双頭の蛇
伸ばされた手は、間違いなくリベルカのものだった。
彼女はヒューリの伸ばした右手を力強く握り、馬車から引っ張り上げる。
と、そこで息つく間もなく、再び馬車が大きく揺れる。
「早くっ!」
急かすリベルカの声に、押し出されるようにしてヒューリは馬車から離れた。
それと同時。
巨大な馬車の車輪が、地面を離れる。
重力が逆転してしまったかのようなその光景に、リベルカが唖然とした表情を向ける中、馬車を持ち上げた小柄な少女は笑った。
片手で馬車を持ち上げ、苦笑まじりに吐き捨てる。
「ははは。ほらね、ジャック。だーから嫌だったんだよ。きっちりやばそうな護衛がついてんじゃないのさ」
少女の傍らに進み出た長身の男が、短剣を手の中で弄ぶ。
「いやあ、申し訳ねえ。やっぱローランの野郎は当てにならねえですな」
二人の敵を前に、リベルカはすでに剣を抜いていた。
少女と男に警戒の視線を交互に向け、ヒューリを背後に下がらせる。
リベルカの肩越しに、改めて少女へと視線を投げるヒューリ。
その目を細め、最悪の事態を想定する。
「リベルカさん。あの少女には気をつけてください。私の予想通りだとすると、かなり厄介な敵です」
返答こそないものの、馬車を片手で持ち上げる少女の異様な力にはリベルカも警戒しているだろう。僅かに頷き、長剣を構え直す。
「そこの女! 後ろの呪術師を渡しな! 黙って従えば命はとらないでやる」
少女の提案──もとい脅迫にリベルカは無言で返した。
しばしの沈黙。
「…………そうかい。それじゃあ殺し合いといこうか。後悔しても知らないよっ!」
宣言するなり、少女は持ち上げていた馬車を放り投げた。
少女の手を離れた馬車がまるで石ころのように、糸も容易くヒューリとリベルカの頭上に迫る。
ヒューリはすぐさま後方へと跳んでこれをかわす。
少女の行動を予測していたのか、リベルカもその場から飛び退き、迫る馬車を回避。
地面に衝突した馬車が木っ端微塵に吹き飛び、巻き上がった砂塵が視界を奪う。
「リベルカさん!」
ヒューリの焦ったような声に、リベルカは救われた。
咄嗟に構えた長剣に、砂塵の向こうから現れた男が短剣を叩き込んできた。
慌てて男を呪縛しようと指先を向けるヒューリ。しかし、その眼前には桜色の髪の少女。
──速い!?
突如現れた少女に、ヒューリは呪縛の対象を変更しようと指先を向ける。が、それよりも速く少女の掌がヒューリの腹部に添えられる。
「さよならだ呪術師──っ!?」
少女の顔に浮かんでいた余裕の笑み。それが次の瞬間には消えていた。驚愕に目を見開き、それと同時に表情を蒼くする。
「あ、アンタ何なんだよ!? なんでこんなのが生きてやがる!?」
「おや? 気づきましたか。なるほど。触れただけで気づくとはね……予想通りかなり高位の法術師のようだ。私の身体はちょっと特殊でしてね」
ヒューリの指先が少女を捉えた。
呪詛を受け、全身を呪縛される少女。
悔しげに表情を歪め、それでもなお少女はヒューリに怪訝な眼差しを向ける。
「“厄種”ね。それは別にいい。問題はそこじゃない。アンタ、いったいどれだけ飼ってるんだよ?」
少女の問いに、ヒューリは表情を消した。
次いで、その目が糸のように細まる。
「そこまで気づかれたのは初めてですよ。名前をうかがっても?」
「バカ言ってんじゃないよ。呪術師相手に名前を教えるわけないでしょうが」
それに、と少女は続ける。
「殺そうとしといて何だけど、忠告しといてやるよ。このままいけば、アンタは近いうちに死ぬ。法医の私が言うんだ。間違いないよ」
「馬車を投げる法医ですか。近頃は物騒になったものです」
