双頭の蛇3
王の人払いの声のもと、謁見の間にはリベルカと老王の二人のみとなった。
「健やかに育ったようだな、エイリアスの娘よ」
先ほどまでの様子とは打って変わって、柔らかな声で王はそういった。見れば、威厳に満ちていた表情を崩し、孫を前にした祖父のような柔和な笑みを浮かべている。
リベルカは数秒、呆気にとられたように硬直し、続いて反射的に声を上げていた。
「は!……母をご存じ、なのですか?」
裏返った己の声に恥じ、消え入るような声で問う。
エイリアス──名前を知っているだけで顔も見たことのない母。王の様子から察するに、近しい間柄であったのだろう。ただの娼婦だ、と吐き捨てていた父を思い出す。あの嘘つきめ。
「ああ。知っている。よく知っているとも」
嬉々とした表情で子供のように何度も頷く王。
ただの娼婦が、ここまで王の威厳崩すはずがない。
どういった関係なのだろう。リベルカがその疑問を口にする前に、王は自ら母との関係を答えてくれた。
「エイリアス・ウェルタニア。クルセニス三大貴族ウェルタニア家の当主であり、また宮廷筆頭法術師でもあった。そして──」
王の笑みがより一層深くなる。
そして、懐かしむように言葉を紡いだ。
「──余の友であった」
王はそれから母について語ってくれた。
話によれば、それはそれは優秀な人物であったらしい。宮廷法術師というだけでも天才の部類に入る。それが筆頭ともなれば、それはつまりクルセニス王国内で最も優れた法術師ということになる。
「その頃は実に、平和であった」
帝国との小競り合いこそあったものの、戦争に発展することもなく、死者が出ることも皆無だったと王はいう。
「優秀だった。誰よりも。そしてなにより、美しかった」
過去に思いを馳せるように、王の視線は遠くに向けられていた。
「リベルカ・リインフォード。母の最期は聞かされているか?」
王の問いにリベルカはいえ、と首を振る。
「……そうか」
悲しそうに瞼を閉じる王。
おそらく、王もエイリアスの最期を知らないのだろう。
リベルカがいくら訊いても、死ぬまで父は母について語らなかった。
「父は、母についてあまり多くを語りませんでした」
それこそ、頑なに語ろうとはしなかった。
「お前を守りたかったのだろう。あの小僧は」
小僧とは、父のことだろう。王は父とも面識があるようだった。
そして、悔しげに表情を歪めると、当時のことを語り出す。
「お前の両親が帝国に滞在していたのは偶然だ。お前の父は帝国の出だった。おそらくは妻となる女を両親に会わせたかったのだろう」
しかし、時期が悪かった。
当時、クルセニスと帝国との関係はすでに修復不可能なまでに悪化。その溝が埋まることはなく、とうとう帝国からの宣戦布告が為された。
戦争の始まりである。
「救いたかった。せめて、エイリアスだけでも連れ戻したかった」
王は悲しげに語る。
結果として、エイリアスを連れ帰ることは叶わなかった。
連絡も途切れ、戦況は激しさを増すばかり。
そして、それから数年後のことだった。
「お前の父から手紙が届いた。娘が産まれたとな」
手紙にはそれしか書かれていなかったという。
どこにいて、何をしているのか。そしてなにより、エイリアスは無事なのか。
結局、それから連絡はなく、今に至る。
「なんとしても、お前たちを見つけ出したかった。だが、エイリアスどころか小僧の名前すら上がってこなかった」
帝国に幾度となく人をもぐり込ませても、成果はない。
そんな日々が何年も続き、そして王はとある女騎士の噂を耳にする。
曰く、帝国人にはない黄金色の髪をした女騎士。彼女はすこぶる腕が立ち、次期聖騎士にもっとも近い人物である、と。
「すぐに判った。それがエイリアスの娘だとな」
気づくはずもない。エイリアスの娘は名を変えていた。父のものでも、母のものでもない“リインフォード”という名に。
「お前の父も必死だったのだろう。ウェルタニアの家名は知られすぎている。小僧とて無名の雑兵ではなかった」
