君がいた
この世界は三つの柱で成り立つ。
それは変わる事のないたった一つのことだった。
その柱がある日欠けた。
長い生を生きる嘆きが、彼に次代への柱の受け継ぎを拒否させたのだ。
悲しみを背負わせたくないという気持ちは人間らしく、それであって愚かだった。
彼に付き添っていた星の一族は散ってゆく。
残された柱二人に多くの負担がかかる。
それまで三人で支えてきた世界は、これを期に崩壊し始めるのだ。
最古の柱である女性は嘆いた。
私は見ているばかりで何も出来ない、と。
だが、もう一人の柱の男が慰めていた。
この世界を見守っていこう。いつか光は指す、と。
女性は次第に光を見る。
――それも長く続かず。
柱の男が死んだ。
彼を受け継いだ次代の少女はあまりに幼く、男と柱をしていた頃の世界の均衡は取り戻せない。
実質一人で柱をしているようなもの。
女性は塔にこもった。
中央にそびえ立つ塔で一人きり。
外になど出られない。
余りにかかる負担に、彼女は塔から出られなくなったのだ。
彼女は夜空に問いかける。
「世界よ、何故この事態を見守っているのです。
今この時こそ、世界の力が必要でしょうに」
女性は窓にかけてある手をきつく握る。
下を向いていた女性は、真昼のような光を感じ顔を上げる。
真っ暗な空に流れるいくつもの光。
その中で一際輝く光があった。
その光は四つに分かれ、東西南北に流れ落ちる。
東西南北に新しく柱が増え、世界を支える力となったのだ。
「へぇ!それであなたは柱になったの?」
美しく、豪奢な服を着た少女が言った。
向かいに座るのは魔術師であることを示すように、ローブをはおった青年。
彼はにっこりと肯定した。
「この記憶は全ての柱に受け継がれる」
「じゃあ同じように、記憶というものは全て受け継がれるの?」
「そうなるね」
「柱は受け継がれるのよね。だとしたら、莫大な記憶だわ」
「そうでもない」
すぐに返答が返ってくる。
「僕は新たに出来た柱だから、記憶量がそんなにない。
代替わりもしていないしね。
僕が持つ記憶は僕が生きただけある」
「それでもあなたはこの国が建国してからずっと生きているわ。
そうでしょ、先生?」
「ああ、そういえばそうだ。
僕としてはつい最近のような気がするな」
五百年も前のことを、つい最近だなんて!
呆れ果てた少女は目をそらした。
ふと、時計が目に入る。
「大変よ先生!あと三十分で授業の時間が終わっちゃう」
二時間ある授業のほとんどが世間話だったのだ。
「それは大変だ。いそいで授業を始めようか。
空間についてだが――」
「先生、どうしょう!!」
酷く慌てた生徒が僕の前に現れた。
「どうしたんだい?まずは深呼吸してー」
「そんなことしてる場合じゃないのよ!
私、結婚しなきゃいけないの!」
「それは王家の者としての宿命じゃないか」
「っ、分かってるわよ、そんなこと!!
それでも好きな人と一緒になりたいって思っちゃ駄目なの!?」
感情が高ぶり、目が潤んでいる。
それを冷めた瞳で見つめる。
「もちろん駄目だ。君は女として生まれているのだから。
つまり結婚をして他家との友好を深める役割があるんだ。
他国との結婚ならなおさら」
はっとしたように僕を見る。
それでいい。
「知ってたのね?どうして反対してくれなかったの!?」
「何の関係があって?
僕と君はただの教師と生徒。それ以下でもそれ以上でもない」
「それでも」
覚悟を決めた瞳で僕を見上げる。
「それでも私は」
―言ってはいけない!!―
凛とした瞳が僕をとらえて離さない。
「あなたが好き」
もう戻れない。
あれからも授業は変わりなく続けられる。
「あなたは後どれくらい生きるの?」
「まだ魔力が枯渇していないから、かなり生きられるね」
柱は魔力の枯渇と共に死ぬ。
代替わりと共に。
不老であった柱は人と等しく死を迎えられるのだ。
あの星が流れた日の姿で僕はここにいる。
人と同じように老いることは出来ないのだ。
「じゃあ、私の生まれ変わりと会えるわね!」
明るい声が突拍子もないことを言った。
「それよりも早く嫁に行けば?」
「あら、嫁に行かずともあの国とは上手くやれるわ」
王は侮っていた。
笑うしか能のないはずの娘が、政治の才能があったなど思いもしなかったのだ。
「あの国は軍事国家。
いくら製鉄で有名でも、自給率から豊かとは言えないわ。
そうなると物資が必要よね?
この国は食料が豊富だから良かったわー」
頭の切れる王女。
「あなたの嫁になら、いいのよ?」
腕を僕の首にからませてくる。
僕は腕をのけながら言う。
皮肉ったように笑って。
「それで嫁に迎えて、君が死んで、その後どうすればいい?
