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作者: 風来坊

改名への欲求などが出ますが、作者は安易に改名を勧めてはいません。

なお、整形やいじめの描写がありますので注意してください。

「×××ちゃん!」

 この女は私がそう呼ばれるのを嫌っているのを、分かって呼んでいる。

 高校生という微妙な年頃において、どんな些細なことでもすぐに笑いの種にしたがる。もっとも、私にとって些細なことではない問題なのだが。

 女が比較的大きな声で私の名前を呼んだことで教室の生徒の視線が私に向き、やがてクスクスと笑い声に変わった。嫌で嫌で仕方のない状況だ。でも、年齢を重ねていくごとに、どうやったのか慣れてしまい、今では嫌な顔せず自分のやりたいことに集中できるようにもなった。それが気に食わない女は私の名前を連呼し続ける。無視を続けていたら、「無視すんじゃない!」と怒鳴って私の机の上にあった筆箱を乱暴にひっつかみ窓の外に投げた。

「うわー、かわいそー」「やりすぎじゃねえ?」「でも無視する×××も大概だろ」雑音に揺れるような精神の持ち主ではない。しかし筆箱は大切だ。授業開始まで残り5分。どうしようか。

 普通なら焦るのだろうけれど、私は生憎慣れという便利なものを身に着けてしまったため、このような事態にも対応を練っていた。

「あれー、とってこなくていいのー?」「授業きかないつもりなのー?」「うっわ意地になりすぎ」はいはい、今日も今日とて雑音を出し続けているんですね、ご苦労様です。

 ああ、チャイムが鳴りそうだ、と私は鞄から教科書とルーズリーフを取り出した。次の授業は数学か。比較的得意なので問題はなさそうだ。

「無視するなって言ってるのよ耳悪いの!?」

 女は私の胸ぐらをつかみあげた。「うわ、あれはやばくね?」「いや無抵抗の×××も悪いだろ」「マゾかよ」「いいぞ殴っちまえ」「煽んなよ」「別に面白そうだからよくね」雑音が大きくなってきた。私は大して驚いた顔もせず、女を変わらぬ目で見続けた。殴る勇気もない癖に、自分の思い通りにならないからって何とかして従わせようとしてくる、馬鹿な女だ。抵抗のつもりで、胸ぐらをつかんでいる女の手をつかんだ。おもいきり、ぎゅっと。

「いたあっ!」

 大げさにそう言って倒れこむ女。「大丈夫!?」と途端に駆け寄ってくる馬鹿な集団。「ひどい」「ここまでするなんて」「謝れよ」「謝って」「暴力女」途端に私に向かって吐かれる罵詈雑音。先ほどまで、他人の筆箱を窓に放り投げ、無視に逆上し、胸ぐらをつかんできたくせに、どの口が暴力女を言うか。

 私は地に着く女を睨んだ。

 私は目つきが悪い。何もしていなくても不機嫌そうだ、と言われるくらいには。目つきが悪いのに睨みを足されて恐怖しない女ではなかった。

 終いには泣き出した。

 あほらしい。

 私が謝れみたいな、そんな空気になった時に先生が教室に入る。

「なにがあった?」と心配そうに聞く。すると「×××さんが泣かせた」「暴力をふるった」と女の都合のいいことを、まあ、見事に作り上げられた。女の口元がゆがんでいる。上に。嗤っている。

 先生も私が悪いと思ったらしい、謝れ、と言ってきた。私は反論した。なぜ、と。暴力をふるったなら当たり前だ、と先生。手を出したのは女だ、と私。嘘だ、と取り巻き。酷いよ、と女。最低、と男。

 集団の空気とは異様だ。多数決とは理不尽だ。時に真実さえ捻じ曲げる。

 生徒指導室に来なさい、と先生。嗤う女。勝ち誇ったように笑う女。弱者を笑う教室。慣れたとはいえ気持ち悪い。

 高校にまで影響するくらいなら退学したいな、とふと思った時だ。

 ばしゃあん、と派手な水音。

 私に少量飛沫がかかった

 私にかけられたのではない。女にかけられたのだ。

 へ、と間抜け顔する女。背後にバケツを持った男子生徒。優男風の綺麗な顔をした男子生徒は、人懐こそうな笑みを浮かべた。

「先生、僕ってばうっかり、わ、ざ、と、この人に水かけちゃいました。僕も生徒指導室に行っていいですかあ?」

 気の抜けたような声が教室に響いた。


 優人の顔はいつだって優しげだ。私はそれを優男と思い、あまり好感を持てないのだが、それを学校の女子が「かっこいい」というのだ。優しい顔していればかっこいい部類になるのか、私にはよく分からない。ただ、私からしたら性格は決して優しくないと思う。なぜなら私がいじめられるのを、絶対に、相手にやり返す形で庇うからだ。

 今回のことだって、実をいうと、女が私の名前を大声で呼んだ時から、デジカメの映像モードでその状況を撮影していたのだ。ちなみに学校にデジカメを持ち込んでいるのは彼が写真部だからである。

