災禍、白き慟哭と共に2
南部クルセニス王国。
王城の一室で、国王は一枚の絵画を見つめていた。絵画の中では、鮮やかな金髪の女性が微笑んでいる。もう二度と目にすることはないだろう。だからこそ、心に刻む。
「エイリアス。お前の娘は、健やかに育っていたぞ」
嬉しげにいうと、国王は目を閉じた。
獅子の軍勢に、南部軍は崩壊。今もなお、その勢いは止まることを知らず、王都へ向けて進軍中だという。
それだけではない。
昨夜の報告では、国境に“紅蓮”の軍勢が現れ、ガラント・エルグッドの守る砦と戦闘中だという。
猛攻の獅子に、殲滅の紅蓮。用意した援軍も二手に分ける他ない。勝ち目は薄いどころか、無に等しい。
リベルカ・リインフォードの方も、未だに行方知れずだという。捜索隊を出そうにも、人手が足りない状況だった。
「王といえどもこの程度よ。許せ、エイリアス」
「懺悔は済んだのかしら?」
背後からは、妖艶な女の声。
今、王の喉元には刃が添えられている。それも、死神を思わせる大鎌が。
「ああ。もはやこれまで。悔いはあれど、やむなし」
「そう。それじゃあ、貴方に“死”を与えましょう。代わりに、貴方の望む誰かに“生”を与えてあげましょう。私の愛しい“天秤”がいつも平穏であるように」
祈るようなその文句には、覚えがあった。
故に、知らずの内に口をついて出ていた。
「古き民の祈りか。実在したとはな」
「あら、さすがは王様ね。物知りだこと」
女の声が、わずかに弾む。
「なれば古き民の末裔よ。余の望む者に、揺るがぬ“生”を」
「いいわ。それじゃあ、その誰かの名前を教えてちょうだい」
王はその名を告げた。
そして、静かに自身に訪れるであろう最期を待つ。絵画の中で微笑む初恋の相手に、想いを馳せながら──
「またですか。そこを退いて頂きたい。これは私の問題です」
割り込んできた影に、リベルカは冷えた声でいった。
唐突に現れる彼のことは、よく知らない。未だに名前すら口にしないくせに、危険となればいつのまにやら側にいる。影のような護衛だった。
「貴女を守るのが私の任務です」
静かに告げられた返答。低く響くその声には、わずかに怒りが染み込んでいる。
護衛はそれに、と続けた。
「争っている場合ではないかと」
意味深な発言に、リベルカは剣を納め、護衛の肩を掴んで振り向かせる。
「何の話です?」
「砦が陥落しました。帝国聖騎士“紅蓮”の率いる大軍です」
背筋が粟立つ。
それが事実なら、もはや勝ち目はない。
“紅蓮”は聖騎士の中でも特殊な力を持つ。殲滅力だけでいえば、オーネス・グラリエスの比ではない。護衛の話を信じるなら、砦は全滅だろう。
問題は、それが真実なのかどうか。
「誰から聞いたのです?」
「確かな情報です。護衛対象である貴女をむざむざ死なせるわけがない」
だから信じろ、といいたいらしい。
まっすぐ砦に向かう案は死んだ。もはや、そこに希望はない。
「シュエレン・ルトニカ」
「…………なんだよ? 逃げろってか?」
侮蔑の視線をくれるシュエレンに、リベルカは首を振って否定する。
「まさか。皆に伝えて欲しいことがある」
無言で続きを待つシュエレンに、リベルカは自身が思いつく限りの最善手を口にした。
「これより、行軍は夜に限定。全ての甲冑を脱ぎ、埋めろ。夜まで民家に身を潜め待機──復唱を」
「馬鹿いえ! 敵がすぐそこにいるのに、甲冑を捨てろだ? 降伏するつもりかてめえはっ!」
激昂するシュエレン。
しかし、リベルカは取り合わなかった。
ただ、静かに淡々と告げる。
「これは命令だぞ、シュエレン・ルトニカ。復唱を」
有無をいわせぬ口調にシュエレンも諦めたのか、舌打ちを一つした後、渋々といった様子で復唱した。
「行軍は夜に限定。甲冑を捨てて埋めること。夜まで民家に身を潜め、待機」
よし、と頷いてリベルカは護衛に視線を戻した。
「それでは、連れていってもらおう」
