第十六話 おしおきという存在 その三
途中で視点変更があります。
「女神への引渡しは無事すみました」
そう言ったのは見張りの男。と、いっても粗末な身なりではなく、騎士の鎧に身を包んでいる。
アレスをさらった男だった。
「うむ、間違いは無いと思うが、傷などつけておらぬな?」
「もちろん殿下のご指示の通りに」
「ふんっ、汚れた血など必要ないものを」
忌々しそうに舌打ちをしたのは、『エイル』のヨーゼだ次期族長。
「まあ、そう言うな」
そして諌めるのはジョセフ皇子だった。
緩やかにウエーブした金の髪を指で弄びながらわずかに端正な顔を歪めた。
彼は知らない。誰にでもにこやかであろうと心掛けているのに、時折不快な仕草を見せていることを。
ここは首都『スフラーフェン』から東に位置するフィエット公爵領。
広大な領地はスヴェアと国境を接しており、領都アーレムには先々代に作られた別宮が置かれていた。
一時はここで皇王が暮らし政務が行われていたのだ。
だからいまだに皇王のお膝元として領民の意識は高く、いまだに抜け切れていない。それがフィエット公爵領だった。
「しかし、なぜフレア様はあのようなまがい物に執着をしているのか? ここに本物の救世主様がいるというのに」
端正な顔に浮かぶ陶酔した表情。どこか歪なそれを、見るものがいれば一言いうだろう。
──異常と。
人族に対して排他的なエルフ。ダークエルフでもそれは例外では無い。
それが見せる崇拝した様子は病的にも見えた。
「馬鹿なエルフどもは理解してないのですよ。高貴で誰よりも素晴らしい偉大な救世主様! 我が世界を救う存在がここにいるというのに! 予言の間違いにも気づかず、何時までも北に執着して! あああ、愚かな愚者は、本質を理解しようとしない。ああ、我が神の生まれ変わりは、太陽などではなく闇の影の中にお生まれになったのに。それを!それを! それを! 場違いな汚れた血にまみれた、そう、汚物! 汚物です! 薄汚れた汚物から生まれた、間の子などまがい物でしかないのに」
瞳は恍惚に染まり、吐き出す言葉は毒と熱を持っていく。狂気に蝕まれた闇をまとったダークエルフは熱弁した。真っ直ぐにジョセフ皇子を見て。
「女神が何を考えているかは知らぬが、我が皇王に付くために必要だと言われれば仕方があるまい」
苦笑しながらヨーゼを制する。
さらに続けた。
「権力の座など興味もなかったが、それが定めとあれば受け入れよう」
もともと皇王の位など興味は無かったジョセフ皇子である。
実父フィエット公爵に似て政より芸術や文化に興味を持っていたのだ。
それが俄かに変わったのは、自身の持つ『呼び名』を知った時であった。
高きもの(ハーヴィ)最高のもの(オーミ)そして高座につくもの(スキルヴィング)──これがジョセフ皇子が持って生まれた呼び名である。
「まさしく王に相応しいでは無いか」
予言の書を持って現れたダークエルフのヨーゼ。最初は何を馬鹿なと思ったが、女神は否定しなかった。
いや、それどころか『正しく魂の一部を継承している』と認めたのだ。
これで覚悟を決めた。
そう決断すれば後は早かった。皇王取りに動き出すだけなのだから。
「これで女神が望むものを渡したのだ。約束どおりに死者の国の扉を開き、新たな時代の神となるのだ」
アレスに興味を示す女神の願いをかなえるために拘束した。
もちろんエルフとは揉めるであろうが、自分はエルフの求める神の生まれ変わりなのだ。
問題は無い。
多少分かり合えるために衝突もするだろうが、最後には理解してくれるだろう。
もちろん歯向かうのであれば容赦なく叩くだけだ。準備はしている。
そのための知恵も力も自分にはあるのだから。
そう思ったジョセフ皇子の顔は醜く歪んでいた。
※※※
「ここは……どこなんだ」
アレスはぶるっと身体を震わせた。痛さを感じる冷気が浸み込んでくる。空気さえも凍るように。
いや……。
そう感じているだけだ。
まだ身体の熱は感じるし、ほらっ、頬に当てれば暖かい……はず。