故に名を変え、隠れ住まう他なかったのだろう。
「…………すまなかった」
話を終えた王は、リベルカに向かって頭を下げた。
無論、リベルカは大慌てである。一国の主に頭を下げさせるなどあってはならない。騎士としての矜持が、余計にリベルカを焦らせる。
「へ、陛下! おやめください! どうか!」
悲痛な声で叫ぶリベルカに、頭を上げる王。
しかし、王はなおも謝罪の言葉を口にする。
「許せ。苦労をかけた。聖騎士となったお前に両親がいないと知った時、余は己の無力さを呪った。なにが王だ、とな」
幸せでいてくれることだけを祈りながら、それでも王はリベルカを連れ戻そうとしていたという。
「途方もなく憎かった。自分の足でお前を迎えにいけぬこの身がな」
だが、とそこで王はリベルカに真剣な眼差しを向ける。
「今こうして、お前はここにいる。エイリアスの忘れ形見が。余の前に、王の手の届く場所にな…………言葉の意味はわかるな、リベルカ・リインフォード」
判る。真剣なその表情だけで、王のいわんとすることをリベルカは理解していた。
「祖国はここだ、リベルカ・リインフォード。この国が、クルセニスこそがお前の家だ」
「それは…………できません」
王が理由を問う前に、リベルカは二の句をついでいた。
「私はレンダール帝国の聖騎士です。エイリアスの娘である前に、守るべきものがあります」
「行けば処刑台だ。帝国の使者からは生死は問わんといわれているのだぞ」
「それならば、身の潔白を証明します」
打てば響くように即答するリベルカ。
彼女の確固たる意思を感じたのか、王は疲れたように目頭を押さえ、天を仰ぐ。
そして、次の言葉でリベルカを絶句させる。
「獅子が戻る」
王のその一言だけで、リベルカは咄嗟に反応できなくなった。思考は根こそぎ奪われ、言葉を亡くす。
「戦況が変わる。もはや、お前たちに猶予はない」
「そんなバカなっ!?」
ようやく口にできたのは、疑いの言葉。
リベルカにできたのは、ただ疑うことだけであった。
「オーネス・グラリエスは帝国最強の騎士です。そんなことはあり得ません」
落ち着きを取り戻してそういっても、王の言葉がくつがえることはなかった。
──オーネス・グラリエス。
獅子の異名で知られる帝国の聖騎士であり、また帝国最強の男である。現在は東部海域へ二万の大軍を率いて遠征中のはずだった。帰還にしては早すぎる。
帝国との同盟交渉を目的とした遠征。しかし、従わなければ呑み込む──それを前提とした交渉である。交渉が決裂したとしても、その次は戦だ。帰ってくるには、どう考えても早すぎた。
それならば、とリベルカの思考はもう一つの可能性に行き着く。が、リベルカの思考を読み取ったのか、王はこれを否定する。
「交渉は間違いなく決裂する。いや、もはや決裂しているやもしれんな。東部海域の者は自由を愛する。頭を垂れることはない」
それに、と王は続ける。
「海の上では、いくら獅子といえども思うようにはいかんだろう。波にさらわれ溺死するだけだ。戦にならん。もっとも、その前に撤退するだろうがな」
リベルカは考える。
もし、オーネス・グラリエスが帰還したとなれば、確かに戦況は変わるだろう。現在の膠着は糸も容易く崩れ去る。獅子の異名は伊達ではない。軍の士気も最高のものとなる。
まず間違いなく獅子は動く。リベルカの知るオーネスはそういう男だ。目の前に戦場があれば、誰よりも先に飛び込む。それこそ、得物を求める獅子さながらに。
そしてそうなれば、身の潔白を証明するどころではない。
「もし、可能であれば」
そう前置きしてから、リベルカは王に提案する。
「オーネス・グラリエスとの戦に、加勢させて頂けないでしょうか?」
「──理由は?」
一呼吸置いてから尋ねる王に、リベルカは決意の表情で返す。
「直接、身の潔白を証明します」
証明してみせる。
オーネスという男はリベルカの知る限り、聖騎士でもっとも信頼できる男であった。




