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呪術師と桎梏の病  作者: たーく
第一章【逃亡】
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逃亡者たち12

 真夜中。

 ふらふらと頼りない足どりで夜の街を徘徊するシロを見つけたのは、あれからずいぶんとたってからだった。

 泣いていたのだろう。目を腫らし、虚ろな瞳はいまだ潤いを帯びている。

 その(まなこ)は何も映してはおらず、視線は虚空をさまようばかり。

 おそらく、アバンの死に立ち会ったのだろう。どう見ても致命傷だった。助かるはずがない。

 それも自分を庇っての傷。精神的な苦痛を負ったであろうことは明白だった。


「……シロ」


 リベルカの眼前で立ち止まったシロに、声をかける。

 こんな時、ヒューリ・クロフだったら何と声をかけるのだろう。きっと、あのよく回る舌ですぐに笑顔にしてしまうに違いない。

 ここにはない呪術師の姿を脳裏に描いてみても、リベルカの求める答えは浮かんではこない。


「…………行こう」


 そう告げるだけで精一杯だった。

 これが部下だったなら──しっかりしろと一喝してやれるのに。前を向け、と。しかし忘れるな、と。

 でも、虚ろな瞳でリベルカを見つめる彼女は、途方もなく小さかった。部下でもなければ、親しくもない。気心の知れた仲には程遠く、心を開くどころか、その一端に触れさせてすらくれない。

