双頭の蛇10
「そこ、どいてくれる? 貴女に用はない」
刀を構え、従わなければ斬る、と視線で告げるシシカ。
一方、桜色の髪の少女はこれに動じることなく、それどころか挑発的な笑みを浮かべ、拳を構えていた。
「バカいってんじゃないよ。いきなり出てきたくせに、ずいぶんとご挨拶じゃないか」
素直に従う気はないらしい。
さらに悪いことに、眼前の少女はすでに臨戦態勢である。
シシカの眼は、少女の内包する膨大な法気を捉えていた。推測するに、相手は法術師。それもかなり高位のものだろう。まともにやり会えば、無事ではすまない。
しかし、
「貴女が印を結び終えるより、私が貴女を殺す方が速い。この距離なら、貴女に勝ち目はない」
幸運なことに、シシカはまともではない。
始める前から、勝負は決している。地を蹴り、肉薄し、首を落とす──そこまでを脳裏に描きながら、シシカは相手の反応を待つ。
桜色の少女は小馬鹿にするように、鼻を鳴らした。
「そりゃハズレだね」
瞬間、少女の姿が消える。
速い。シシカの予想を軽く上回る速度。
それでも、さして動揺することなく、シシカは刀を振るった。
衝撃。刀を握る腕が悲鳴を上げるほどのそれに、シシカは一歩、後退する。
「甘いよ!」
シシカの動きよりもさらに速く、少女が踏み込んできていた。握っていた拳を開き、掌底が迫る。そこでやっと、シシカは自身の思い違いに気づいた。
──法力か!
とん、と胸元に少女の掌が触れる。直後、シシカの胸と少女の掌の狭間で法気が衝突。それは、異なる法気同士の接触により、途方もない反発を生み、目には見えない強大な暴力と化す。まるで、胸に抱いた火薬に火を着けたように、シシカの身体は大きく弾き飛ばされ、宙に放り出された。
「私は法医だよ、早とちりのお嬢ちゃん」
勝ち誇ったような少女の声が鼓膜を打つ。
その直後には地に背を打ちつけ、圧迫された肺から空気を吐き出し、むせかえるシシカ。
咄嗟のことに、まともに受け身もとれなかった。あの一瞬ではせいぜい、法気の流れを少しいじるのがやっと。それでも、そうしていなければ間違いなく、死んでいただろう。少女の一撃はそれだけのものだった。
刀を支えに、立ち上がる。握った途端、手を伝ってくる違和感。その嫌な感触に、ちらりと視線を向けてみる。すると、案の定。刀身にはひび割れたような亀裂が生じていた。あと一撃でも受けようものなら、容易く折れてしまうだろう。
「へえ~。まだ立てんのかい、アンタ。やるじゃないか」
笑みを浮かべる少女を前に、使い物にならなくなった刀を鞘に戻し、拳を構えるシシカ。
体術での応戦意思を見せるシシカに、少女は意外だったのか、おや、とでもいいたげな表情を見せる。
「素手でやる気? やめなよお嬢ちゃん。怪我じゃすまないよ」
「白死病を渡しなさい。怪我じゃすまないわよ、おちびさん」
未だ痛みを訴える胸に手をやりながら、苦しまぎれに笑ってやるシシカ。
一方、少女もシシカの台詞をお気に召したのか、下ろしていた拳を再び構える。
「おもしれえ。かかってきなよ、お嬢ちゃん」
いわれるまでもない。
シシカは足の裏に法気を集中させる。次いで、一点に集めたそれを解き放った。
一息で距離を詰める。
狙うは、一点。シシカの眼は捉えていた。こちらの踏み込みと同時に、急所に集められた少女の法気を。防御のために集められた法気は、視える者からすればさしたる意味もない。
法気の薄くなった一点に、渾身の蹴りを放つ。
シシカの右足が、少女の脇腹に突き刺さる。
「ぐっ」
僅かに呻く少女。
小柄なその体躯を、シシカは足を振り抜くことで力任せに蹴り飛ばす。
衝撃を殺し切れなかったのか、少女の脚が地を離れた。生じた力により、小柄な体躯が飛ばされそうになる。が、それよりも速く、シシカは追撃する。
