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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第三章【災厄招く種】
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災禍、白き慟哭と共に

 

 シャルマン・ロゼは、私室でその時を待っていた。

 宮廷法術師──それも筆頭ともなれば、ただ眠るだけの部屋とて、その装いは豪勢に尽きる。さして必要とも思えない美術品の数々に囲まれた豪奢な造りの私室で、寝具に腰を下ろしたまま、静かに瞼を閉じている。

 シャルマンは、近年、ずっと待ち望んでいた。自身の大望が花開くその時を。しかし、それがいったい何なのか、彼は知らない。ただ、それが何よりも優先されるべきものだという事実のみが、漠然と脳内を漂っている。漠然と、しかし確実にその日が迫っていると実感できる。

 それは、ありもしない神に捧げる信仰心に似ている。違うのは、それが実体を持ち、祈る必要もなく確実に彼を救うであろうということ。


「…………まだか」


 シャルマンは焦っていた。

 天啓のごとく、いつも脳裏にささやく声。それが待ち人のものだと、彼は知っていた。だからこそ、声の指示するままに、事を運んだ。

 南部との戦にしても、小さな火種を数年に渡っていくつもこしらえ、一斉に燃え上がらせた。一つの意思の元に始まった戦だとは誰も思うまい。

 北部国境での砦の建設。警備隊の宿舎として活用してはいるが、本来の目的通り、その造りは実に堅牢かつ巨大なものだ。

 そして、東部遠征。これもかの“海賊王”が不在である時期を狙った。しかし、ここで誤算が生まれる。帝国最強の“獅子”率いる二万にも及ぶ大軍が、群島の一つに足を踏み入れるなり、呆気なく破れ去ったのだ。

 それだけなら、まだいい。最悪ではない。

 最悪なのは、手元から消えた一人の少女である。


「おのれ……“厄種”めが」


 そう、あの“厄種”が全ての元凶だ。

 二人を引き合わせ、聖域へと送り込む。そこまでが計画だ。

 ついでに、あのうるさい女聖騎士にも帝都を離れる口実を与えてやった。事実、あの女が消えたおかげで、帝都の中枢はほぼ全てにおいてシャルマンが掌握するにいたった。もっとも困難と思われた、皇帝陛下その人でさえも。

 しかし、順調だったのはそこまでだった。

 聖域が消滅したのだ。

 声の指示に、聖域の消滅は含まれていなかった。

 それどころか、最重要人物である少女を奪われた。これも声の指示通り“厄種”の研究を元にして造り上げた、大望へいたるための“核”である。

 それが、奪われてしまった。

 もはや、声は聞こえない。あとはただ、その時を待つばかり。

 正確な時期こそ判らぬものの、それが近いということだけは、なぜかシャルマンには判っていた。故に待つ。


「……もうじきだ。我が大望への道よ。さあ、ここへ」


 夜が更けていく。






 記憶は曖昧だった。

 言われてみれば、確かにそいつは殺されたのだろう。しかし、曖昧な記憶は、徐々に違和感となって脳内を汚染する。だから、帰ってきて早々、部下や知人に聞いたのだ。

 ──件の看守長はどんな奴だったか、と。

 すると、皆が口を揃えてこういうのだ。

 曰く、かの看守長は天才だったと。幼少からその才能を発揮し、若き一流の封術師として、あの千年搭を守っていたのだと。

 そんなはずはない、と思わず声を上げそうになった。

 何故なら、自分の知るアレス・ルインオーラはさしたる才能もない平凡な男だったからだ。それでも、信頼に足る男ではあった。国のために、貴族でありながら、誰もが忌避する千年搭の看守長を自ら買って出た男だ。昨今の糞の役にもたたぬ俗物共より、よほど愛国心のある男だった。

 そんな男の死が歪められている。いもしない誰かとすり替えられて。

 許せようはずもない。


「──またですか、クリスさん。いい加減にしてくださいよ、全く。貴方がいると、職務に支障をきたします」


 凛とした声には、非難の色がいじんでいた。

 資料から顔を上げ、声の主を見る。ここ最近では馴染みのある眼鏡の奥の碧眼を細め、じっとりとした視線を送ってくる。


「やあやあ、我が麗しのリズベットよ。それにしても心外だ。あまり邪険にしてくれるな。読書にふけるただの勤勉な騎士だぜ、俺は」


「どこがですか。ところ構わず発情する貴方が勤勉?」


 笑わせるな、とでもいいたいのか。全くもって信用していないらしく、未だその碧眼に敵意をにじませ、視線で射抜いてくる。


「おいおい。誰が万年発情期だ。酷いな。そりゃあまりに酷い言い種だ、リズ」


「そうですか。それじゃあ、勤勉な騎士たる貴方にお願いします。どうにかしてください。今すぐに」


 言われて始めて、気がついた。

 いつからなのか、リズベットと自分を取り囲むようにして、人だかりが出来ている。その顔のどれもが、女性のそれである。年齢こそまちまちだが、誰もが例外なくうっとりとした表情で自分に視線を向けている。


