猛攻の獅子3
大気がひりついていく。
対峙する獅子から、殺気はない。それでも、相対するだけで相当な労力を必要とした。全身を押し潰すかのような圧力に、リベルカは気を引き締める。
周囲の怒号も、剣檄も、地を蹴る馬蹄の音も、遥か彼方へ遠退いていく。ただ、眼前の敵にのみ意識を集中させる。
「なぜそこに立っている、リインフォード。お前の場所はそこではないだろう」
「私は逆賊のようですよ。ご存じない、と?」
「聞いたとも」
頷き、オーネス・グラリエスはだが、と続けた。
「お前がそうでないことなど、判りきっている。食い下がる豚共は任せておけ。我輩が黙らせてやろう……戻ってこい、リインフォード」
リベルカの身を心の底から案じている。それが判るオーネスの声音に、しかし彼女は頭を振った。
「貴方といえど、それは叶わぬでしょう。私だけでなく、ヒューリ・クロフと白死病の二名も保護できると?」
オーネスは答えない。
それこそが、答えであった。
「貴方を捉え、人質として要求させていただく。それから、無実だと仰っていただけて嬉しく思います」
瞬間、眼前の獅子から殺気がほとばしる。
「考え直す気はないのか」
「申し訳ない。私は、私の正義のために剣を取ります」
リベルカの決意に、兜の下からふっと笑みをもらすオーネス。
「変わらぬな、リインフォード。よかろう」
獅子が今度こそ、剣を構える。
その剣尖から、一直線に流れる殺気。
「久方ぶりの稽古だ。死ぬなよ?」
刹那。
オーネスがすぐそこにいた。
健脚で一息で間合いに入ると、鋭い突きを放つ。
咄嗟に突きを払い退け、反撃に移る。
──一閃。横凪ぎに振るわれた剣を受け止めると、オーネスは手首を返す。と同時にさらに踏み込んだ。たったそれだけで、リベルカの重心が崩れた。
頭上からオーネスの剣が迫る。慌てて身をそらし、紙一重でかわす。
後方へ跳躍。さらなる追撃を繰り出そうとするオーネスから、一気に距離を取った。
「どうした、リインフォード。腕が鈍ったか」
嘲笑うかのように、追撃を止めたオーネス。
余裕のあるその態度とは裏腹に、リベルカは肩で息をしていた。数合打ち合うだけで、異常な疲弊を余儀なくされる。それも、オーネスの熟練した剣の腕が為せる業だ。
剛剣でしられるオーネスだが、その真の驚異は業の冴えにある。
剛柔両道のこの獅子は、突っ込むだけの蛮勇でのし上がったわけではない。
「さすがですね、グラリエス殿」
呼気を整えながら、リベルカは片手で印を結ぶ。
「法術か。実に懐かしいな、リインフォード」
心底楽しそうな口調のオーネス。
一方、術の完成したリベルカは、腰だめに剣を構える。
直後、砂塵を上げて地がめくれ上がる。
あまりの速度に、リベルカの姿がかき消えた。
リベルカの唯一無二の法術。身体強化の法術。本来なら、重たいものが持てるようになる程度の知っていさえいれば、誰でも行使し得る単純なもの。しかし、リベルカの場合は違う。
独自の術式を組み込まれたリベルカのそれは、常人を遥かに超える肉体の強化を可能とする。
「はっはっは。相変わらず速いな。さすがは“疾風”」
縦横無尽に空を裂く連撃。リベルカの動きはすでに、常人では視認できないほどの域に達している。
にも関わらず、オーネスは巧みな足捌きでことごとくリベルカの剣をかわしていく。
「惜しいな。意気やよし──が、未だその域にあらず」
オーネスが剣を凪ぐ。
大気を引き裂きながら突き進む剣。ちょうどその線上に、リベルカが姿を現す。オーネスの剣に引き寄せられるようにして、リベルカの胴が打ち据えられる。まるで、自分から斬られにいったように見えるその光景。
衝撃に脇腹を押さえ、その場に崩れるリベルカ。
理解していた。何のことはない。動きを先読みされたのだ。
吹き飛ばされ、地に激突する。
呻くリベルカの頭上に、オーネスの声が落とされた。
「師の剣を越えたつもりにでもなったか。自惚れるなリインフォード」
