猛攻の獅子4
エルミラ峡谷を出て、五日目の昼。
ヒューリたちは獣道を抜け、街道に出ていた。道を覚えていたおかげか、戻りの方が幾分か速い。このまま中継地点の街を目指し、そこでシシカを療養させる。
シシカが充分に回復すれば、一度王都へ戻る予定だ。
それまでに、ヒューリはクレハから詳しい話を聞くつもりだった。
「ん? なんだありゃ」
街道を進んでいるとふと、クレハがそんなことをいった。
首を傾げる彼女の視線を追うヒューリ。人だ。向こうから、真っ直ぐに街道を進んでくる。
徐々にあらわになっていくその姿に、ヒューリも思わず疑問を口にする。
「これはまた……妙ですね」
どうやら女のようである。遠目でも判るすらりとした体躯。腰まで伸びる美しい紫色の髪。
しかし、なによりヒューリの目を釘付けにしたのは、彼女が肩に担ぐ“それ”だった。
長柄の先に三日月を思わせる刃。鎌である。
「死神ですか。想像と違って、ずいぶんと美しいようだ」
「バカいってんじゃないよ。どう考えても普通じゃないでしょうが」
的外れな感想を口にするヒューリに、クレハは呆れたように嘆息する。
女は眼前に立った。やはり、女は稀に見る美貌の持ち主だった。紫色の髪を払い、口許を緩める。それだけで妖艶な印象を受ける笑み。
血を思わせる赤い双眸が、ヒューリたちを捉えていた。
「こんにちは。ちょっと道を訊ねたいのだけれど」
挨拶も早々に、道を訊ねてくる女。
よくよく聞けば、どうやら王都に向かっているらしい。
「残念ながら、反対方向ですね。このまま真っ直ぐ行くと、街があります。そこを出て、そのまま街道を進めば王都です」
王都に向かっているといいながら、全くの逆方向。つまり、王都からどんどん遠ざかっている女に教えてやる。
すると、見るからに女はがっくりと肩を落とし、その場に座り込んだ。
「あーやだやだ。もう疲れちゃった。帰ろうかしら──あら?」
そこで始めて、女はヒューリの背中に目をやった。
「その娘、ずいぶん手酷くやられたようね。死相が出てるわよ」
物騒なことを平然といってのける女に、クレハが食ってかかった。
「応急処置はすんでる。縁起でもねえこと言うんじゃないよ」
「…………いいかも。さっきは訊く前に……だものね。それじゃ仕方ないか」
クレハの言葉を完全に無視し、ぶつぶつと独りごちる女。
その態度に、クレハが声を上げようと息を吸った。
が、クレハが声を出す前に、女がいう。
「いいわ。その娘を助けましょう」
「は?」
訝しむクレハに、ヒューリも同様の思いで女に訊ねる。
「はて? どういうことでしょう? 貴女は法医なのですか?」
「さっき一人に与えたんだけど……予定外だったのよね。生を訊く前に、お別れしたから。だからこれは、私のため。道を教えてくれたお礼とでも思っておいて」
訳のわからないことを口にする女。
どうしたものか、と思案していると、女はいつのまにかヒューリのすぐそばまで近寄っていて──背中のシシカを引き剥がしてきた。
「あっちょ、ちょっと!」
慌てるヒューリを尻目に、女は胸に抱えたシシカの額にそっと口づけを落とす。
「貴女に“生”を与えましょう。私の愛しい“天秤”がいつも平穏であるように」
歌うように口にすると、それで終わり、とばかりにシシカを返してくる。
「それじゃあね。もう会うこともないでしょうけど、元気でね」
いって、女は去っていく。
ヒューリたちが進んできた道へ。
つまり、
「王都、逆なんですけどね」
「ま、いいんじゃないの? バカなんでしょきっと」
どうでもいい、とばかりに鼻を鳴らすクレハ。
彼女はヒューリに背負われたシシカの背に手を添え、そして、表情を消した。
「クレハさん?」
肩越しにクレハの表情が目に入り、思わず声をかけていた。
「…………あり得ない」
「どうしたんです?」