ヒューリの軽口に少女は答えない。
話は終わり、と言いたいらしい。
ならば、次はあの男を止める。
見渡してみても、周囲に二人の姿はない。あの一瞬で別れることを選んだのだろう。それがリベルカの判断なのか、男の判断なのかは判らない。が、悪くはない状況である。あの男が術師なら、少女の呪縛を解呪されていた可能性もある。
ヒューリは動かなくなった少女を置き去りに、リベルカを探すべくその場を後にした。
思いの外、男の動きは速かった。
リベルカの繰り出す剣撃をことごとくかわし、あわよくばその隙を突こうと、防御の薄くなったところを的確に狙ってくる。
正々堂々が信条のリベルカにとって、もっともやりにくく、また嫌な相手であった。
「男のくせにちょこまかと面倒なやつだ。正面からかかってこい」
とリベルカが挑発するも、男はへらへらと薄ら笑いを浮かべるだけで、まともに取り合おうとしない。
「正々堂々とってか? 俺ぁごめんだね。生憎、育ちがすこぶる悪くてよぉ。お行儀もよくねえんだわ」
いいながら、男はリベルカの振るう剣をかわす。
そしてすかさず、突きを繰り出した。それも針に糸を通すかのような、精密かつ正確な一撃。狙いは首筋。
咄嗟に首を傾け、寸でのところでかわすリベルカ。
そのまま流れに乗って反攻の一撃を振るうも、すでにそこに男の姿はない。
「ハッハー! 大したことねえな騎士様よお!」
告げるなり、男は肉薄。
ふざけてはいるが、実力は本物なのだろう。一息で距離を詰めてくる。そして、短剣による連撃。
迫り来る短剣の嵐を打ち払い、かわし、隙を見て反撃。
しかし、またもあっさりかわされる。
「……面倒だな」
「あン?」
ぼそり、とつぶやかれたリベルカの声に反応する男。
剣を握る右手をそっと下ろし、リベルカは空いた左手を空中に踊らせる。
リベルカの唯一無二の切り札。血の滲むような訓練のもと、やっとのことで会得に至った法術。
左手が印を結ぶ。
何故、女でありながら聖騎士となり得たのか。
その答えが、この法術である。
「なんだよ? 騎士のくせに術かよ? それこそ卑怯だろうがっ!」
吼える男が距離を詰める。
短剣を構えながらの突進。
しかし、そこにすでにリベルカの姿はない。
あ、と男が声をもらす。
その腹からは、血を滴らせた長剣が伸びていた。
「く、かは。く、そが」
「悪いな。生憎と私も育ちは良くないんだ」
背中に男の苦悶の声を聞きながら、リベルカは剣を引き抜いた。
それと同時に、男は倒れ込む。
振り向き、とどめをさそうとするリベルカに聞き慣れた声が制止をかけた。
「待ってくださいリベルカさん」
「ヒューリ・クロフ。無事だったのですね」
リベルカは剣を納め、ヒューリと向かい合う。
そして実は、とシロとはぐれたことを話し出そうとする。が、ヒューリは無言で首を振った。
「事情は知っています。だからこそ、先を急ぎましょう」
「しかし、とどめをささなくては」
「やめておいた方がいい。おそらく、組織的なものでしょう。無駄に恨みを買うだけですよ」
確かに、二人組の動きには計画的なものを感じた。
わけのわからない組織に狙われ続けるような危険を犯す必要もない。
「わかりました。それでは、ヒューリ・クロフ。これからどこへ向かうつもりですか?」
言外に、シロへの対処を問いかけた。
正面から行けば吊るし首。かといっていつ追手がかかるとも知れない。最悪の場合、シロはすでに処刑されている可能性すらある。
慎重な答えを必要とするこの場面でしかし、ヒューリの決断は早かった。
「クルセニス王都です。もちろん、正面からね」




