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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第二章【獅子】
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灰色の足跡

 


 白王山脈。

 大陸の北部全域を包み込むようにして流れる名もなきこの山脈は、寒く厳しいその気候のせいか、いつしか地元の人間から畏怖を込めた名で呼ばれるに至った。

 それが、この白王山脈である。

 年中真冬といっても過言ではないほどの気候は、あらゆる生命の存在を赦さず、大自然を前に、いかに人間が非力な動物か、改めて思い知らされる思いで男は空を仰ぎ見る。


「…………吹雪がくるな」


 突風にあおられ、顔面に張りついた前髪を鬱陶しそうに片手で払うと、ぼそり、と呟く。空は快晴そのもの。ところが、風は徐々にその威勢を増しつつある。山の天気は変わりやすい。じき、吹雪となるだろう。

 独りが長いせいか、最近ではずいぶんと独り言も多くなった。やれやれ、と男は再び歩き出す。

 男がこの山に移り住んでから、実に三年になる。生命の息遣いなどまるで感じない白王山脈。当初は生きることを諦めもした。しかし、住めば都とはよくいったもので、一年も立てば飢えることもなくなっていた。

 肌を焼くほどの極寒にも関わらず、野性の動物がいたのだ。幸運にも、山に放り出される以前は狩人だった男である。魔獣ではない野生の獣を狩ることなど、そう難しいことではない。

 いくつかの幸運が重なったおかげで、男は未だに命を繋ぎ止めていた。


「…………ん?」


 罠を仕掛けた場所まで戻ってくると、予想とは違った光景に、男は首を傾げた。

 吹雪がくるとわかっている中、狩りを続行する訳にもいかず、仕掛けた罠を片付けようと、戻ってきたのだ。仕掛けもただではない。それ相応の手間がかかる上、材料集めからとなると、次の食事は一体いつになるのか。だからこそ、しっかり片付けようと戻ってきてみれば、この光景である。


「あ、あー……おい」


 おそるおそる声をかけるが、反応はない。

 男の眼下には、一人の少女がいた。全身を仕掛けていた網に巻かれ、捕らわれの身となっている。ずいぶんと暴れたのだろう。周辺に積もっていたはずの雪はなく、代わりに顔を出した土面はめくれ上がり、幾度となく引きずったような後が見受けられる。


「お、お嬢ちゃん? しし死んじまうぞ。こ、こんなとこで寝てちゃ」


 その場に座り込み、改めて少女を見る。

 その容姿に、男は思わず息を呑んだ。まず、その端正な顔立ちに目がいった。格好は襤褸(ぼろ)をまとっただけ、という旅装にしても、ずいぶんと心許ない。一見すれば、物乞いとさして変わらぬ装いである。しかし、そんな“ナリ”でさえ、少女の美貌は際立っていた。

