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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第一章【逃亡】
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白き病3

「気にしないでください。いえ、むしろ気にしないことをおすすめします」


 気楽な調子でいうアレス。

 しかし、それは無理な相談だった。

 何しろ、鼓膜に届く“音”はより鮮明に、明確に、それが“声”であることを告げていたのだから。


「あいにく、私は繊細なタチでして。これが声だと気づいた以上、今すぐにでもここを出ていきたい気分です」


 果たしてそれは怒声か。悲鳴か。それとも呻き声か。声であることに違いはない。確かなのはその声が、およそ人から出てくるとは思えない異様なものだということ。

 今もなお、下方から競り上がってくる苦悶に満ちた声。到底無視できるものではなかった。そこまでヒューリ・クロフという呪術師は異常ではない。


「まあまあ。それより、話を続けましょう」


「是非そうしてください。頭が素敵なことになりそうだ」


 疲れた様子で息を吐くヒューリ。

 その足取りは酷く重い。

 どこまで話をしたか問いかけてくるアレス。ヒューリが簡単に説明してやると、彼は再び続きを語りだした。


「そうそう。二つの組織に属さない例外中の例外、残りの一割がそれです。聖帝十三騎士。その名の示す通り、十三名という極少数で編成されます。その全てが一騎当千の騎士だとか。加えて皇帝陛下の勅命を除き、独断による軍事行動が許されています。まあ、一人で騎士団全てに相当すると思っていただければよろしいかと」


 つまり、とアレスは次のように締めくくった。


「リベルカ・リインフォードは女性にして、唯一聖騎士に選ばれた特殊な人間ということです。おまけに類い稀な美貌と、誠実な性格もあって騎士団だけでなく、民衆にまで慕われているほどです」