 それを般若の顔をした先生に提出。その場で見せて私の無実を証明。でも、彼が女に水をかけた咎は消えない。それに関して優人は言った。

「だって臭いんですよ? それに水被ったときのあの子の顔見ました? 化粧してましたよ。この学校って女子の化粧を認めているんですか? この前全校集会で散々化粧するなだの、スカート丈を膝上にするなだの、言っていたじゃないですか。常に悪いことしてる生徒は怒らずして、一回悪いことした俺たちは部屋に呼ばれるほどの怒りをぶつけるんですか? 不公平ですよ」

 いや、それは水をかけた理由にならないから。生徒指導の禿げた頭を見ながらそう思った。

「水をかけたこと、俺は謝りませんよ? むしろあの場で、一方的にこの子を悪者に決めつけた数学の先生がこの子に謝ってくださいよ。大人でしょ、できるでしょ、だって高校生に向かって謝れ、とか言うんですし、大人ならなおさらできますよね?}

 だからあなたの無実の理由にならないって。

「しかし×××の件は……」と言おうとすると、私は先生を睨んだ。こんなときまで名前を呼ばれたくないのだ。それを先生は知らないのか。

「先生もダメですね」

 優人は呆れたように言った。

「彼女は、自分の名前が嫌で、それを生徒相談室のケアの先生に頼んで、なるべく刺激しないように苗字で呼んでほしいって、お願いしましたよね」

 付き添いましたし、俺、と優人は言う。

 よくもまあ、そんなずげずげと言えるものだ、と逆に感心した。

 全校生徒の中で私一人のために配慮する必要などない、と言いたそうな顔だった。私は侮蔑した。こういう教師はだめだ。理想だけで生徒を語ろうとする。こういう先生に限って「先生の時代の学生は……」などいらぬことを言う。時代は変わっているのだ、なのになぜ過去を比較するのだ、それが私の言い分だったりする。

「ていうか、先生が生徒の苗字じゃなく名前で呼ぶのも、正直今の時代じゃセクハラと思われてもしかたないらしいですけれどね」

 またいらないことをべらべらと。

 優人は自分のことを棚に上げ、次々と先生に言葉で攻撃する。先生は盾で守りっぱなしだ。

 生徒指導室は嫌いだ。

 しかし優人が一緒ならば面倒事はあまりなくていい。優人はやり方は非道でも言い分は通っている。理不尽なことはしない。別の面倒事は増えたりもするが。

 しかし生徒指導室は嫌いだ。

 この禿げ頭もいるし。

 なにより嫌いなのが自分の名前だ。

 いちいちここまで呼び寄せるかよ、たかが名前で。


「ほら、そんな仏頂面しないの」

 優人は私の眉間をぐりぐりと指で押しつけてきた。痛い。

「かわいい顔が台無し」

「かわいくない」

 優人はかっこいいが。顔は。

 にこにこと笑っていたら、その整った顔はさらに輝きが増したようにかっこよくなる。花はもとから綺麗だ。それが太陽の光を浴びて生き生きと伸び育つような美しさ。それが今の彼にはある。

「優ちゃん、大丈夫だからね」

 優人は知っている。

 私がなぜあの女からいじめられているのか。

 私は名前のコンプレックスから人付き合いが悪く、クラスメイトとも特別仲がいいわけでもなく、つまるところクラスのボスからは目障りな存在なのだ。成績は悪くないし、定期テストの点数が明らかに女のものより良い結果に終わるから、というのももしかすると関係しているのかもしれない。



 小さい頃から名前でからかわれた。

 名前をもじった変なあだ名までつけられたことだってあったし、そのままの名前でも十分からかいの的であった。

 親は一生懸命考えた名前だ、と言った。だから誇りにしなさい、とも言ってきた。小さい頃、名前が可笑しいと陰で言われ続け、泣き続けた私の気持ちを踏みにじるには十分だった。名前の由来を聞いた。母は蕩けるような、女の笑みを浮かべた。

 だって、かわいいじゃない。

 かわいい、それだけだったのだ。私の名前はペットに名前を付ける感覚でつけられたのだと、直感した。

 そして、失望した。

 私はかわいくない女の子になった。なにがかわいい名前だ、そんなの、名前だけじゃないか。その思いでいっぱいで、とにかく反抗し続けた。

 親子関係はもう最悪である。両親の仲は悪くないが、私を挟むと家族関係は崩壊する。夫婦はうまくいっても家族はうまくいかない。それが我が家の有様である。私の命名に反対した父方の祖父母が居場所だった。母方の祖父母とも仲は良好だが、住所が遠いため悩み相談はできなかった。彼らだけが味方だった。だから彼らによく泣きついたものだが、それを見かねた両親が私に厳命したのだ、いつまでもおじいちゃんおばあちゃんに甘えるんじゃない、と。それから両親の許可なしに祖父母のもとへ行けなくなってしまった。後から知ったのだが、どちらの祖父母ともに、私の名前を巡って両親と喧嘩したそうだ。だから関わりを持ちたくなかったという。そんなことは私は関係ないと言って、ある程度反抗をしまくった中学時代にその一方的な約束は破った。両親には私は彼らの味方ではないと思われているのだろう、だから仲が悪いのだ。

 それに分かろうともしない両親だ。私の話を聞いてくれない両親だ。なぜ仲良くするのか。だって彼らは、血縁であり直接の関係を持つとはいえ、他人じゃないか。他人になぜ私は振り回されなければならないの。

