最期の日
きっと、世界中の誰よりも、生きていることを実感している自分がいた。
人の寿命は一人ひとり違う。人生の終わり方もそれぞれだ。誰もが同じなのは、この世に生まれてきて、やがて死んでいくこと。始まりと終わりは必ずやってくる。
まだ小さかった頃、子供ながらに死というものを知り、自分の周りから去っていく人を見て生命に終りがあることを学んだ。
誰にも平等に、時には不意に、時にはゆっくりと、最期の日がやってくる。だけど、俺は、この世で誰も知らないことを知っていた。
いつからだろうか、ふと意識したとき、自分の死ぬ日がわかるようになってしまった。
タイムリミットは29歳になって半年ほどの8月8日。
まだ遠い未来だと、学生時代の自分には何も感じるものがなかった。社会に出て、多くを学び、生きることが辛い時もあった。死んでしまうのも悪くないと思ったことだってある。実際、諦めのようなものさえあった。
「もし、自分の人生が残り1年しかないと知ったら?」
そんな言葉を耳にしたことがあるだろう。そしてほとんどの人がこう思う、残り1年を悔いの残らないように過ごす、と。
終りがわかっているなら、その間にできることを、したいことを、好きなだけやってしまえばいい。そう思うのが当たり前だと言ってもいい。25歳を過ぎたころから、自分の中にも同じ考えが芽生え始めた。
そして考えた、残り4年間をどう過ごすか。
実行した、月日はのんびりと流れて行った。
友人と騒ぎ、旅行へ行き、うまいものを食べて、そんなことばかりでなく悲しい出来事もあって、少しの幸福と少しの不幸と充実した日々を抱えながら、29歳の誕生日を迎えた。
あと少し、そう実感するようになり、人生に対する思いが変化した。
充実した日々は続いていた、でも、そこにやりたいことをやるという楽しみを追及はしなかった。自分にとって、残りの日々を自然に、当たり前に過ごすことが一番になっていた。退屈な日もあった。何もしない、無駄な1日かもしれない日もあった。そんな毎日が、やがて何よりも愛しく感じるようになっていった。
さらに終わりは近づいてくる。残り、1週間。
周りの人間には伝えてある、自分の死のことを。後のこともすべて、既に手を打ってある。もう、1週間後を待つだけだった。変わらず毎日を過ごす。
悲しい気持も確かにあるけれど、それ以上に十分すぎるものを得たと思う。後悔はしていない。
唯一つ、いつしか自分の中に芽生えていた気持ちがある。誰にも伝えていない、死ぬまで自分の中に留めておくこと。
そして、最期の日がやってきた。
最後の最後まで、自分の周りにはたくさんの人がいてくれた。もう、寂しくなんかなかった。悲しくなんかなかった。こんな幸せに最期を迎えられる自分はとても贅沢だと思う。
そして、終りがやってきた。
最後の瞬間、みんなに伝えるのは別れではなく感謝。
「ありがとう」
その一言で一生の幕をおろした。
生きていることを十分に感じながら、終りが近づくのを感じながら、ずっとずっと考えていた。誰にも言わなかったこと。
もっと、生きていたい。