「あの愛想の欠片もない女性がですか? 信じられませんね。驚きです」


 そこでふと、ヒューリの脳裏にはある疑問が浮かんだ。

 それほどの実力者であるにもかかわらず、何故、彼女は忌み嫌われる存在である“厄種”の護衛などにつかされているのだろう。

 何かにつけてヒューリに便宜を図ってくれる皇帝──その勅命であったにしても、些か度が過ぎている。


「……それに、彼女は帝国人ではないはずだ」


 ぼそり、と思わず口をついて出てしまった言葉。

 待ってましたとばかりに、アレスが即座に食いついた。


「そう! そこなんですよ! 彼女が女神がごとく崇拝される理由は。彼女は平民の出。それも南部地方との混血なのです」


 これには、さすがのヒューリも声を失った。

 帝国では、軍に身をおく者に課せられた条件がある。一部の例外を除き、生粋の帝国人であること。

 その例外が、リベルカ・リインフォードということになる。

 加えて、あの南部地方である。


「つまり、彼女の実力はそれほどのものだと?」


 ヒューリの問いに、先を進むアレスは頷いた。


「なるほど。しかし、それならなおのこと疑問ですね」


 ヒューリの疑問は、何故それほどの人間が自分のような者の護衛についているのかということ。


「疑問、ですか?」


「ええ。陛下の勅命にしては、決定までの流れが異様に早かったように思えます。それほどの騎士ならば当然、周囲の反対もあったでしょう」


 祖国が抱える最強といっても過言ではない戦力。国勢の担い手でもある聖騎士を、例え主君の命であったとして、迂闊に“厄種”の側へと近づけさせるだろうか。

 ヒューリは当初を振り返ってみるが、やはり疑問は残る。

 唸るヒューリに、アレスはそんなことですか、と笑った。


「周囲の反対はなかったそうです。いえ……むしろ推薦していたようですよ。かの高名な“特一級術師”ならば聖騎士こそが相応しい、とね」


「高名な、ですか。いやはや、本当に恐ろしいですね。彼らの口は一つじゃないらしい」


 悪魔だ何だと、さんざん人に罵声を浴びせてきた。

 そんな連中の口から、今度は真逆の言葉。見事な手のひら返しである。


「実に人間らしい」


「ははっ。まるで自分は人間じゃない、とそう云ってるように聞こえますよ」


 と、返すアレスの声に別の声が重なった。

 声というより発狂に近いそれに、ヒューリは思わず身震いする。

 もう随分、下ってきたのだろう。周囲に光はなく、アレスの背中だけが辛うじて視認できる。


「法気の欠如、というのは珍しいですからね。それが先天的ともなると……まあ、常人の理解を軽く越えちゃってますね」


 周囲から忌避されるのも致し方ない、とアレスは言外に告げる。

 ヒューリは返答しない。いや、できないといったほうが正しい。

 発狂する声を耳にしてからというもの、多種多様の声が鼓膜をつついてくるのだ。

 それらは例外なく負の感情からくるものであり、聞いただけで身の毛もよだつほどの悲痛な響きに満ちていた。


「…………うっ」


 漂ってきた異臭に、吐き気を抑えるように口元を隠すヒューリ。

 肉の焼けただれるような臭いと、それが腐っていく臭い。すえるような異臭が、鼻腔を刺す。


「人間は理解できないものには恐怖するものです。そしてまた、遠ざけるという選択以外に恐怖を克服する術を持たない」


 気にしない方がいいですよ、とわざと明るい声でアレスはいった。

 滅多に触れることのできない、他人からの気遣い。普段なら素直に嬉しさを感じていたことだろう。しかし今、ヒューリはそれどころではなかった。


「──よっと。お待たせしました、ヒューリ・クロフ様。到着です」


 到着。最後の一段を下りると、ヒューリの足はやっと床に届いた。

 眼前には、炎が揺らめいていた。暗黒をただ一点のみで照らす松明が、心もとない小さな火の粉を散らしている。

 血臭と腐敗臭が充満し、冷たい空気が支配する空間。

 怒号が飛び交い、絶叫が大気を揺らす。

 鉄格子を引っ掻くような耳障りな音が響き、どこからともなく足音が聞こえてくる。


「──っ!?」


 と、反射的にヒューリは振り返った。

 すぐ後ろで足音が聞こえたような気がしたのだ。


「ああ、気にしないでください。うろついてる連中は基本的に無害ですので。もう壊れていますからね」


 何でもないことのように、松明を手に取ったアレスが口にした。


「見かけによらず豪胆なようですね貴方は。さすがの私もここに放り込まれるのはごめんですね。出してください、と頭を下げた方がいいんでしょうか?」


「すぐに出れますよ。それより、上を見てください」


 素直にアレスの言葉に従って、ヒューリは上を向く。

 あれだけ巨大だった穴が暗黒の中、小さく浮かんでいる。まるで夜の太陽のようだった。


「千年塔。その由来は、罪人たちが出口を見上げる様から来ているのだとか。千年あっても登り切れない塔、というわけです」


「なるほど、よくわかりました。では早速、私をここへ連れてきた理由をお聞かせ下さい。一刻も早く」


 早口で捲し立てるヒューリ。

 牢獄の名前などどうでもよかった。

 要件を済ませ、さっさと出ていきたい。

 それが伝わったのだろう。アレスは頷き、何も言わずに歩き出した。


「聖域《アル=エルドール》。帝国はかの地に眠る力を欲しています」


 アレスの声の調子が変わる。声の響きに明るさはなく、ただ淡々と口にするその様は、自分の口で他人から与えられた言葉を紡いでいくかのようだ。


「調査は幾度も実行されましたが、その結果は全て失敗。大量の行方不明者を出す結果に終わりました」


 これは恐らく、ヒューリ・クロフに向けられた命令なのだろう。その代弁者がアレス・ルインオーラというだけのこと。


「行方不明者の中には、帝都有数の術師も含まれます。そこで次の調査団に、“特一級術師”および“聖騎士”が選ばれました。しかし、それでもやはり不安は残る」


 故に、帝国は最終手段に打って出た。


「極悪人に協力を仰ぐ。それも、万死の罪に値する者。要するに、化物に手を貸してもらおうと考えたわけです」


「冗談じゃない!」


 聞き終わるや否や、ヒューリは怒号を上げていた。

 万死の罪に値する者──それはつまり帝国領内で最も重い罪を背負った咎人ということになる。最も重い罪を背負い、それでいて国が切り札にするほどの強大な力を持つ化物。


桎梏(しっこく)から獣を解き放つつもりですかっ! 聖域に着く前に食い殺されるだけだ!」


「そう。重要なのはまさにそこです。だから呪術師を選んだ。僕が思うに、この件は最初から、その罪人を使うつもりだったんじゃないかと」


 と、すっかり本来の調査に戻ったアレス。その先は、ヒューリもとっくに判っていた。


「貴方自身を罪人の桎梏とする。《呪縛》は貴方も得意なのでは?」


「なるほど。話は判りました」


 判った上で、拒否の意を口にしようとしたヒューリ。その眼前を進んでいたアレスが不意に立ち止まった。


「あれです」


 アレスの示す先に、それはいた。

 松明に照らされながらもなお暗い空間に、爛々と輝く二つの白。時折明滅するそれが、瞼の開閉によるものだと判ると、ヒューリは改めてそれを見た。

 闇に浮かぶ白き双眸。真っ白なそれは、未だ光を失ってはいない。爛々と輝く様は、獲物を待つ猛禽類のごとく。

 発狂するでもなく、泣き叫ぶでもなく、ただ一点を見つめたまま微動だにしない。

 アレスが檻に近づいていく。つられてヒューリも後を追う。


「こ、これは……」


 照らされた獣の姿を間近に見て、ヒューリは目を見開いた。

 万死の罪。化物と呼ばれる極悪人。帝国最悪の獣は、想像とはかけ離れた容姿でヒューリを出迎えた。


「これがそうです。気をつけてくださいよ。見た目はこんなのですけど、なかなか凶暴なので」


 アレスの忠告を曖昧に頷いて聞き流す。


「聞いたこともないな。こんな馬鹿な話」


 ぽつり、ともらしたヒューリの視線の先にいたのは、まだ十かそこらの少女。服は剥ぎ取られ、全裸で鎖に繋がれている。

 牢の中はお世辞にも綺麗とはいえず、砂埃と糞尿にまみれていた。

 ただでさえ、異臭の漂う空間。それも狂った人間の負の感情に満ちた牢獄である。どう考えても、幼い少女がいていい場所ではない。


「彼女を連れていけばいいんですね、判りました。早速お願いします」


 感情を抑えつけ、淡々と口にするヒューリ。

 すると、既に鍵は開けていたようで、牢に入っていたアレスは手招きでヒューリを誘う。

 ヒューリも牢の中に入った──と同時。

 不意に、少女が動いた。

 鎖に繋がれているにも関わらず、それをものともせずにアレスに飛びかかる。

 一方、アレスは僅かに動いたのみ。

 指先を少女に向けていた。それだけで、少女は縛られたかのように動かない。


「なるほど。封術師だったんですね。道理で平然としているわけだ」


 一人納得するヒューリ。

 一方、少女は犬歯を剥き出しにしてアレスを睨み据えていた。




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