 そんな思いでいっぱいで、原因となった名前が嫌いで、命名した両親はもっと嫌いになった。

 名前が嫌いだ。

 私の幸せを崩しやがった。


「優ちゃん」

 優人は私のことをそう呼ぶ。

 苗字で呼べばいいのに、彼は私をどうにかしてあだ名で呼ぼうとする。ちっとも私という原型のないあだ名だ。いつしか馴染んでしまって、いや、普通の名前のようで嬉しくて、そのままにしてしまったのだ。

「優ちゃんは、本名変えたい?」

「何を言っているの」

 いきなりの話題だ。

 いつもの帰り道、夕暮れの茜色の光に包まれる私たちの姿は、さも青春をしているように見えるだろう。しかし、私はそれを素直に受け入れることはできない。私には楽しく青春ができないおもりがある。しかし、優人といると話は別だ。優人との会話は楽しい。他愛もない話は優人としかできない。今日のあの生徒指導の先生のことだったり、最近転校してきた生徒のことだったり、流行の歌謡曲やアイドル、面白いドラマや映画。こんな話でもしっかりと記憶していた。だって優人は私をからかったりしない。だから好きだ。

 だから。

「名前は変えたい」

 これは本心。私の幸せを崩す名前が嫌いで仕方ない。×××とか、単語ごとこの世から消えればいいのではないかと思う。

 それでも。

「この名前がきっかけとしてこんなバカやれているようなら、そこまで嫌う必要があるのか分からなくなってる」

 ぶっきらぼうだけれど、私には本心を言えるのはこんな言葉でだけだ。

 優人は満足げに笑った。

「優ちゃんらしいや……でも、僕は、優ちゃんの名前がおかしくなくたって、優ちゃんと仲良くなったと思うよ」

「……恥ずかしいこと言うな」

 私には恥ずかしい言葉だ。優人は恥ずかしい言葉をよく言えるものだ。その間も綺麗に笑っている。

 笑顔は綺麗で、私には眩しいものだ。

 綺麗な顔だが、私には眩しいものではない。

 優人の手に私の手を絡ませた。

「めずらしいね、そっちから絡んでくるなんて」

 優人は一瞬目を見張って、でもすぐにうれしそうに笑って、手を握り返してくれた。

 あたたかい。

「優ちゃんは強いや」

 優人はそう言う。

 別に強くなんてない。はっきり言って、優人がいなかったら、今日のことだって落ち着いてはいられなかっただろう。優人のおかげで、私は平静を保っていられるも同然なのだ。なのに優人は私を強いと言う。

「僕は無理だったから。変えちゃったから」

 その意味を知っているのは、小学校の時からの知り合いである私しか分からないことだ。

 手をぎゅっと握る。

「それも正しい道だったと思うよ」

 正しい道はなんなのか、分からないけれど、それだけは言えると思う。

 優人は知っていると思う。

 私をいじめる女は、優人が好きなのだ。正確には、優人の顔が好きなのだ。だから優人を自分のものにしたい。けれど、私という存在が邪魔だ。なぜなら、優人の関心のほとんどが私だから。優人は愚直なまでに私を求めるから。恋愛的な意味で。

 しかしそれだけで私から身を引き(あるいは私が身を引き)、様子を見ようという発想には至らない。なぜなら優人はあの女が嫌いだからだ。私をいじめるものが嫌いなのだ。

 私も優人の外面しか見ない奴が嫌いだ。優人がたとえ病気になっても、おっさんになっても、事故かなにかで顔面が崩れても、優人から引かない奴ならいい。そんな人いないと思うけれど。

 私は優人のすべてを愛しきれる自信がある。

 空いている手で優人の右の顔面を撫でた。

 不思議そうに顔を呆けた優人に微笑み、思い切り頬をつねってやった。

「いでででで」と優人は涙目で訴えた。「何するんだ」

「優人、あいらぶゆう」

 どん、と軽くぶつかる程度に彼の体に自分の体を当て密着。恋人同士を象徴するそれに、優人は満更でもなさそうに微笑んで、私の肩を抱いた。絡めていた手が離れたことは名残惜しいが、この密着した状態なら手など必要ない。また握ればいい。

「あいらぶ、優ちゃん」

 そこはtooをいれるべきだよ。



 数日後のことだった。

「おい知ってるか、優人って整形してるんだってよ」

 下品な声が勝手に優人を汚した。

 朝一番に聞いたそれに、私は茫然とした。

 なぜそんな話が出回っているんだ。

 誰が言い出した。

「整形してるんだったら顔が格好良くても納得いくな」「うわ金持ちってやつ?」「信じられないよ」「正直ひくわあ」

 やめろ。優人を悪く言うな。

 殴りだしたい感情をどうにか抑え、今日はまだ来ていない優人を探す。教室にはいない。靴箱に下足がないからして、まだ学校に来ていないのか。それ以前に、優人の靴箱はいつもより汚れていた。だれかが意図的に汚くしたようだった。むかつく。