「……ドヴォルグさん。ここ気持ち悪い」
「ええ、坊ちゃん。気をつけてくださいやし。ちょっと普通じゃないかもです」
フレアの屋敷を抜け出して表に出たまでは良かった。目の前の森に飛び込み、頼りになるドワーフの背中を頼もしく見ていたのだ。
それがどうだろう。
どこまでも続く闇の霧。
視界の悪い中、走り続けて現れた景色は天を大樹の根が覆う暗い世界。
「迂回するしかありませんぜ」
大地を引き裂いて底のうかがえぬ裂け目が立ちふさがった。
底からは熱気が立ち上り、周りから押し寄せる寒気と衝突している。激しいぶつかり合いは雷を鳴らし、時折嫌な臭いのする雨を降らしていた。
まさに死の国のような。いや違う死の国そのものだ。
飛び越せられる裂け目を見つけ渡った。
幸運なのは魔物に襲われなかった事だろう。
身を隠すことすら出来ない場所で、足手まといの自分がいればどうなっていただろうか。
きっと無事ではすまなかっただろう。
──────幸運だった
そう考えて、はたと気づいた。
「生き物がいないのか?」
もしここが魔物でさえも生きられない世界だとしたら。魔物でも生きるためには食べなければならない。
それさえも不可能な世界。生きることを許されないほど過酷な世界ならば。
「馬鹿な……」
そう考えたアレスは頭を振って、その悪夢を振り払う。
「──────っ!」
バチンと両手で頬を叩く。
どこまでもマイナス思考にはまり掛けてしまいそうな自分に活を入れたのだ。
川を見つけたのは二時間ほど彷徨った頃だろうか。
酷く不気味な川は沸き立つ泉から流れ出していた。
「…………」
黙りこむドヴォルグ。
ここまでアレスを励まし引っ張ってきたドワーフが小さく見えた。
肉の盛り上がったたくましい身体が震えていた。
「やっぱり……間違いねぇ」
流れる川を一心に見つめそう呟いた。
「坊ちゃん、すまん!」
「ど、どうしたんですか!?」
「くそっ、俺としたことが、しくじった」
なおも嘆くドヴォルグ。
「すまねえ。闇の精霊を信じきった俺が馬鹿だった」
「ごめんなさい。意味がわかりません」
「ああ、要するにここはニヴルヘイムだ。ここじゃ闇の精霊も狂っちまう。いや、誑かされて言う事をきかねえんだ」
死の国ニヴルヘイムは最下層に位置する伝説の国だ。広くドワーフには語り継がれていた。
「ここから抜け出すのは容易じゃねえ! なぜなら出口を守っているのは……」
そう死の国ニヴルヘイム唯一の出口は冥界の門。
それを守るのはニーズヘッグ。終末の日の使い、黒き翼を持つ龍なのだから。
※※※
「くっ! くそっ」
いまにも切れそうな息を吐き出し足を前に運ぶ。転んで泥にまみれた顔を手の平で拭いながら駆ける。
どこに向かっているのか、何から逃げているのか。
「ドヴォルグさん──!」
声を張り上げた。届いているはずだ。
なのになぜ? 自分は孤独なのだろう?
終わりの見えない闇に残されアレスは一人だった。
どんどん重くなる手足を懸命に動かしながら前に進む。取り囲む闇は近くにいるはずのドヴォルグの姿を隠した。
音も無く、聞こえるのは己の息遣いと鼓動の響だけ。
──嫌だ、嫌だ、嫌だ。死ぬのはゴメンだ。
さっきまでは二人一緒だった。
愉快では無いが出口を求めて進んでいたのだ。
川沿いに下る。「嵐の海」と呼ばれる毒の川の先に門があるという。
ドワーフに伝わる伝承、それが合っているかは不確かでも賭けてみるしかなかった。
「とにかく近くまで行ってから考える」
それが二人の出した結論だった。
もっともアレスには頷くしかなかったのだが。
そこまでは順調だった。
それが一転追われているのは。
「くそっ! なんで! 精霊が攻撃してくるんだ!?」
襲い掛かってくる闇の精霊。
精霊と相性が良く、姿を幼い頃から見えていたアレスにとっては初めての経験だ。
──故に恐怖に襲われた。
隙あれば命すら奪おうとする闇の精霊から逃れようとする。
──助けて、助けて。助けてイネス。
助けて! ローザ!!!
闇の中アレスはそう叫ぶしかなかった。