冷たく告げると、それを最後に、オーネスは馬上に戻る。
「捕らえろ」
オーネスの指示に、敵兵の一人が応じる。
リベルカに縄をかけようとした、その時。
空が蒼く焼けた。
「これは──いかん! 全軍突撃! 敵に構うな!」
異変に気づいたオーネスが声を張り上げる。それでも、退避を口にはしない。あくまで突撃。それこそ、彼が獅子たる由縁であった。
オーネスの声に帝国軍が新たな動きを見せる。
直後。強烈な光と共に、鼓膜を破るほどの轟音が大気を震わせた。
一切の音が消失し、世界は無音に包まれる。怒号も。悲鳴も。まるで始めから存在していなかったかのように、かき消される。
「どう……なった」
「おい! しっかりしろ!」
光が消えると同時に、視界を確保し、呻くリベルカの鼓膜に、誰かの声が届く。
見ると、心配そうな顔でこちらを窺うシュエレンと目があった。
「シュエレン・ルトニカか。状況は?」
「見ての通りだ」
立ち上がったシュエレンの後を追うように、リベルカも立ち上がる。広がる光景は、凄惨なものだった。
「法術の巻き添えをくった。離脱が間に合わなかったんだ」
黒く焼かれた、おびただしいほどの死体が転がっている。焼けた人肉の臭いに、思わず顔をしかめる。
しかし、シュエレンとリベルカを含め、幾人かは無事のようだった。そのどれもが、クルセニスの兵である。
「護法術か」
呟くリベルカに、シュエレンはああ、と首肯する。
「よくあることだ。俺たち速突隊に護法を修得していない間抜けはいない」
いってから、ちらり、とリベルカに責めるような視線をよこす。
そして、その意味に気づいた。
「悪かったな。法術は苦手でね」
「だろうな。まさか自分んとこの隊に間抜けがいるとは思わなかったぜ」
盛大な皮肉を口にするシュエレン。
しかし、リベルカは構わず、現状把握を優先する。
「オーネス・グラリエスは?」
リベルカの問いに、見てみろ、とでもいいたげにシュエレンは顎をしゃくった。
そちらに視線を向けると、ずいぶん遠くに砂塵が見える。
「さっさと怪我人集めて戻ろうぜ、隊長殿」
仕事は終わったとばかりに、剣を納めるシュエレン。
「その必要はない」
静かに告げるリベルカ。
「なんだと?」
シュエレンの声が怒りに震える。
直後、怒号を上げた。
「ふざけんなよてめえ! やっぱり帝国の回しモンかよ!」
怒りに任せて剣を抜こうと、その手が腰に伸びる。
が、そこでシュエレンは動きを止めた。
いつからそこにいたのか。シュエレンの背後には護衛の男がいた。シュエレンの首筋に、ぴたりと短剣を添えて。
「…………敵対行動を確認。排除しますか?」
小さく低い声で確認してくる男に、リベルカは慌てて制止をかける。
「よ、よすんだ。姿が見えないと思ったら、唐突に何を言い出すんです貴方は」
男は無言でシュエレンから短剣を離す。
それを見て安堵の息をつくと、リベルカはシュエレンに現実を突きつけた。
「シュエレン・ルトニカ。よく聞いて。ここでオーネス・グラリエスを止められなかった以上、戻ったところで意味はない。本陣は崩れているだろう」
そんなはずはない、とでもいいたげに憮然とした表情を向けるシュエレンに、リベルカは続ける。
「帝国軍は止まらない。このまま迂回し、王都からの援軍と合流する」
「クソ食らえです、隊長殿。寝言は寝ていうもんだ」
「君たちを無駄に死なせるわけにはいかない。従え。これは命令だ」
食い下がろうとするシュエレンだったが、言葉を呑み込んだ。渋々頷き、負傷者と残った隊員を召集する。
果たして、リベルカの言葉が現実のものとなるのを、シュエレンはこの後、知ることとなる。
──この日、圧倒的兵数を誇るクルセニス王国軍は、獅子オーネス・グラリエス率いる帝国軍に惨敗することとなった。いいように蹂躙され、王国軍は呆気なく潰走。殿を引き受けたガトウ伯爵の奮戦も虚しく、獅子の一刀のもと、討死。あえなく全滅となった。