 優人に電話をかけたが出なかった。

「ほんと、最悪よね」

 道中そんな声が聞こえた。

 あの女だ。あの女、優人に何か言ったのか。あることないことを私にぶつけるように言うのか。

「私あの人かっこいいと思ったから告っちゃおうって思ってたの。整形してもいいよ、だってかっこいいもの」

 あほか、優人は装飾品なんかじゃない。

 優人はお前のものなんかじゃない。

 誰だ。



 誰が優人のことを言いやがった。



「あれ、×××じゃん」

 結局優人は今日は学校に来ず、心配だから家に行く旨をメールし、帰宅しようとしたところで呼び止められた。

 誰かと思った。

 覚えていない。

 男子生徒だ。平凡な顔の、平均身長くらいの、いやみったらしい笑みを張り付けた気持ちの悪いやつだ。

「ええ、俺のこと覚えてない? 小学校まで一緒だったじゃん」

 小学校。

 その単語に反応した。

 小学校卒業以来、私と優人はそれまで育ってきた土地を離れた。今は都会に住んでいるのだが、むかしはもっと狭い田舎に住んでいた。だから人のうわさ話が飛び交うのも日常茶飯事で、それがいいことでも悪いことでも風潮しているのが大人だった。だからこの男が小学生の時同じであったらその噂も知っている。

 つまり。

 この男は、私と優人の秘密を知っている。

「つかさ、優人ってマジ顔かわりすぎだよな! 最初会ったときビビったし! なにあの顔、めっちゃイケメンだな、だろ、×××」

 なれなれしく私の名前を呼ぶ男。

 やめろ、と言いたい。けれど、ここでまた何か言ってもどうせ私のせいに扱われるだけで、いつものようにやり過ごせばいいと思った。

 そう思いたかった。

 でも、私のことではなく優人のことを悪く言っているので、無視することができない。

「お前もさ、なに、あいつイケメンだから一緒にいたってか? あんな化けもんと一緒にいるとか正直ドージョーしたけどさあ、お前も人の子だな!」

 ぎゃはは、と気持ち悪い声を上げて男は去って行った。

 悔しかった。

 優人をあれだけ侮辱するなんて許せなかった。

 歯を食いしばる。

 自分のこと以上に悔しかったのだ。

 私のことだけならよかった。

 でも、優人の侮辱を言われ慣れていない。この数年聞いていない。私はまだ変えるための決意をしていないけれど優人は変えた。変えてしまった。そして侮辱を逃れた。なのに、せっかく逃げられたのに。

「ゆう、とに、あわなきゃ」

 優人。

 会いたい。

「ゆう、と」

 会いたいよ。



「僕はね、ずっと優ちゃんに謝らなければいけないって思ってたんだ。だってそうでしょ。僕はね、自分の顔が嫌だったんだ。顔が嫌いだったんだ。優ちゃんが名前を嫌っているように、僕も顔を嫌ってた」

「この前ね、お母さんに勧められてた整形がね、ようやくできるようになったんだ。ようやく化け物顔から卒業できるんだ」

「優ちゃん、ごめんね。もうそばにはいられないや」

「優ちゃんが嫌いなわけじゃないよ、むしろ僕は優ちゃんが大好き。愛してる。一緒に居続けたい」

「けれど、整形の事実を知っているのは優ちゃんと僕の家族だけさ。そして学校にいっちゃったら、次は整形でいじめられる」

「なによりね、優ちゃんに申し訳ないんだ」

「ごめんね、優ちゃん」

「優ちゃんは嫌いと戦い続けてるのに、僕は嫌いから逃げちゃった」

「情けないね」

「優ちゃん」

「愛してる」

「裏切ってごめんなさい」

 私から離れようとした優人はそう言った。

 小学生のころ、優人は顔のことでいじめられた。優人の顔面には生まれつき大きな痣があった。生活には支障はなかったが、その奇異さに子どものころからからかわれ続け、その延長上でいじめが起きた。あまりにも壮絶で、言いたくないほどだ。はっきりいって私の名前でからかわれるなどかわいいものなのだ。それに優人は男だったから、物理的な攻撃も多々あった。泣いている優人を陰で慰めるのが私だった。いじめられっこ同士が互いに同情しながら育んできた、愛情とも憐みとも似つかない、何かよく分からない感情だった。お互いそれに惹かれた。訳のわからない感情に惹かれた。そして、後悔した。

 優人は顔を変えてしまった。

 私の名前は簡単には変えられない。15歳以上になれば名前を変える権利は発生するが、親は許してくれなかった。だって親は言うのだ、可愛い名前なのに何故変えるの、この親不孝者、と。子どもを不幸にしているのはこの人たちだ、しかし子どもに権利はあるのだ、それを妨げているのは親なのだ。

 優人は分かっていた。

 私が名前を変えないのは親が理由であった。

 そして、優人が顔を変えたのもまた、親だったのだ。

 優人の家庭はそれほど裕福でなかったが、それでもお金をため続け、痣の原因究明やら整形手術やらで優人を治させたらしい。そして、いじめられていた環境からの脱出を試み、優人を「化け物」から「人間」にした。