「話が見えません」
「斥候も兼ねているのでしょう? なら、貴方の部下がそこにいるはずだ。私もつれていって欲しい」
護衛に案内されたのは、砦近くの丘陵地帯であった。
小高い丘の上から、眼下に広がる惨状にリベルカは眉をひそめた。
沈痛たる面持ちの先には、火の手を上げる砦。いつ発火したのか、その火勢に衰えは見えず、今もなお焼け崩れる砦を蹂躙している。
その付近、四方にも大小様々な火を確認できた。
おそらく、村々を制圧して回っているのだろう。
──いや、と直後にリベルカは自身の考え改めた。
“紅蓮”ジル・ドーラムの性質はよく知っている。これは制圧ではなく、殲滅だ。ただの一人も、生き残ってはいないだろう。
さらに目を凝らす。
「…………あまり時間はなさそうだな」
リベルカの独白に答える声はない。
海色の瞳に、鋭い光が宿る。刃にも似たその視線の先には、今まさに、こちらに向かって進軍してくる一団があった。
「──冗談だろ?」
平然といった友人の言葉に、信じられない思いでシュエレン・ルトニカは聞き返す。
自分の耳がどうかしたのか、と疑問にも思った。しかし、そんなことはなく、どうやら聞き間違えではないらしかった。表情を変えない。それこそがまさに答えだ、といわんばかりに。
「正気かよ、エバン。あの女は帝国の回しモンだ。間違いねえ」
自分でいいながら、鮮やかな金髪の女の顔が脳裏に浮かぶ。
お偉い方の話ぶりから、元はさる大貴族の娘なのだろうが、そんなことシュエレンにはどうでもよかった。
「救援が無理なのはまだしも、武装解除だぞ!? 敵が目の前にいるってのに!」
「落ち着きなよ、シュエレン」
激昂するシュエレンに、困ったような笑みでやんわりと声をかける無二の親友。その余裕が、シュエレンには理解不能だった。
「落ち着け? これで落ち着ける人間がいるならそいつはただの阿呆か、帝国の間者だろうよ」
嫌悪感剥き出しに吐き捨てる。
それに対し、エバンは小さくふっと笑う。何を馬鹿な、とでもいいたげに。
「間者など必要ないさ。この状況を見れば解るだろう? それに、正確には武装解除じゃない」
瞬間、シュエレンはあんぐりと口を空けた。
そして思う。こいつは何をいってるのだろう、と。話を聞いていたのか、と。
しばしの沈黙の後、我に返って再び問う。
「なあ、エバン。冗談だよな? そうだといってくれ」
「何度もいうが、僕は隊長に従うよ。考えてみなよ、シュエレン。武装解除というが、剣はそこに含まれていたかい?」
リベルカの指令を思い起こし、いや、と首を振った。
憮然とするシュエレンに、そうだろう、とエバンは得意気な顔で頷いている。
「厳密には、甲冑の破棄だ。そこに剣は含まれてはいない。そして、もう一つ」
師が弟子に教えを授けるように、人差し指を立てるエバン。
「僕の予想が正しければ、彼女は優秀な指揮官だよ。予想外なこの状況で、本来なら身動きもとれず捕虜となっていたはず。それを彼女は、なんとか打開しようとしている。自分達の逃げ道を確保した上で、なおかつ相手にも痛みを与える奇策でね」
そこで、いや、とエバンは首を振って自身の言葉を訂正する。
「正確には、策ではないね。もっと下劣で、騎士としては恥ずべき行いかも知れない」
「恥ずべき行い?」
それは何だ。
シュエレンが見た限り、あの女はそういう人間には見えない。いかにも頭の固そうな、実直な騎士という雰囲気だ。
だからこそ、こちらにつくとは、どうしても思えないのだ。祖国に忠誠を誓う、それも最上位の聖騎士が誓いを破るとは思えない。
しかし、エバンはそんなシュエレンの思いも知らず、あっけらかんと楽しそうに口許を緩めた。
「まあ、いいじゃないか。騎士の魂に背いてでも、僕らを救おうとしているんだ。よかったね、優秀な指揮官で」
これでくたばらずに済みそうだ、とエバンは笑うのだった。




