双頭の蛇11
呑気に口を動かしていたローランの頬に、クレハは左の拳を叩き込んだ。
吹き飛ぶローラン。
振り向けば、何故か顔を蒼くした女の姿が目に入った。
知り合いなのだろうか。どちらにせよ、今はどうでもいい。
「立てよ、クソ野郎が」
吐き捨てるクレハの眼前。舞い上がった砂塵の中から、ローランは立ち上がる。気色の悪い笑みを浮かべながら。
「酷いな、クレハ。僕がいったい何をした」
「黙れ。はなっからてめえは気に入らなかった。ここで殴り倒して、サリヴァンを元に戻してもらう」
もちろん、その後は殺す。
言外に告げた死刑宣告。しかし、ローランは笑みを崩さない。
それどころか、クレハにはではなく、震える女に視線を向けていた。
「その反応……やっぱりそうか」
瞬間、ローランの顔から一切の表情が消え失せる。
ローランのその無表情には、何度か覚えがあった。
──まずい。
「逃げな! お嬢ちゃ──」
叫ぶクレハの言葉は届かない。
何故なら、すでに女の側にはローランがいた。いつのまにか取りだした短剣を女の胸に突き刺した状態で。
「くっ、てめえローラン! そいつは関係ねえだろうがっ!」
怒号を上げるクレハ。
しかし、ローランはそもそも聞いていないのか、一人でぶつぶつと何事かを呟いている。
「いけないなあ。君にその資格はないんだから」
今ならまだ、救える。
胸元から短剣を抜き、とどめを刺そうとするローランへと、クレハは疾駆する。
間合いに入ると同時に、掌をローランの胸に添える。そして、ありったけの法気を集中させた。
しかし、
「──な、に?」
変化はない。
きょとん、とした表情で首を傾げたローランと目が合う。
それなら、と再びありったけの力を乗せて拳を見舞う。
頬に直撃し、またも飛ばされるローラン。
それを見やり、忌々しげにクレハは舌を打つ。
「クソッたれが。てめえ“厄種”だったのかい」
何事もなかったように立ち上がるローラン。
その顔には、やはりあの気色の悪い笑みが張りついている。
「その呼び名は好きじゃないなあ」
困ったように笑うローラン。唐突にその眉が、ぴくり、と跳ねる。
「どうやら、彼がくるようだ。クレハちゃん、その子は君にあげるよ。ただし──」
ローランの姿が消える。
「──これは僕のものだ」
背後からの声にクレハが振り向くと、そこにはいつのまにか眠っていたシロを抱えるローランの姿。
「てめえ!」
動きだそうとするクレハ。しかし、身体がいうことを聞かない。
「封術か……クソッたれ」
眉根を寄せるクレハに、なおもローランは笑う。
「これも運命なんだろうねえ。君と彼がきちんと役割を果たせるよう、願っているよ」
いいたいことはいった、とばかりにローランはシロを抱えたまま背を向ける。
「待ちやがれ変態野郎! 覚えておきな! 必ずだ。必ずけじめは取らせてやる!」
エルミラ峡谷をさ迷っていたヒューリは、聞こえてきた声に顔を上げた。
川辺でその冷たさに堪え忍びながら顔を洗っていたところ、少女のものと思われる叫び声が、ヒューリの鼓膜を打った。いや、正確には怒号だろうか。
顔を拭い、声のした方向へ歩き出す。
少し開けた場所にくると、視界に飛び込んできた光景に、思わず声を張り上げる。
「シシカっ!」
弾かれたように駆け寄るヒューリ。
改めて見れば、胸の辺りから大量の血を流し横たわっているシシカと、そのすぐ側には見覚えのある桜色の髪。
その手が、シシカの傷口に差し入れられているのを見て、制止の声を上げそうになる。が、少女が法医だといっていたことを思い出し、別の言葉を口にした。
「…………状態は?」
「なんともいえないね。心臓がやられてる。相変わらず、憎たらしいくらい正確な一撃だよ」
急所だ。いくら法医とはいえ、簡単にはいかない。それは、険しい表情を浮かべる少女の顔を見ても明らかだった。
「何か、私にできることは?」
「手でも握ってやりな。後は神にでも祈っとくことだ」
にべもなく告げる少女。
しかし、ヒューリにできることなど何もない。