 仲良くしていた私は、その後ひとりぼっちになった。

 去り際に優人に無理やり引っ越し先を教えてもらい、連絡を取り続け、たまたま父の転勤先が優人の住む町と同じだったため、優人が引っ越してから数年でまた再会できた。

 その時の優人の顔は、未だに忘れていない。

 なんにせよ、優人は顔を変えてもずっと、顔を引きずっている。

 痣を引きずっている。

 まるで縄のようにがんじがらめになっている。

 優人が顔を変えたことを、私は間違いだと思っていない。正しかったか、そう問われれば、実のところ分からない。顔を変えたところで小学生のときにいじめられた傷は治らない。心の傷はいやせない。今日おこったことのように、もし優人の昔を知る人間が現れたら、そんな恐怖がずっと優人の後をつけていたのだ。優人はずっと恐怖に追いかけられ、今日、現実が優人に追いついてしまった。

 私は、いつしか後悔していた。

 優人を追ってしまう形で再会してしまったことに。

 優人はおってきた私を見て、何を思ったのだろう。

 あの時の優人の顔を、未だに忘れられない。

 過去が追いかけてくる恐怖に絶望した優人の顔を、忘れられるわけがない。



 優人は部屋で寝ている、と優人の母に言われて上がらせてもらえた。

 彼の母は申し訳なさそうに私を見ていた。多分、今日休んだ理由もわかっているのだろう。私が再会した時に感じた、彼の未来で危惧したことが起こってしまったから、私を見る目も複雑なはずだ。

 いつもより足が重い。階段を一段一段上がる。

 二階にある彼の部屋に入るのは初めてでない。なのに、初めて彼の部屋に入った時のような緊張が私にはあった。

 『yuto』と書かれたプレートが下がっている部屋からは何も音はしない。

 ゆっくりと腕を持ち上げ、部屋の扉を小突いた。音が嫌に響く。

「優人」

 唇が渇いていた。かさかさしていて、皮が張っている感覚が分かる。

 一分くらいだろうか、いやもっと短いと思うが、私には長く感じた。五分、十分、あるいはそれ以上に。永遠になりそうな時間を切ったのは、扉の鍵を開ける音だった。重々しい金属の音だ。

 ゆっくりと扉が開く。

 部屋は暗かった。優人の顔がよく見えない。

「優人」

「優ちゃん」

 優人は私を部屋に招き入れた。床の板のきしむ音がした。

 部屋のカーテンは閉め切っており、やはり暗かった。部屋は男子高生の割には綺麗に整頓されていると思う。もっとも男子高生の部屋は優人の部屋しか入ったことがないので何とも言えないが。確かに寝ていたらしく、ベッドはシーツなどはだいぶ乱れている。目が慣れてきたころ、優人の顔を見たら、少し隈ができているように見えた。

「優ちゃん、ごめんね」

 なぜ謝るの、と私は言う。

「優ちゃんが苦しんできたときね、俺、他人事みたいに感じてたんだ。昔、俺がいじめられていた時、優ちゃんは俺にとって、かけがえのない存在だったんだけど、でも、そんな優ちゃんでさえ、いじめられているとき、俺、そんなに真剣に考えてなかった」

 むしろ自分が孤立してしまうことが少し怖かった、という。優人は私に対する罪悪感から私を守ろうと動いてくれていた。

 でもそれは、私は嬉しくないものだ。

「優ちゃんが好きなのは、本当だ」

 私が好きで私を守っていたのか。

 私が怖くて私を守っていたのか。

 優人は新しい生活を手に入れて、私をなかったことにするくらいできたはずだ。でもしなかった。それは、私に対する罪悪感と、変わってしまった自分を私がどう見るかが怖かったからだ。

 私のことなんて放っておいてくれてよかった、と後になってから思った。と同時に、自分勝手に優人を追いかけてきてしまったことを後悔した。そのせいで優人は傷ついたし、優人は逃げられなくなった。

「優ちゃん」

 優人は震える体で私を抱きしめてきた。いつもより力が強い。しかし、腕が震えていた。

「ごめん、ごめんね、優ちゃん」

 顔を私の肩にうずめてきた。肩の服の部分が段々と湿ってきたことに気づく。

「かっこ悪くて、ごめんね」

 優人は背負いすぎた。

 優人にためられてきたダムは、ついに決壊した。

 そう感じざるを得なかった。



 次の日から、私は優人の家に入れなくなった。

 次の日からも学校に来なくて、家に行ったら追い返された。優人は私にも会いたくないと言った。悲しかったが、当たり前なのだとどこか理解できた。もう行かないほうがいいのではないかと思ったが、私の意地なのかプライドなのか、それとも彼への愛なのか、訪問をやめなかった。

 優人が来なくて、あの男も調子に乗り始め、大げさに優人の話をし始めた。明らかに事実が誇張されている。私が反論しても、集団という力の中でそれは意味のない雑音だ。私の立場の学校には無いも同然であることもあるが、そうでなくても聞き届けるものはいないだろう。優人が来ないことを事実を認めたから学校に来ないと認識した学校の連中は、その後優人のものにも手を出し始めた。机に誹謗中傷を書き、時には彫り、下駄箱にはごみを詰め込み、教師がいない教室の黒板にも誹謗中傷を書き、さらには醜くゆがんだ顔の人間を描き、それを優人だと決めつけた。十中八九それは優人の顔には似ても似つかない。大体優人の顔は歪んでいたのではない、痣があっただけだ。それだけであの男は優人を化け物扱いしたのだ。