少女の首ねっこを掴み、腹に膝を叩き込む。折れる少女の体躯。衝撃により、少女の身体が空中でわずかに動きを止める。それと同時に、シシカは刀のそれと同じように、右足を振り上げた。
重力に従い、今まさに落下を始めた少女の背に、右足を振り下ろす。
欠片の容赦もなく振り落とされた踵が、少女の背を打った。
確かな手応えを感じる間もなく、少女は地に激突する。しかし、シシカは止まらない。
後方に大きく身を翻すと、少女と距離をとってすかさず祈るように両手を組む。
距離を開けてからの法術による一撃。これで決めるつもりだった。
シシカの組んだ両手の形が変わっていく。
そして、再び最初の祈りの形を作る。
「これで──っ!?」
自身最大の法術。それを発動する直前、背後から肩に置かれた手に、シシカの全身が硬直する。
──じゅ、呪縛か。
それなら、と解呪を試みたところで、シシカは大きく両目を見開いた。
解呪できない。
戦闘中とはいえ、背後からの接近に気づかず、あまつさえ動きまで封じられている。万事休すである。
「だ、だれだ」
気丈にも、誰何の声をしぼり出すシシカ。口の動きまでは封じられていないのか、すらりと言葉が出てきた。
「卑怯者が。女相手に後ろからなんてね」
「冗談はやめておくれよ。こうでもしなきゃ、僕のかわいいクレハちゃんが消し炭になっていた」
その台詞に、シシカはまたも驚愕する。
発動前の法術を読まれていた。いったい何者か。
しかし、声の主の姿を確認しようにも、シシカの首は動かない。
「……おい」
見れば、少女が立ち上がっていた。
こちらに向けられた瞳には、はっきりそうと判るほどの憎悪の炎が揺れている。
いや、違う。その視線は、シシカの背後へと注がれていた。
「余計なことしてんじゃねえよ、ローラン」
「お節介だったかな? それにしても、ダメだね。アジトを壊しちゃいけない」
ローランと呼ばれた男は、やれやれとでもいいたげな声音で少女に告げる。
「もう私の家じゃない。知ったこっちゃないね」
それよりも、と少女の声音が落ちる。
「てめえ、サリヴァンに何しやがった」
ほとばしる殺気に、小柄な少女の体躯が何倍にも大きく見えた。シシカのもう一つの眼は、少女の身の内に渦巻く法気が全身に行き渡っていく様を捉えている。おそらく、これが少女の本気なのだろう。
手加減されていた。その事実に屈辱を覚えるよりも、今はただ、向けられた殺気に途切れそうになる意識を繋ぎ止めているのがやっとであった。
自分に向けられていないと判っていても、これである。当の本人であろう、背後の人間は立っていることさえできないはずだ。普通なら。
しかし、シシカの背後にいる人間は普通ではなかった。
「ずいぶんと怒っているね、クレハ。生理かい?」
瞬間、少女が消えた。
同時に、シシカを縛っていた謎の力も消失する。
咄嗟にその場を転がって離れるシシカ。
直後、振り向いたシシカの視界には、拳を振り抜いた姿勢の少女と、それを開いた手で受け止める少年の姿。
少年のその意外な姿に、シシカは絶句する。まず幼い。十五かそこらの少年である。優しそうな大きく丸い瞳は、鳶色。困ったように笑いながら、わずかに癖のある栗色の髪を空いた方の手でかく少年。その顔は、年齢よりもずいぶんと幼く見える。童顔の少年であたった。しかし、シシカが驚いたのは、少年の可愛らしい容姿にではない。
「な、何なんだ。お前は…………“それ”は何だ」
思わず震える声。
シシカの眼には、はっきりと映っていた。この世のものではないもの。決して、存在していてはならないものが。
「うん? おかしいな。もしかして、君──」
首を傾げた少年の言葉は、そこで途切れた。