「いやあ、まいった。これこれ、そこの美女たち。今や、私めは読書に励む一介の騎士にすぎず。この両手は書物に。塞がったこの手でどうして淑女の手をとれようか。ああ、二つしか手のないこの身を呪うばかり。どうか、ご容赦を。今宵は貴女がたの一人一人を訪ねて参ろう」


 言うなり、その場が矯声に包まれる。実に耳に心地よい。

 ただ一つ、鬱陶しそうに耳を塞ぐリズベットだけが残念だ。素直になればいいのに、とも思う。

 女たちが出ていくと、再び読書に戻る。


「いいですか、クリスさん。貴方がくると、他の方に迷惑がかかります。それはもう、物凄く。ここは図書館です。静かに読書に身を委ねる場です。貴方の盛り場ではありません」


「おいおい、盛り場って。本当、いったい俺を何だと思ってんのよ」


「色欲の権化。女の裸体に祈りを捧げる狂信者といったところでしょうか」


 酷い言い種である。

 この女と出会ったのは、それこそ帝都に帰ってきてからだ。つまり、出会ったばかり。なのに、この言われようである。女の嫉妬とは恐ろしい。


「……帝都の人物録ですか。不思議ですね。意外とまともな読書じゃないですか」


 こちらの手元を覗き込むリズベットは、何故か不満げにそんなことをいってくる。


「どうしても俺を変態にしたいようだな。まあいい。それよりも、リズ。アレス・ルインオーラについて、どう思う」


 聞くなり、リズベットは目を伏せた。その美貌に陰が差す。


「…………どう、といわれましても。冥福を祈る他ありません」


「うーん。やっぱそうだよなあ」


「調べているのは、彼のことですか?」


 問われ、頷きを返す。

 アレス・ルインオーラの名前はあるにはあった。しかし、ルインオーラ家の当主であることと、看守長であること以外に記述はない。

 他の人間には、生まれた年月や髪の色まで詳細に書かれているのにだ。


「おかしいとは思わないか? 他は詳細に書かれているが、アレス・ルインオーラについてはこれっきりだ」


 見やすいようにしてやると、リズベットは身を寄せてさらに覗き込んでくる。鼻孔をくすぐる香りに、やはり美人はいい匂いだ、と至福の時間をたまわる。


「はあ。まあ、よほどの人物でない限り、詳細を省くことはままありますからね」


 こちらに視線を戻すリズベット。慌てて緩みきった表情を引き締め、真面目な顔を作る。


「最年少の一級術師だぞ? それも千年搭の看守長だ。よほどの人物だろう?」


「いや、そういわれても。そもそも、私はただの司書ですから。人物録なんて興味もありませんし」


「……だよなあ。それじゃあよ、アレス・ルインオーラの死因については、何か知らないか?」


 それなら、とリズベットは頷いた。


「有名な話ですよ。確か、クリスさんは西部にいたんですよね? なら、知らなくても無理ないですかね。何でも“厄種”とあのリベルカ・リインフォードに殺されたんだとか。千年搭に忍び込んで、極悪人の一人を連れ出そうとして、それを止めようと試みたところを反撃にあった、と」


 そう。その話は何度も聞いた。

 そして聞くたびに、疑問が湧いてくる。

 あの呪術師がそんなことをするだろうか。脳裏に、一目でそれと判る愛想笑いを浮かべた黒髪の青年を思い浮かべる。あの笑みこそ胡散臭いが、自らの首を絞めるほど愚かな男には見えない。遠目でしか見たことはないが、それでも判る。どちらかといえば、狡猾な男であろう。

 リベルカ・リインフォードについては、あり得ないと断言できる。あれこそ騎士だ。お堅い上に男らしすぎて、まるで女に見えない彼女だが、それでも断言できる。あの女がさしたる理由もなく帝国に背くなど、あり得ない。


「それがそもそも、おかしいんだよな。おまけに、ここにきて“獅子”は動くは、“紅蓮”は出すは。本気の殲滅戦もいいとこだ」


 リベルカらは南部への亡命を果たし、帝国は再三に渡る身柄の返還を南部に要求した。書状には、要求を呑めばそれで終戦とするとまで書かれていたらしい。

 これを蹴る南部もどうかと思うが、問題はその後の帝国だ。

 あろうことか、全滅の憂き目にあった獅子の軍勢を休ませることもなく、南部に進軍させた。おまけに、殲滅においては右に出る者のない“紅蓮”まで進軍させたのだ。聖騎士において最強の男と、それに次ぐ実力者。正気を疑うほどの暴挙といえた。

 この二人が共に攻めるとなれば、それは悪夢に他ならない。

 二人を良く知るからこそ、判る。


「南部は虫の息だろうな」


 資料を棚に戻し、リズベットに笑みを向けた。


「そろそろ行くわ。ま、何か判ったら教えてくれよ」


 彼の名は、クリス。ただのクリス。騎士にして、家名のないこの男こそ、真っ先に帝国の異変に気づいた貴重な存在だった。
























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