 化け物はあの男だ。

 人の悪いことを誇張して言いふらして、さも自分が物知りのように扱われ悦に浸り、自分が人を悪く言うたびに乗せられていく連中に支配欲を覚えた、人間の風上にも置けない、醜い醜い化け物だ。

 私が悪く言われていた以上に優人が悪感情に巻き込まれていくのを感じた。

 優人をこれ以上どうしたいというんだ。

 優人の家に行っても、彼に会えない限り彼に答えは聞けない。だから彼をどうこうするような問題でもない。

 もどかしい。

 歯がゆい。

 私は結局、何もできない。

 優人は、いじめられていた私をさりげなく助けてくれたというのに。

「何あの化け物、まだ学校に来てねえの?」

 放課後。

 誰もいなくなった教室で、あの男は一人残っていた私に言った。

 私は落書きされた優人の机の掃除をしていた。油性マジックで書いてあるせいで消えにくいがだいぶ落ちてきた。それでも明日にはまた落書きされているのだろうけれど。

「何の用?」

 私は男を睨んだ。男はへらへらと笑っている。

「いや別に? いたから話しかけただけだろ」

「用もないのに話しかけないで」

 お前とは話したくもない。

「あれ、やっぱ怒ってる?」

 男は挑発的だった。この状況を楽しんでいるようだ。人が落ちていく瞬間を、楽しんでいるのだ。

「俺だってさ、まさかこんな状況になるなんて思わなかったぜ? つかこのいじめって王道っつうか、テンプレじゃね。よくありそうなパターンじゃん、らくがきとかゴミとかさあ。まあ本人がいない中暴力振るうのはできねえしなあ。自宅訪問して落書きとかできないわけ?」

 この男は馬鹿か。

 それになんだその言葉は。ゲームだと思っているのか。

 こんな奴に、優人は陥れられたというのか。

 家に落書きすればそれはもう優人だけの問題ではなくなり、普通に考えて犯罪行為になる。優人の自宅の玄関口は、以前に空き巣被害が近所で発生したため個人で監視カメラを購入し設置したと言っていた。だからもし落書きしようものならカメラに映ってしまう。それでもしないのはそこまでしようとは思っていないからだ。高校生になってそんな低能なことはしないのはある程度限度を知っているからだ。

 別に学校の外まで優人に関心を向ける必要はないと、何となくみんなで思っているのだ。

 この男はそれを分かっていない。

「なあ、反応しろって」

 男は私の手をつかんできた。汚らわしい。触るな。

 振り払おうとしても男女の力の差か、振り切れない。

「×××さ、名前は残念だけど顔は結構かわいいじゃん」

 知るか。

「俺の女にならね?」

 私の顔面に男の顔面が近寄ってきた。何をされるか分かってしまい、一瞬で熱くなった思考が冷えた。

「触るな!」

 今度こそ振り切った。危なかった。危うく私がより汚されてしまうところだった。

「おお、こわいこわい」

 飄々とした様子で男は私から離れた。

「なに、やっぱあいつとお前、付き合っているわけ?」あいつ、とは優人のことだろう。「やっぱ女って顔が大事ってことか。まあそうだよな、整形してもイケメンはイケメンだしな、格好いい男はやっぱモテるんだよなあ、ま、顔だけ、だけどなあ」

 ぎゃはは、と下品に笑っている。

 思考が段々と冷めてくるのがわかった。そしてこの男を哀れに思ってきた。

 男は自分に酔いしれているだけだ。今まさに、自分は支配者だ、格好いい、とでも思い込んでいる。意識的か無意識的かはともかく、そう思っているのだ。

 格好いいわけない。

「格好いいわけないでしょ」

 どいつもこいつも。

 男は少し驚いた様子で私を見た。その返しは予想していなかったのだろう。

「引きこもるし」

 机を拭いていた雑巾を床にたたきつけた。

「否定もしないし」

 雑巾を蹴っ飛ばした。

「あげく部屋にもあげないし」

 一歩、男に近づく。

「自分を責めるんだよ、優人は」

 一歩、男に近づく。

「あの時自分の顔から逃げなきゃよかったってさ」

 一歩、男に近づく。男は一歩引いた。

「ずっと怯えていたんだろうね。優人の顔を知っていた人がまた現れるのをさ」

 一歩、男に近づく。男は一歩引いた。

「そうやって、優しいあいつは全部自分で背負い込んで、いじめを誰の責任にもしなかった」

 男は引けなかった。壁に追い込んだからだ。

「かっこ悪いよ、優人は」

 そうやって弱いものを背負い込んで、虚勢を張っていた。

 誰かに心配されるのが嫌だとか、そういうのではない。きっと、あいつは、見栄を張っていたんだ。格好良く見せたいから、つまらない虚勢を張って、かっこ悪いところを隠していたんだ。

 そんなところが、かっこ悪い。


「でも、あんたのほうがもっとかっこ悪い」


 人の嫌なところしか見ないし、悪いことを言い触らしていい気になるこの男のほうが、よっぽどかっこ悪い。

「そういえば、小学生の時に私の名前を最初にからかったのもあんただったよね。優人の痣をみて大げさに騒いだのもあんただったね。小学生の時から、何の成長もしてないのね」