「完全に塞がってんだよ。傷が」
クレハの驚愕の声。
しかし、ヒューリは女の偉業を訝しむよりも、シシカが無事だったことに胸を撫で下ろした。
「いや、最近の法医はすごいですね。馬車を投げる怪力の法医に、鎌を持った死神のような法医。物騒なのは流行りなんでしょうか?」
「ふざけんなよ、呪術師。殴るよ」
苛立ったように告げるクレハだった。
この後、中継地点の街まで後わずかといったところで、ヒューリたちは一人の男を目撃する。
男といっても、胴から首を分かたれたもの言わぬ骸であった。
装備からして、賊であろうその男の右手には、女ものの下着が握られていた。おまけに、下半身は丸出しという、最期の姿としてはずいぶんと無様な格好であった。
おそらく、女に乱暴しようとしていたところを、通りかかった何者かに見咎められ、そのまま殺されたのだろう。
当然の報いである。
無様な亡骸を見ながら、ヒューリは脳裏に、紫色の髪の妖艶な死神を思い浮かべていた。
帝国との国境に位置する砦で、ガラント・エルグッドは頭を抱えていた。
彼を悩ませるのは、最近になって亡命してきた三名とその行動。そして、その行動がもたらしたこの状況である。
ヒューリ・クロフを追ってきた帝国軍は撃退したものの、それ以降が問題だった。撃退だけなら、さして難しいことではない。帝国との小競り合いは日常茶飯事だ。この堅牢な砦は、そうやすやすと破れるものではない。
が、それ以降。あろうことか、あの“獅子”が進軍してきたという。ヒューリ・クロフはよほどの国家機密を握っているのか、遠征軍を率いていたオーネス・グラリエスは帰国を後回しにして、転身。一万余の軍勢を率いてクルセニス王国に進軍中であるという。
帝国最強の獅子が動くのだ。敵が本気であるのは、間違いない。
ガラントの望まぬ形で、戦況が動いた瞬間だった。
「…………なぜだ」
誰にでもなく、呟く。
何故、今なのか。
退役を前にして、この戦況の変化。激動といってもいいほどのこの戦況の変化は、おそらくガラント自身にも影響を及ぼすだろう。
下手をすれば、退役は遠退き、戦況が落ち着くまでは砦の防衛に従事する羽目になる。
今更である。数日後には、獅子の率いる帝国軍と激突するだろう。報告を聞く限り、平原での正面衝突となる。
「獅子の独壇場ではないか」
老兵であるガラントは、かの聖騎士がいかに人外じみているかよく知っている。
直接戦場で剣を交えたことこそない。が、彼の同輩も、かつての師も、数えきれないほどの人間が獅子の牙の前に破れ去った。そこに強さなど介在する余地はない。ただ、羽虫を払うがごとく、呆気なく絶命を余儀なくされる。
人の身でありながら、どうして獅子に打ち勝てようか。
平原での戦はおそらく、負ける。そうなれば、援軍が必要になるだろう。長く戦場に身を置いていたガラントである。それだけ多くの戦を知っているのもまた事実。声がかかる可能性は濃厚であった。
「どうしたものか」
思わず、嘆息する。
祖国は愛している。忠義も無論。しかし、この老いた将に一体何ができよう。老体に鞭打ち、獅子を止めるか。それこそ、あり得ない話だ。命をかけたとして、獅子にとっては路傍の石だろう。見向きもされず、殺される。
「閣下!」
慌てて駆け込んできた部下に、ガラントは咎めるような声を出す。
「落ち着け馬鹿者が。どうした」
訊くが、大方の予想はついていた。
おそらく、また帝国が手を出してきたのだろう。獅子の邪魔をさせず、砦に釘付けにするつもりか。
果たして、ガラント・エルグッドの予想は見事、的中する。
問題は、敵の将が誰なのか。ガラントの誤算は、攻めてきた相手の素性とその数だった。
「敵襲! 聖騎士ジル・ドーラム率いる大軍です!」
ガラントは炎をまとう剣の旗を脳裏に浮かべながら、立ち尽くしていた。




