る、そう聞いた少女の表情は一変した。白瞳に浮かんでいた敵意は霧散し、代わりに希望の火が灯っている。
外の世界を想像しているのだろう。口元はだらしなく緩み、輝く瞳はどこか遠くへ向けられていた。
「さて、それではアレスさん。早速ここから出してください。あ、とりあえずこの娘の服も用意していただけると有難いですね」
「いやいや、本来ならここから出ること自体、あり得ないんですよ? そんなもの用意しているはずがないでしょう」
疲れたように笑うアレス。その足取りはすでに、来た道を戻り始めている。
アレスに続くヒューリ。そして、ちぎれた鎖を引きずりながらヒューリの背を追う白髪の少女。
ヒューリの言葉を信じたのか、それとも単純に外に出ることを楽しみにしているだけか、少女が牙を剥くことはなかった。
と、不意にヒューリが動いた。先を行くアレスの肩に手をかけるや否や、その上衣を乱暴に奪い取ったのだ。
アレスが抗議の声を上げる間もなく、上衣は少女に着せられていた。
「あのですね、ヒューリ・クロフ様。特一級術師であろうと、窃盗は罪ですよ。ここから出たくなくなりました?」
苦笑ぎみに告げるアレス。
ヒューリはこれ以上ないほどの満面の笑みで返した。
「それもいいですね。いやはや、順応性だけは無駄によくて。ここが好きになれそうですよ。聖域もその娘も、アレスさんに任せましょう。いやあ助かった。それに、よかったですね。今なら、貴方の愛すべき聖騎士殿のおまけつきです。お互いに得しかない」
微笑みを浮かべたまま一方的に話すヒューリ。しかし、その声は恐ろしいまでに冷え切っていた。
「勘違いしないでくださいよ。僕が捕まえたわけじゃないし、ここに放り込んだのも僕じゃないんです」
だから、怒りの矛先を向けるべきは自分ではない。アレスはそう言いたいようだった。
無論、ヒューリとてそんなことは解っている。
看守長はあくまで監獄の中でのみ、その力を示せる。罪人の捕縛などそもそも仕事ではない。ましてや、罪の有無を決めるなど仕事の範疇を完全に超えている。
「その服は差し上げますよ。それで機嫌を直していただけるなら助かります」
告げるアレスの足が一段目の足場を捉える。
やっとここから出られる。ヒューリは安堵し、後ろを振り向いた。
白き少女は、未だに夢想の中にいるようだった。ただ何となくついてきているだけのように見受けられる。
「ここからは段差を登っていくことになります。足元には注意してくださいよ。くれぐれも、段差を見逃さないように」
判りましたか、と訊ねるヒューリに、少女はこくこくと頷く。
言葉は判るようだが、果たして自ら話せるのだろうか。
そういえば、まだ少女の声を聞いていない。唸り声なら聞いたが、あれを声とはいわないだろう。
疑問に思ったヒューリは、つい口にしてしまっていた。
「シロ、言葉は話せますか?」
こくり、と小さく頷くシロ。
「そうですか。それはよかった。では、外に出てからはたくさんお話しましょう。それがいい」
こうして若き呪術師は、奈落の底から脱した。
白き病に蝕まれた、幼き少女を連れて。