 このくそガキ。

 そう言った私は一体どんな顔をしていたのだろう。

 男は私をまるで恐怖の塊のように認識し怯え、慌てて教室から出ていった。

 どうせその程度なのだ。

 ガキの虚勢など、その程度だったのだ。



 逃げてごめん。

 その言葉を優人からよく聞いた。

 今でもよく聞く言葉で、再会してからずっと言うのである。

 私は優人は逃げていなかったと思う。

 むしろ戦っていた。

 私を守ってくれた。

 名前という呪いから、いじめから、私を守っていてくれた。

 もしかしたら、私を守ることで罪悪感から離れたかったのかもしれない。

 でも、いつもみたいに、あの日みたいに、先生の説教を笑いとばして、帰り道で手をつなぎながら談笑する日常は、決して罪悪感ばかりではなかったはずだ。

 逃げていたのは私だった。

 いつも名前を呪い、わずらわしさを無視し続け、優人の助けを借りっぱなしだった。私の逃げは、優人にとって呪いだった。優人はそれすらも受け入れてくれていた。身勝手な私の行動を、自分の罪だとして受け入れてくれた。

 私にとって優人は愛おしい存在だ。

 だからもう、逃げるのはやめにしようと思う。こんなかっこ悪い自分はもう捨てよう。

 もう、終わりにしよう。



 優人の家に来るのも最後にするつもりだ。

 だから、今日は無理を言って部屋の前まで入れさせてもらった。

 優人はきっと私の声も聞きたくないだろうけれど、でも私は言いたかった。

 今日で、終わりにすることを。

 あの日みたいに、変に緊張しているようで、体はがちがちに固まっているし、口の中は乾きっぱなしだ。かっこ悪いな、ほんと。

「優人、聞いてほしいことがあるの」

 扉の奥から物音が聞こえた。きっといるに違いない。

「今日で、ここにはもう来ない」

 反応はない。私は続ける。

「だから、最後に聞いてほしいことがある」

 声が震える。足も震えて、立っているのがやっとだ。胸からバクバクと激しく脈立つ音がする。唾を飲み込んで、もう一度しっかり立ちなおした。

「私にとって優人はね、憧れだった」

 名前通り優しい人であるとか。いじめられている私を助けてくれるとか。過去から逃げないところとか。

「優人みたいになれたらなって思ってた」

 そうすれば、誰かのことを考える優人であったら、私のように転校先まで追いかけてくるなんてしなかっただろう。その人の幸福を本当に願っているなら。

「でも、意外と優人って、なんていうのかな、抜けているところがあるっていうか、優人が私に愛情表現してくることがあるけれど、軽い口調で言われるから信憑性が無かったりとか、女子からモテてるのにどれくらいモテてるのかとか把握してなさそうなところとか」

 日常でよく見られた光景を思い出す。

「私がかじった肉まんを勝手に食べたりとかジュースの回し飲みをしても恥ずかしげなかったりとか、私が家にいたい時に限って外に連れ出したかと思ったら優人の家に結局来ちゃったりとか、誕生日プレゼントのこと聞きたいのに真剣に取り合ってくれないとか……いろいろあった」

 些細なことで喧嘩腰になったりとか、恋人ができたらどうなるんだろうと思ってキスの角度のこととか何故か真剣に語り合ったりとか、異性の体のどこにフェチを見つけられそうかとか、夕ご飯なんだったかとか、料理してみたこととか、テストの点数とか。

 優人の言う私への愛は、きっと罪悪感で固められたものだ。

 悲しいけれど、そうなんだ。 

 でも、私は。

 私は!


「そんな些細なことでも幸せ感じられたくらい、あんたが好きだったよ」


 これは告白。

 人生最初で、最後にするつもりの愛の告白。

 それを、優人にささげた。

 場に沈黙が走る。

 これ以上ここにいる理由はない。

 優人はこれからどうなるんだろう。きっと転校するだろうから、もう会えなくなる。あの地獄の学校に無理に来る必要なんてない。高校で転校は難しいかもしれないが、優人は頭がいいからきっと大丈夫だ。

「ばいばい」

 もうここにいる理由はない。

 足がさっきより軽い。嘘みたいに動く。

 目頭が熱い。鼻の奥がツンとする。泣くなんて、まったく私はかっこ悪い。

 でもこれでいいんだ。そう思えた。

 これでいい。

 これで。


「いい逃げとか、卑怯だ」


 突然扉が開いて、不意打ちだったから驚いて振り返って、彼は、優人は、目に涙をいっぱいためて私を見据えた。

 前より確実に痩せた。頬が少し細くなり、目の下にはうすい隈が、最後に会った時よりも濃く出ている。

「優ちゃんは、卑怯だ」

 彼の綺麗な目から、滴が一筋流れ落ちた。

「優ちゃんは、馬鹿だ」

 私の目からも涙があふれ出た。

 馬鹿はないよ、と言おうとしたけど、彼が先に口を開いた。

「僕が、優ちゃんを、手放すと思う?」

 優人は私の手を引いて部屋へ誘った。

 扉を閉めた途端、優人は崩れ落ちるように座り込み、手をつかまれている私も引っ張る力が強くて一緒に座り込んでしまった。わざとだ。優人は私の顔を両手で包み込み、まっすぐ私の目を見た。当然私も彼の目をまっすぐ見る形になる。