黙って、シシカの手をとる。
「ゆ、ユ……ウリ?」
「シシカ。僕だ。わかるかい?」
口を動かすのも必死なのだろう。小さく頷くシシカ。
「しっかりするんだ。傷はひどくない」
嘘だった。
心臓に達するほどの傷だ。致命傷に違いない。それでも、ヒューリは嘘を吐き続ける。
「血も止まっている。後は気力だけだ。僕を連れて帰るんだろ?」
小さく微笑むシシカ。
その瞼が、落ちる。同時に、握っていた手から力が失われた。
「シシカ!? 起きるんだ!」
「やかましい!」
慌てふためくヒューリに、少女の怒号が刺さる。
「山は越えた。後は安静にしとくことだ──ってアンタ」
そこでやっと、少女はヒューリに気づいたようだった。
「ヒューリ・クロフです。貴女は?」
ヒューリが名乗ると、クレハの表情が激しく歪む。やがて、苦笑まじりに己の名を口にする。
「クレハだ。それにしても、間の悪い話だねえ」
どういうことか、と訊ねる前に、クレハはことのあらましを語ってくれた。
「──なるほど。シロはもうここにはいないのですね」
語り終えたクレハは頷く。
「ああ。悪いね。このお嬢ちゃんを放っておくわけにもいかなかった」
「いえ、感謝しています」
二人は現在、クルセニス王都へと歩を向けていた。
シシカを背負うのは、体格的にヒューリが妥当であったために、彼が請け負った。
命を繋いだとはいえ、未だシシカは重症である。しかるべき施設で安静にしておく必要があった。なにより、ヒューリには詳しい話を聞いておかなければならない。
シロの行方と、ローランという少年の話を。
クレハの話では、ローランとやらはヒューリのことを知っているような口振りだったという。
無論、ヒューリに同じ厄種の知り合いなどいない。
それに、シロを連れ去った理由も釈然としない。本来なら、忌避されてしかるべき存在なのだ。
白死病というだけで、忌避される。
にも関わらず、ローランはシロを必要としているという。
「あーそれと、私はこれでもお尋ねもんだ。その辺は上手くやってくれよ」
歯を見せて笑うクレハに、ヒューリは苦笑を返す。
「クルセニス王は理解のあるお方です。心配には及びません」
にこり、と微笑むヒューリに、クレハはあからさまに顔をしかめた。
「やめなよ、その愛想笑い。善人面した悪人みてえだ」
心外である。
確かに愛想笑いではあるが、ここまで酷評されたのは産まれて初めてのことだった。
「傷つきますね。私が悪人に見えますか?」
「嘘くせえってんだよ」
毒づきながらも、クレハは笑う。
「アンタ、帝国は長かったのかい?」
急に話題を変えるクレハに、訝りながらもヒューリは記憶を探る。
「ほんの数年です。それがなにか?」
ヒューリに問いに、クレハはいや、と首を振った。
眉間にしわを寄せ、うーん、と何かを考えるような顔つきになる。
「なら、知らないか。いやね、ここ最近の帝国はずいぶんと派手に動いてるだろう? どうにも、気になってね」
なるほど、とヒューリは思った。
近年、南部との開戦を皮切りに、北部国境への砦の建設。新兵器の開発や術の研究。果ては、東部への遠征。確かに、派手に動いてはいる。
それもこれも、シャルマン・ロゼが筆頭法術師に任命されてからである。
「私も気にはなっていますがね。まあ、今更ですよ」
そう、今更なのだ。
なにしろ、もうヒューリは帝国の人間ではない。
「おいおい、今度の戦は今までのようにはいかないよ? いくら王都に引っ込んでたって騒がしくなる。あまり時間はないよ。とんずらするならね」
おそらく、ヒューリの身を案じての発言だろう。しかし、それよりも引っかかることがあった。
「なんの話です?」
「ああ、そうか。まだ知らないんだね」
だから何を、と訊ねようとしたヒューリは、クレハの次の言葉で絶句する。
「“獅子”が戻る。いや、違うね」
獅子。
オーネス・グラリエス。帝国の内部事情に詳しくないヒューリですら、その名に覚えがある。
帝国最強の将。
「攻めてくる。東部で上手くいかなかった腹いせにね」




