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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第二章【獅子】
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猛攻の獅子

 

 軽く握った長剣をゆっくりと頭上に掲げる。手に返ってくるのは、馴染んだ感触。

 上段で長剣を構え、一つ呼吸を挟む。握りは強く、振りは全身で。振り下ろす。長年の修練で培った速く鋭い一撃。

 長剣を振り切った姿勢のまま、リベルカ・リインフォードは背後の気配に声をかけた。


「何用です。まだ時間ではないはず」


「失礼。しかし、ことは急を要します」


 ──とうとう来たか。

 リベルカは振り返る。口許を布で隠した細身の男である。護衛にと王から寄越された人間だが、どう見てもただの護衛ではないのは明らか。騎士というよりも、暗殺者といわれた方がしっくりくる格好である。

 物静かな男で、こうした時以外にはまったく口を開かない。それどころか、護衛にも関わらず、ほとんどリベルカの側にいない。大方、どこかから見張っているのだろう。なにせ、全くといっていいほど気配のない男なのだ。ある程度、訓練を積んだリベルカでさえ、気配を察知するのに苦労するほどに。


「北東より進軍中とのことです。おそらく、明朝には国境を越えるものかと」


 状況を訊ねるリベルカに、現状と自身の推測を合わせて報告する護衛の男。

 北ではなく、北東。つまり、オーネス・グラリエス率いる東部遠征軍は、帝国に戻らずそのまま進軍してくるということか。

 ──ずいぶんと焦っているな。それがリベルカの率直な感想だった。

 つい先日にリベルカが聞いた話では、東部との交渉は見事に決裂。その上、海上での戦闘を余儀なくされ、あろうことか兵の半数近くを失って大敗に喫したという。

 あの獅子がである。

 それほどに、かの地の海賊は手強いのだろうか。

 それともただ、不馴れな海上での戦闘が敗因に繋がったか。

 どちらにせよ、クルセニスに向かっているのは間違いない。順当に行けば、平原での戦闘となるだろう。獅子のもっとも得意とする戦場である。

 頭に叩き込んだクルセニス領内の地図を脳裏に広げる。


「ガトウ伯爵の旗下に配属とのことです。貴女のお望み通り、最前線に配置されるでしょう」


 それでいい、とリベルカは頷いた。

 オーネス・グラリエスは自ら率先して最前線で戦う男だ。一軍を率いる将でありながら、後方での指揮を嫌う。それも、極端に。

 対峙するからには、自身も最前線に身を置かねばならない。


「それで、私を呼びにきたというわけですか」


 問うリベルカに、男は短くはい、と肯定する。

 気配もなければ、声まで小さい男である。おまけに線も細い。女といわれた方が納得がいくほどだ。それでも、その立ち姿からは一切の隙がない。相当の手練れなのだろう。


「…………なにか?」


 じっと見られていたことに不審を抱いたのか、これも小さな声で疑問を投げかけてくる。


「いや、失礼した。ずいぶんとその、細身なのですね」


「体格には恵まれませんでしたので」


 それでは、と男はリベルカを案内しようと背を向けた。

 ついてこい、ということだろう。





 案内されたのは、王都の門前。

 すでに身支度を整えたクルセニス兵がずらりと整列している。三万近くはいるだろうか。その三割近くは、騎馬である。


「来たか、リベルカ・リインフォード」


 待ちわびたぞ、とでもいいたげに馬上の男が冑を脱いだ。

 男の顔があらわらになる。クルセニス人に多い金髪だ。鮮やかなそれには、わずかに白髪がまじり始めている。

 それよりも、リベルカの目を惹いたのは男の右目に刻まれた傷である。額から頬にかけて走る裂傷が、通過する右目を潰している。紛うことなき、戦場での傷。


「ラッセル・フォン・ガトウだ。お前の母上には世話になった」


 懐かしむように目を細め、微笑む男。

 厳めしい顔に似合わず、ずいぶんと柔和に微笑むものだ。とリベルカが場違いな感想を抱いていると、ガトウはリベルカの背後に視線をやった。


「そこの細いのは?」


「私の護衛です、閣下」


 自分を呼びにきた護衛を知らないのか。てっきり、ガトウの指示で迎えがきたのだと思っていたが。

 疑問に思いつつもリベルカが告げると、そうか、とガトウはさして気に留めることもなく頷く。


「お前には、小隊を率いてもらう。希望通り、最前線で暴れまわる速突隊だ。実に心苦しいことだがな」