「優ちゃん。まず言うけどね、僕ね、優ちゃんが最初に話しかけてくれたとき、とっても嬉しかったんだ」

 小学生の時。

 痣のある優人に近づくやつは大体奇異なものを一目見ようとしてくる子ばかりで、仲良くなろうとする者はいなかった。男子も女子も同じように好奇の目で彼を見ていた。当時の私もきっとそうだった。私は彼と最初から仲が良かったわけではない。

 でも知識をつけ始め段々年齢が上がっていくと、私は名前でいじめられた。変な名前、と言われ、私は変な子扱いされた。

 苦しかった。つらかった。私を見てくれないという事実が圧し掛かったからだ。

 そんなとき、優人と日直が一緒になった。優人は私に近寄ろうともしなかった。他の人に対してもそうなので当たり前だった。

 私は優人と話したことはなかった。ただ、いつもクラスで飼っている生き物のお世話をきちんとしているところとか、掃除を手を抜くことなくやっているとか、先生に対する挨拶はきちんとお辞儀をして返すとか、そういうところを見ただけだった。悪い子ではない、と思っていた。だから、彼自身を見てみたくて、私は彼に歩み寄った。

 彼にとってそれはとてもうれしいことだったらしい。

 私と優人が仲良くなるのに時間はかからなかった。

 私の歩み寄りが今の関係継続につながっているのだが、それを覚えていたのか。

「優ちゃんにね、愛してるとか、大好きとか、そう言っていたの、まさか僕が罪悪感を感じてたからとか、そう思ったの? 違うよ、僕はね、優ちゃんの人を見る目が好きなんだ。優ちゃんは初めて痣のある僕ではなく僕自身を見てくれた。罪悪感とかそういう悪い意味で終わらせるなんてしないよ」

 心の底から優ちゃんが大好きだから、大好きとか言えるのさ。

 恥ずかしげもなく、優人は言った。綺麗な目だ。嘘なんてついていない。こんな時に嘘をつく人間の目ではない。

 本気なんだ。

 本気で彼は私のことが好きなんだ。

「僕はね、かっこ悪いよ。だって、今、ひきこもりだし、学校に行くの怖いし、優ちゃんと会うのも怖かった。でもね、これで優ちゃんを手放すとかもっと嫌。いやだよ、優ちゃん」

 目から次々と涙が零れ落ちる。

 優人の唇が震えている。


「僕から離れないで。愛してるんだ」


 私は自分の唇と彼の唇を合わせた。キスをした。

「私だって離れたくないよ、馬鹿優人」

 私は口元に笑みを浮かべてみせた。

「優人がかっこ悪いのはもともとでしょ」

「……厳しいなあ」

 優人も笑ってみせた。

「でも、私もかっこ悪いから、丁度いいでしょ」

「あはは……優ちゃんには敵わないや」

 二人で笑った。

 久しぶりに笑った。

 盛大に告白しあって、盛大に泣いて、盛大に笑った。

 今度は優人から唇を合わせてきて、なんだかやっと、恋人らしいことをしてきたな、と思った。

 二人とも、かっこ悪いと言い合いながら。



 学校は地獄である。

 相変わらず私の×××という名前をからかい苛めてくる女もいるし、優人をサイボーグだとか化け物だとか言っている男もいる。

 一人の時にあんなに怖いと思ったのだが、なぜだろう、逃げていたはずのことなのに、二人でいたら怖くも逃げたくもならなかった。

 黒板に醜く書かれた誹謗中傷の落書きを消した黒板消しを男に思いっきり投げつけ、真っ白い粉だらけになった顔を見て二人して笑ったものだ。

 そして声をそろえて言った。

「お前のほうが最高にかっこ悪いよ」

 教師の間でも黙殺できなかったのか優人は事情聴取されたとき、はっきりと自分の過去を告げた。

 異常なことであるから教師も優人で事の始末をしようとしたらしいが、優人の父母がなんとあの男の家に乗り込み、謝罪を要求するという事件が発生したために、罪は男にあるとされたらしい。優人の両親がすごく格好いい。息子はかっこ悪いのに。余談だが、2人の告白しあいを聞いていた優人の母が「優ちゃんがお嫁さんになったら嬉しいわあ」とにこやかに言っていたという。後から考えたら私、場所を考えなかったな、と思って恥ずかしくなった。穴があったら一生籠っていたい。

「優ちゃん、名前、変える?」

 優人はたまに私にこの話を振る。

 私の嫌悪対象の名前。

 優人のように変えてしまいたい。

 でもあの両親は許してくれないだろう。いまだに話を取り合ってくれない。

 だから今、せめて私が名前が原因でされてきたことを説明するために動いている。

 私の感じたこととかくらいは、家族なのだし、せめて知ってほしい。

 逃げないと決めた以上はやらないといけない。

「もし変えるなら、『優』を絶対に入れる」

「そりゃあいい」

 

 くだらないことを語り合いながら、私と優人はいつもの道を歩く。

 変えることで変わることはたくさんあるけれど、逃げてもいいと思う。かっこ悪くたっていいと思う。

 かっこ悪い私たちは、今日もかっこ悪く生きている。

 それでいい。

 

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