逃亡者たち6
その日。
クルセニス王国領内の砦は騒然としていた。
南部地方一帯を国土とするクルセニス王国は現在、レンダール帝国との戦に明け暮れている。
度重なる小競り合いから端を発した十五年にも及ぶ戦争。しかし、拮抗していたその戦況が今、唐突に崩れようとしていた。
レンダール帝国との国境に鎮座する砦。奪い奪われを繰り返す国境の要であるそこに、二名の亡命者が駆け込んできたのである。
それ自体は、さして珍しいことでもない。が、亡命者である二名の素性に問題があった。
その素性が知れるや否や、砦は蜂の巣をつついたような騒ぎになったのである。
「…………リベルカ・リインフォードに、白死病か」
自室にて部下からの報告書に目を通し、砦を統括する守護将軍は溜め息まじりに呟いた。
齢五十を越える男にとって、突然現れた亡命者の二人は心労を促進する毒そのもの。どう扱ったものか、困り果てているところであった。
「まったく……何故いまなんだ」
もうじき退役という今になって、とてつもなく面倒な話になった。いっそのこと、次期守護将軍に丸投げしてしまいたい。そんな衝動に駆られるも、立場上それは許されない。
重くのしかかる肩の荷を下ろすように、再び長く息を吐き出す。
そして、再び報告書に目を落とした。
──リベルカ・リインフォード。
年齢、二十三。
所属、レンダール帝国軍聖騎士。
クルセニス人とレンダール人との混血。
十三歳という若さで帝国騎士団の団長に就任。以降、輝かしいまでの戦功を挙げ、十八歳で聖騎士の称号を得る。
帝国軍人の殺害及び、罪人の脱獄に関与。その他、帝国軍人への障害多数。クルセニス王国へ亡命。
──シロ。
名前は便宜上の呼称。
年齢不詳。推定十歳。
白死病の罹患者にして、唯一の生き残り。
投獄中だったところ、リベルカ・リインフォード及びヒューリ・クロフの手を借り、脱獄。罪状不明。
非常に好戦的かつ、異常に怪力。
読み終えた報告書を長机の上に放り投げ、疲れ果てたように天を仰ぐ男。
リベルカ・リインフォードは聖騎士である。かの帝国において聖騎士の称号を得るのは容易ではない。それも最年少での抜擢。全てを捨てて罪人に身を堕とすにしては、立場も栄誉も並外れている。
そして、シロという罪人。
こちらもこちらで、男の判断を狂わせる要因の一つ。人類の悪夢といっても過言ではない白死病の罹患者。貴重な研究材料であるのは確かだとしても、幼い少女を鎖に繋ぐ理由にはならない。
もし、決して逃がさないよう慎重に扱っていたのだとしても、こうして脱獄を阻止できず、あまつさえ手の出しにくい敵国への亡命までもを許してしまっている。
どうにもずさんな対応だった。
「話を聞く他ない、か」
誰にでもなく呟くと、男は立ち上がる。
元より、貴重な敵国の情報源である。砦の主自ら話を聞きにいく必要があった。
砦の一室。普段は客間に使われているのであろうそこに、リベルカ・リインフォードの姿はあった。
当然のごとく剣は取り上げられ、両手には枷。おまけに扉は施錠され、窓には急ごしらえの鉄格子まである。突然の亡命者の対応に追われ、慌てふためく砦の住人の姿が目に浮かぶようだった。
聖域から逃れ、十日が過ぎた。
昨夜、無事亡命を果たし、詰問の嵐に襲われ一睡もできないまま現在に至る。
敵国の人間であるところのリベルカが軟禁されるのは当たり前だろう。むしろ、投獄されないだけマシである。砦の主が良心的な人間であることが窺える。
扉から音が上がる。施錠が解かれる音だ。
入ってきたのは、総白髪の大男。四十から五十に近い年齢であろうその男はしかし、眼光鋭く、服の上からでも鍛え上げられた肉体が判る。
屹然とした雰囲気の漂う大男をちらりと見やり、リベルカは確信に近い予感を覚えた。この男こそ、砦の守護を任された将軍だろうと。
そして、その予感は見事に的中する。
「気分はどうだ、リベルカ・リインフォード。俺はガラント・エルグッド。この砦の指揮を任されている」
「お初にお目にかかります、エルグッド殿。此度の亡命の受け入れ、心より感謝します」
立ち上がり、頭を下げようとするリベルカ。それを、ガラントが低く野太い声で止めに入る。
「よせ、リベルカ・リインフォード。俺はまだ受け入れた訳ではない。それに、お前たちの身の上を決めるのも俺ではない。これは一時的なものだ」
「心得ています。それでも、空腹から救ってくれたことに違いはありません。感謝します」
リベルカは静かに頭を下げると、その場に腰を落とす。
衰弱し切っていたリベルカとシロに、本来ならまず尋問するべきところを、食事と睡眠を優先してくれた事実は彼女にとって何よりも感謝すべきものであった。
一方のガラントは頷くだけに止め、リベルカが席につくと同時に自らも対面に腰かけ、切り出した。
「それで? 事の発端は? 何故いまになって……それも我がクルセニスに亡命を?」
ガラントの問いに、リベルカは思わず顔を伏せる。それは彼女自身、誰よりも疑問に思っていることだった。
しばしの沈黙の後、顔を上げる。そして、リベルカは判る範囲で答えていく。
呪術師の護衛。監獄からシロを連れ出したこと。そして聖域の調査。話が聖域の件に入ると、怪訝そうに眉根を寄せたガラントが口を挟んだ。
「待て。憑代に穴だと? それは事実か?」
目を見開き、動揺を隠せないでいるガラントにリベルカは頷く。