 苦々しく告げるガトウ。おそらく、王命なのだろう。ガトウの様子を見るに従うより他ない、といった感じだ。納得はしていないが、渋々といったところか。

 母に世話になったというからには、その娘をむざむざ死地に追いやるようなことを是とはしないだろう。


「そこの護衛。命に代えても守ることだ。己が使命を果たせ」


 厳しい声音でいうガトウに、護衛の男は小さくはい、と頷きを返した。


「閣下、少しよろしいでしょうか」


 しばしの躊躇いのあと、リベルカは口を開いた。

 所詮、リベルカは新参者。正規の従軍ではない上に、唐突に現れた女がその場で小隊長に任命である。妬ましく思いこそすれ、快く思う者などいるはずもない。それに輪をかけて、元が敵国の騎士である。歓迎的な視線を向ける者は、ガトウを除いて誰一人として見当たらなかった。

 差し出がましい真似は控えるべきところなのだろう。この場の空気の悪さに拍車をかけるだけだ。しかし、相手があのオーネス・グラリエスとあっては口を挟まずにはいられない。


「閣下はよせ、リベルカ・リインフォード」


 リベルカの躊躇う素振りから、その胸中を察したのか、ガトウは渋面を浮かべ、気をつかうな、とばかりに掌をひらひらと振ってみせた。


「では、ガトウ殿。少しお話が」


 ここにきて、周囲の視線がさらに冷たくなるのをリベルカは感じた。

 大方、新参者が意見するなど信じられないのだろう。おまけに帝国騎士の意見。下手をすれば、罠である可能性もある。リベルカにしても、周囲の反応は当然のものだと思う。

 しかし、兵たちのざわめきなど意にも介さず、話してみろ、とガトウは頷いた。


「聖騎士オーネス・グラリエスについてです。私の知る限り、かの獅子は勇猛にして苛烈。真っ向から勝負を挑んだところで、苦戦は必至。相応の用意をもって迎え撃つべきかと」


 瞬間、整列した兵の中から怒号が放たれる。


「ふざけるな! 我々が劣るというのか貴様はっ! たかが一万の軍勢に!」


 オーネス・グラリエス率いる帝国軍はおよそ一万。

 対する王国軍は、おそらく三万をくだらない。その兵数は、実に三倍。数の上では圧倒的でさえある。

 その上、小細工の利かない平原での戦となれば、単純に数の暴力が戦況を支配する。

 しかし、


「数は問題ではありません。帝国の聖騎士に常識は通用しない」


 ガトウに意見する姿を見せながら、さりげなく怒号の主への牽制も忘れないリベルカ。

 その態度に、兵の中から次々と非難の声が上がる。


「いい加減にしやがれ! 帝国人がっ!」


「俺たちをどうするつもりだ!」


「黙って従え!」


 次々と鼓膜を打ち据えてくる暴言の数々に、しかしリベルカは反論しない。

 ただ、静かに黙したままガトウの反応を待つ。


「──静まれ」


 ガトウの遠雷のごとき声が落とされる。

 声を上げてはいない。喧騒の中に、たった一言。ただそれだけで、周囲は水を打ったかのような静けさに包まれる。

 その姿に、リベルカは内心でほう、と思った。ガトウという男は、武でならした人物なのだろう。周囲の反応を見るに、ただの貴族ではないのは明白。肥太ることしか能のない祖国の豚どもにも、見習ってほしいものだ。

 物音一つしなくなった周囲を確認すると、ガトウはリベルカに問いかける。


「策はあるのか、リベルカ・リインフォード」


「──待ってください!」


 リベルカの話を聞く姿勢に入っていたガトウの前に、一人の兵士が進み出ていた。

 冑を取り払って跪く。少しくすんだ金髪が肩に流れた。兵士は、失礼ですが、とガトウに前置きし、振り向く。リベルカに向けられたその瞳には、憎しみの炎が揺れている。


「こんなやつの策に乗るなど、正気ではありません」


「シュエレンか……話を聞くだけだ。下がっていろ」


「し、しかし!」


「二度はいわんぞ」


 有無をいわさぬ口調で告げるガトウ。

 悔しげにうつ向くと、失礼しました、と列に戻っていく。


「部下が失礼した…………それで? 策はあるのか、リベルカ・リインフォード」


 リベルカは頷いた。


「まずは、一刻も早く陣を敷くことです。オーネス・グラリエスは進軍の勢いそのままに、突撃してきます」


 それを防ぐには、帝国軍よりも先に陣を敷く必要がある。

 防備を整え、迎撃する。複雑な策など獅子の前では意味を為さない。

 ただ、正面衝突だけは避ける。リベルカの策は、策と呼べるかどうか怪しい、実に単純なものだった。














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