 その上、彼女は消耗していた。かける言葉を違えれば、今にも壊れてしまいそうなほどに。


「行こう。ここにいちゃいけない」


 動こうとしないシロに、もう一度いう。

 そこでふと、その細い腕に目がいった。

 真っ白な肌は泥にまみれ、小さな擦り傷が肘から指先にまでいくつも刻まれている。中でも手首から先は傷が酷く、いまだ出血しているものもある。

 その痛ましい姿を前に、自然とリベルカの手は伸びていた。

 応急処置にしかならないが、少しでも傷を綺麗にしてやろうと思ってのことだった。

 しかし、


「──さわるなっ!」


 指先に触れた途端、牙を剥く獣のような剣幕でその手を大きく払われた。

 いつの間にかシロの瞳には光が戻っており、敵意を乗せた視線の刃がリベルカを牽制する。


「少しでも手当てした方がいい」


 そういったリベルカの脇を無言ですり抜け、シロは歩き出す。


「待つんだシロ! どこへいくつもりだ」


 振り向き制止の声を上げるリベルカ。

 しかし、シロは止まらない。

 しばしの逡巡の後、リベルカは小柄な背中を追い、その肩を掴んだ。

 ──瞬間。

 ふわり、と空に放り出されるような感覚がリベルカを包む。

 何が起きたのかを理解するよりも速く、背中を襲う衝撃。

 肺が圧迫され、押し出される酸素。慌てて息を吸おうとするリベルカの胸に、さらなる衝撃が落とされた。


「があっ」


 そこには、鬼の形相でリベルカを踏みつけるシロの姿。


「私にさわるな。さわるな……さわるな! さわるな!さわるな! さわるな!」


 狂ったように叫びながら、リベルカを踏みつける。何度も。何度も、何度も、何度も。

 やがて、落ち着きを取り戻したシロはしかし、いまだ濃厚な殺気を充満させてリベルカを睨んでいた。


「ど、どうしてだ?」


 胸が苦しい。あと数回やられていたら、肋骨の数本は砕けていただろう。

 それでも、どうにか声を絞り出すことはできた。


「なぜそこまで、敵意を向ける? ヒューリ・クロフに心を許すのは判る。君をあそこから救い出したんだ。それは判る」


 本当なら、それを命じたシャルマンにこそ心を許すべきだろう。だが、そんなことは口にしない。

 そんなことよりも、


「どうして、私に敵意を向ける? 君を救ったわけじゃない。だが、剣を向けてもいない」


 なぜ、そうも心を閉ざしている。

 どうして、私に牙を剥く。リベルカはそれが聞きたかった。

 だが、返ってきたのは呆けたように口を開け、呆然とするシロの表情だった。

 そして、その表情が徐々に歪んでいく。

 呆れは口許に笑みを形作り、ははは、と声に出る。しかしそれも一瞬のこと。

 顔中が怒りに歪み、そしてそれは怒りを通り越して殺意へと変貌する。

 全身をわなわなと震わせ、大きく息を吸い込んだ。まるで、殺意の全てを吐き出す準備運動のように。


「ふざけるなっ! お前がそれをいうのかっ!」


 リベルカの胸に置かれた足が重さを増した。

 思わず呻くリベルカに、なおもシロは怒声を浴びせる。


「奪ったくせに! アタシの全てを奪ったくせに!」


 何をいっている、と口にしようとしたリベルカの胸に、強烈な重みが乗せられる。

 身に覚えのない、それどころかあり得ないシロの発言に、胸を襲う痛みに耐えながらリベルカは困惑していた。

 そしてふと、胸が軽くなった。

 見れば、肩で息をするシロが足を退け、リベルカを見下ろしていた。

 いまだずきずきと痛む胸を押さえ、ゆっくりと立ち上がるリベルカ。


「な……何の、話、だ」


「うるさい。お前らはウソつきの人殺しだッ! 悪魔だッ! アタシの前から消えろ!」


「おし、教えてくれ、シロ。私は君に何をしたんだ?」


 呼気を整え、再び問うリベルカ。

 しかし、返ってきたのはまるで見当違いな話だった。


「……外に出て、色々聞いた。その前から、ヒューリもよくいってた」


 シロの話には続きがあるのだろう。

 拳を握りしめるシロの言葉をリベルカは待った。


「おかしいと思ってた。だって、誰も助けてくれなかったから。薄々だけど、わかってた。誰も味方なんていないって」


 そして、リベルカは見た。

 口許を歪め、薄く笑うシロ。その真っ白な頬を伝う、二筋の光を。


「白死病? アスヴィオルの悲劇? 何それ? アタシの全てを奪ったのは病なんかじゃない。みんな嘘ばっかり」


 初めて目にしたシロの涙。

 化物じみた少女の震える声。

 そして、涙で溢れた瞳の奥に、怒りの炎がよみがえる。


「アタシの全てを奪ったのは、お前らのくせに! あの日、アタシの家族は殺されたっ! お前ら軍人に!」


 リベルカは答えない。

 否、答える気力が残っていなかった。

 ただただその場に立ち尽くし、唖然と口を開くしかなかった。

 そして、もう一度。


「……何を、いっている?」










 白髪の少女が老人を連れて出ていくと、酒場にはいつも通りの喧騒が戻ってきた。

 床の血はすでに拭き取られ、下手くそな歌を大声で歌っている常連や、仲間内で談笑する傭兵たち。下品な言葉の数々を笑顔でかわし続ける給仕の姿。

 給仕の娘は、尻に伸ばされた手を振り向きもせずに平手で払いのけると、そのまますたすたと奥のテーブルに果物を運んだ。

 お待たせしました、とテーブルに置かれた赤い果実は皿から取り上げられ、桜髪の少女の小さな口へと運ばれる。


「はあ。ったく……姉御。誰彼かまわず助けようとすんのは、アンタの悪いくせです。お頭にガタガタ言われんのは俺なんですぜ?」


 果実をもしゃもしゃと咀嚼していた少女は、ちらり、と隣に視線を向ける。疲れた顔をした中年男が杯を傾けていた。男はそこに一滴も残ってないことに気づくと、げんなりと肩を落とし、少女と視線を合わせる。


「ほらね。さっきアンタにこぼされてなきゃ、もう少し酔えたってもんですよ。一杯目が丸々おじゃん。金がねえのは知ってるでしょ?」


 じっとりと恨めしげな視線を向けられ、咀嚼を終えた少女は鼻で笑った。


「相変わらず女々しいなあ、ジャック。そんなだから、女の一人も寄ってこないんだよ。金がなけりゃあるフリするのが男ってもんさ」


 それに、と少女はジャックと呼ばれた男に続けた。


「ただでさえ汚れちまってんだ。手の届く人間くらい、救ってやんなきゃね」


 少女の沈んだ声に、男も何か思うところがあったのか、それっきり黙り込む。

 やがて、そのまま沈んでいきそうな沈黙を男が明るい声で破った。


「そうそう。今度の仕事、なかなか楽そうな感じですぜ!」


「こないだもそんなこといってたよね? 三日も飲まず食わずで逃げ回ったあげく、危うく死にかけたけどね。いやあ、ありゃ確かに楽だったわ」


「そ、その件はすまねえ。ってもう何度も謝ったじゃねえですかい。それに、今回は拾いもんじゃねえんです」


 拾いものじゃない、というその部分に少女の眉がぴくり、と跳ねる。


「なに? 直通? 内容は?」


「レンダールからの亡命者。その暗殺。相手は呪術師ですが護衛もいねえってんで、引き受けたんです。ね? 楽な仕事でしょう? 」


「内容は判った。それで? どいつから?」


 少女がそう訊いた途端、男は視線をあらぬ方向へと投げ出した。


「おい。目を逸らすな。なに? 直通じゃないの?」


「いや、まあ直通っちゃ直通なんですがねえ」


「はっきりしなよ。男でしょうが」


 苛立ったように舌を打つ少女に、男は観念したように小さく告げた。


「それが、ローランからでして」


「はあ!?」


 男の口から飛び出した名前に、少女は反射的に立ち上がった。


「なんであのクソ野郎の名前が出てくんの? ん? ジャック、いくら何でもそりゃないよ」


「いや、それが準備も向こうがしてくれるみたいなんでさあ。表向きは王都への護送。兵隊はみんなローランの小飼で固めてるってんで」


「それでなに? 引き受けるって? あのローランだよ? 絶対ろくな仕事じゃない」


 いまだ立ったままの少女の側に、給仕の娘が遠慮がちに果物を持ってきた。

 娘に礼を告げ、腰を戻す少女。


「ったく。どうなっても知らないよ私は」


「大丈夫だと思いますぜ。なにせ、お頭も一枚噛んでるみてえなんで」


 その台詞に、少女は眉をひそめる。

 そして、忌々しげに吐き捨てた。


「だからクソ野郎だってんだよ。それじゃ断れないじゃないか」











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