 見たこともないような灰色の髪に、筋の通った鼻梁。形のいい薄紫色の唇から漏れる吐息は白く、寒さにかき消されるようにして、大気へと溶けていく。

 さらされた素肌は、いっそのこと幻とでもいわれた方が納得のいくほどの白。周囲の雪が霞んで見える。


「お、おきろ。おい」


 何度呼びかけても、反応がない。だが、死んではない。それは、彼女の吐息を見れば明らか。それに、胸も規則正しく上下している。本当にただ、眠っているだけのようだった。

 この寒さに、この軽装である。どういう神経をしているのか、気持ちよさげに眠る少女を、男は怪訝な顔で見つめていた。

 しばしの逡巡の後、男は懐から木の枝を取り出した。これもまた、罠の材料の一つ。それを、腫れ物にさわるように、慎重に少女の頬へと伸ばしていく。

 と、そこで。


「──ありゃ?」


 ぱちり、と少女が目を覚ました。


「うおおおっ!」


 唐突に目覚めた少女と視線が合うなり、男は飛び上がった。


「えっ? な、なに?」


 状況が判っていないのか、少女は戸惑いを隠せないようだった。きょろきょろと視線をさ迷わせ、やがて、自身を捕らえる網に目がいった。


「はい? えーっと…………」


 困ったように笑うと、男に咎めるような視線を向けてくる。


「私、動物じゃないんだけど? どういうことかな、これ」


 いって、身体に巻きつく網を持ち上げて見せる。

 その漆黒の瞳が、男を射抜く。綺麗な瞳だ。夜空をそのまま落とし込んだかのような、切れ長のそれを、男は食い入るように見つめてしまっていた。


「なに? おじさん、もしかして変態なの?」


 少女の視線が、より一層険悪なものへと変わる。

 はっと我に返ると、男は慌てて首を振った。


「ご、ごご誤解だ! そんな趣味はない!」


「じゃあなにさ、これ」


「し、知らん! 俺がみ、見つけた時にはもう」


 こんなところで不審者扱いされてはたまらない。ただでさえ、こうして人と話すのは久しぶりなのだ。もっと有意義なものであっていいはず。


「あ、そうか。あのまま寝ちゃってたのか。うわーまっずいなあ。どうしよう」


 納得はしたのか、一人でぶつぶつと呟く少女。

 そして、いきなり弾かれたように顔を上げた。


「ねえ! 男の子見なかった?」


 こんくらいの、と自分の胸の辺りに手を添える。

 少女は小柄だ。年の頃は十六、七といったところか。それにしても、やや低い。そんな彼女の胸の辺りというと、それはもう十にも満たないであろう幼子に違いない。


「し、知らん。連れ、か?」


 答える代わりに、少女の顔がみるみる蒼くなっていく。


「やばい。これはやばい」


 やばいやばい、と繰り返す少女に、男がはぐれたのかと問うも、返答はない。ただひたすら、頭を抱えてうなっている。


「まずいな。こんなとこだもんなあ。死んだかも」


 物騒な自分の発言に、さらに表情を蒼くする少女。

 どうやら、連れとはぐれたようだ。それも、うんと幼いであろう少年と。


「と、とりあえず、移動しないか? ここは危険だ。もうじき吹雪になる」


 遠慮がちにいってみる。が、少女は呆れたような顔で、両手を上げて見せた。この状態を見ろ、とでもいわんばかりに。


「このまま連れていく気?」


 そこでようやく、男は気づく。少女の身が未だ、捕らわれのままだったということに。

 慌てて罠から少女を助け出すと、そのまま回収の作業に入る。


「ほえー。手慣れてるね、おじさん」


 感心したようにいってくる少女に、男は後頭部をかいた。

 人から褒められるなど、何年ぶりだろう。

 途端に、嬉しさが込み上げてきた。そのせいか、調子に乗って余計なことまで喋ってしまう。


「こ、これはまだ簡単なやつだ。もっとすごいのもある。み、見せてやる」


 少女は特に興味もないのだろう。

 返答もせず、またも頭を抱えてやばいなあ、と独りごちていた。


「と、とにかくだ。ここは危ない。つ、ついてくるといい」


 しどろもどろになりながらも、男は提案する。少女の返答はない。それを勝手に肯定と受け取って、男は踵を返す。






 目的の場所までくると、視界に飛び込んできた光景に、男はあんぐりと大口を開けて立ち尽くす羽目となった。

 穴ぐらである。元はおそらく、野生の獣の住みかだったのだろう。今では獣ではなく、男の寝ぐらとなっている。

 そんな見慣れた洞窟内に、見慣れない男がいた。いや、正確には少年だった。もっといえば、かなり幼い。

 男に断りもなく、さも当然のように上がり込んでいたその少年の無作法っぷりは尋常ではなかった。勝手に上がり込んだだけでは飽きたらず、あろうことか、おこしたての火で食事にありついていたのだ。

 ほどよく焼き上がったそれを頬張りながら、男の方に誰だろう、とでもいいたげな視線を向けてくる。

 こっちの台詞である。


「な、なんだお前っ!」


「ふぐ? ほがへごほ」


 口のものを咀嚼しながら、もごもごと理解不能な言葉を吐く。

 非難の声を上げようとした男の脇から、灰色の頭がひょい、と顔を出した。

 途端、声を張り上げた。


「あーっ! 何やってんだよクーヤ!」


 少女の声に、目を見開いた少年は咀嚼していものを飲み込み、彼女と同じく声を張り上げる。


「イサナっ!? どこいってたのさ!」


 責めるような口調で告げながらも、少年の表情は歓喜で満ちている。走り出し、少女の胸の中へと飛び込んだ。


「ずっと探したんだ! すごく寒いし、獲物もいないし」


 大変だったんだから、と声を上げる少年はまだ幼い。きっと、一人で心細かったのだろう。少女の胸に顔を埋めたまま、肩を震わせていた。


「はいはい。よしよーしっと。私が来たからにも、もう安心だ」


「何いってんのさ。どうせまたどっかで寝てたくせに」


 拗ねたようにいう少年の頭を、ごめんごめん、と優しく撫でてやる少女。その目が、優しげに細められている。

 慈愛に満ちた表情だ。きっと、姉弟二人で旅をしているのだろう。なんと感動的な再会か。

 不意に、込み上げてくるものがった。それを堪えようと、目頭をつまみ上げる男。


「──さて。それじゃおじさん」


 真剣な表情で告げる少女。

 しかし、すぐにそれは困ったような苦笑へと変わる。


「食べ物を頂けないかな。ほんの少しでいいんだけど」


 物乞いのような格好をした少女は、紛れもなく物乞いであった。



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