「この目で確かに。巨木を食い破るような穴でした」
「恐ろしいことだ。それが事実ならな。それで? その後は?」
催促を受け、リベルカは続ける。
聖域を出るなり待ち構えていた軍勢。囮となった呪術師。暴れ回るシロを連れ、今に至るまで。
全てを話し終えたリベルカは、ただ静かに相手の反応を待った。
ガラントは黙したまま。何やら思案にふけっている様子で天井を凝視したまま、微動だにしない。
「…………その呪術師、今はどこで何をしている?」
長い沈黙がガラントによって破られる。ぽつり、と口先からこぼれたのは、置き去りにした呪術師の行方。
「お話した通りです。私たちを逃がしてくれて、その後は──」
リベルカが口をつぐむと、ガラントは察したように頷いた。
「大筋は判った。その上で聞くが、仮に無実だったことが判明したとして、お前はその時どうするつもりだ」
静かに告げるガラント。探るような視線がリベルカに向けられる。
リベルカは答えない。正直、無罪となればすぐにでも祖国に戻りたい。しかし、それが不可能に近いことは、眼前の護将が浮かべる表情が物語っていた。
「この場で無理に答えを出せとはいわん。だが、お前たちの身の上を決める公的な場では、必ず決断せねばならんだろう。それができなければ、お前たちの向かう先は処刑台だ」
判るな、と念を押すガラントにリベルカは無言で頷いた。
戦時における亡命者の扱いは慎重にならざるを得ない。それが敵対国家の主戦力ともなれば、なお厳しい目が向けられる。
騎士である以上、亡命者の対応もリベルカは心得ている。間者である疑惑が少しでも浮上すれば、その場で斬殺されても文句はいえない。
「よく考えておくことだ。明日にでもお前たちを護送する。王都まで二十日ほどだ。考える時間はある」
「明日……ですか」
「決定事項だ。変更はない」
ガラントの声音には、有無をいわせぬ響きがあった。
無論、リベルカに拒否権はない。
いかに亡命者といえど、それは名目上でのことである。扱いは捕虜とさして変わらない。
祖国のためとはいえ、大勢のクルセニス兵を手にかけてきた。その事実が、単なる亡命者でいることを許さない。
「それと、あの娘のことだが……」
と、ガラントはそこでいいよどむ。
娘とは、シロのことであろう。
ガラントの警戒に染まった瞳の奥に、申し訳なさげな感情が揺れる。
「俺の経験上、厳しいだろうと思う。希望は持たぬことだ」
直接的なことは告げず、ガラントはリベルカから視線を外した。
ことさら冷たくいい放つガラントの言葉は、下手な希望は捨て、腹をくくれという彼なりの気遣いだったのかもしれない。
しかし、そんな気遣いは不要だった。
「……ご冗談を」
いえたのは、それだけ。
絞り出し、怒りに震えそうになる唇を噛み締めるリベルカに、ガラントはまたも冷たく、一言。
「希望はない」
瞬間、リベルカは勢いよく立ち上がっていた。
自身の置かれた立場も忘れて、眼前の護将を睨み据える。燃え上がるような怒りを瞳に湛え、
「ふざけるなッ!」
腹の底から噴火する怒号に、室内の大気が揺れる。大音声に窓の硝子は軋み、外で待機していたであろうクルセニス兵が慌てた様子で飛び込んできた。
座して動かぬガラントと、それを鬼の形相で見下ろすリベルカ。
そして、状況も判らず飛び込んできた兵士は戸惑いを隠せない様子で、その視線はガラントとリベルカの間を意味もなく往復していた。
「彼女はまだ幼い。それを理由もなく殺すと仰るか」
爆発した感情を今度は一気に冷却し、リベルカは静かな怒りを見せる。
瞳に燃えていた怒りの炎は鎮火し、その下から代わりに覗くのは、冷たく鋭い刃を思わせる殺気。
「理由ならある。あの娘はその身に病を宿している。都市一つを滅亡させたほどの病魔をな」
「それは理由にならない。彼女の病は安定している。進行もしていない。それに、共に行動していた私が無事なんだ。問題はないはずだ」
リベルカの台詞に、ガラントは僅かに口許を緩める。
「何がおかしい」
「地が出ているぞ、リベルカ・リインフォード」
告げられ、はっとする。
亡命者という立場を失念していたことに今更ながら気づく。しかし、リベルカは頭を下げはしない。
「貴方も国を守る盾だろう? それなら判るはずだ、エルグッド殿。弱きを守るのもまた騎士の務めだ」
「ぬかせ、亡命者風情が。それが騎士たるお前の信念だとでも? 笑わせるな。それが許されるのは貫くことの叶う者だけだ」
表情を消したガラントの全身から、凶悪なまでの殺気が沸き上がる。
「この場で俺が剣を抜けばどうなるだろうな。己の身一つ守れぬ分際で弱者を守るだと? 立場を弁えろ。それとも、聖騎士とやらは素手でこの状況を覆せるとでも?」
ガラントの殺気を一身に受けながらも、リベルカはひるまない。こんなもの、何てことはない。が、自身の置かれた立場を思えば、どうすることもできない。
沈黙が室内を支配し、呆気にとられていた兵士がこれ幸いと動き出そうと踏み出した。
その瞬間。
「しょ、将軍! 大変です!」
突如、必死の形相で室内に躍り出る一人の兵士。
目の前の兵士を邪魔だとばかりに突き飛ばし、ガラントが用件を尋ねるよる先に、早口でまくし立てる。
「こ、拘束していた《白死病》の少女が暴れ回ってます! 手がつけられません!」
飛び込んできた最悪の一報に、リベルカは顔から血の気の引いていく音が聞こえたような気がした。