君の骸むくろをかかえて泣けとでも?」
「あら、泣いてくれるの?」
反して、彼女は嬉しそうに笑う。
しかしその後、影を落とす。
「泣いてくれなくてもいいのよ。
私が生きていたと覚えてくれれば」
「僕は強くない。これでも多くの人の死を看取ってる。
これ以上、親しい者を亡くしたくないんだ。
受け継いだ記憶はなくなった柱を愚かだと言う。
けれど僕はその気持ちが分かるね。
愛しければ愛しいほどこの悲しみを背負わせたくないんだ」
「悲しいの?」
「消えない悲しみさ」
あれから政治的手腕を認められ、一時的に彼女は女王となった。
「星の一族に北極星が立っただって?」
「そうなのよ。私も驚いて。
でも願いが叶うなら私も北極星となりたい」
切実に空を見る彼女。
「ばかばかしい」
北極星という名の柱など、前の柱はきっとのぞんでいない。
「だからいいのよ。私という人の存在さえ覚えてくれれば」
現実に帰ったかのように僕を見る。
少し、安心した。
「嫌というほど覚えてるよ」
「ありがとう」
どれほど心のこもった言葉だったか、その時は分からなかった。
「僕の記憶力が悪いと思っているのかい?」
彼女は笑った。
久しく会った時、顔色が悪くなっていた。
「君、最近痩せてないかい?
そんなに執務が忙しいのかい?」
思わず握った腕の細さに、薄ら寒いものを感じる。
「ええ、まあ。そうそう、弟が結婚するのよ。
これを期に弟に王位を譲ろうと思うの」
いつしか成人し、女王となった彼女は、紅い薔薇のように咲き誇っていた。
開ききった花びらから甘い香りがたつ。
この僕を惑わす女性となっていた。
「君は本当に結婚しないのかい?」
「さびしくないわよ。みんないるもの。
あなたがいるもの」
「馬鹿だろう!どこに結婚しない女性がいるんだ!」
この国には未婚の王族などいない。
それが女王なら、なおさらいけない。
「ねぇ、どうかこの想いを貫かせてよ。
何も返さなくていいの。ただ想うだけでいい。
あなたがそんなこと言わないで」
あなたと結婚出来ないと分かっているから、私はしないのよ。
含まれた言葉が聞こえた。
怖い。いつかこの子に足元をすくわれてしまいそうだ。
「姉さん!またあいつに会いに行ったのか!?」
廊下を歩いていると、あの子の弟が珍しく声を荒げたのを耳にする。
とっさに隠れて耳をすます。
「そんなこと言わないで。あの人に会いたいの」
僕のことだろう。
「でも、あいつのせいで姉さんは……」
未だに一人身のことだろうか。
だが、彼女は生涯誰とも結婚しないのだろう。
僕が結婚を勧めても、悲しい顔をして笑うだけだから。
そしてじっと僕を見てくるのだ。
僕の時すら止めてしまう瞳で。
「誰のせいでもないのよ。
まったく、そんな悲しそうな顔しないの。
大きな子どもねぇ」
彼女の病的に白い腕が弟を抱きしめる。
弟は甘えるように彼女にもたれかかる。
「俺、姉さんのこと好きだよ。
母さんのように思ってた」
「お母様を見たことがないのよね、あなたは。
とても美しい人だった。心も、外見も。
お母様の笑った顔が好きだったわ」
確か彼女の母は療養中に亡くなったはずだ。
若くして亡くなったため、先王は深く嘆いていた。
「姉さん、お願いだから!!」
「いいじゃない。少しくらい我がまま言っても」
「たった一人の身内なんだ!」
「そうね。あなたのこと大切に思ってる」
「姉さん!!」
涙ぐんだ声が、必死さを伝える。
結婚の話ではなさそうだ。
なら、何の話だ?
ある日、書斎で本を読んでいると、彼女の弟が息を荒くして部屋に舞い込んできた。
「来い」
酷く威圧的だったが、目が焦燥を隠しきれていなかった。
大人しく従った。
何かあったのだろう。
通された部屋には彼女がいた。
「……なぜ」
彼女はやせ細っていた。
あの咲き誇っていた薔薇は今枯れようとしている。
横たわった彼女が弟に礼を言う。
「ありがとう。あなたには感謝してる。
大好きよ、可愛い弟」
「っ、大、好きだよ。お姉ちゃん」
「懐かしい呼び名ね。ふふっ」
彼女は親愛をもって頬にキスする。
弟は揺れた瞳で姉を見る。
「先生もこっちに来て」
近くで見れば見るほどやつれている。
生気がまるでない。
それでも光指す瞳。
あの日、とらわれた瞳と同じ目をしている。
凛として、高潔で、どうしようもなくとらわれる。
「先生、大好き。ずっと大好きよ」
少し間がおき、彼女は再び口を開く。
「ごめんね。私、体が弱いの。
だからあまり長く生きれないって知ってたのよ。今日が最後。
ごめんね。隠してて。
ごめんね。最後が死に様なんて。
どうか忘れて。この時を。
どうか覚えてて。私を。
どうか――」
好きになって下さい。
体はすでに弱りきって、言葉すら出ない彼女。
唇だけが動いていた。
空気だけ、動いていた。
ああ、どうか、どうかこの子を。
静かに唇を重ねた。
彼女は目を瞬いて、にっこりと幸せそうに笑った。
青白い頬にしっとりと紅がさす。
伝えきれず、もどかしい気持ちのまま彼女を見つめる。
彼女は微笑んで、傍かたわらの机の引き出しを指した。
「何?」
静かに、とびきりの笑顔を見せて、瞳を閉じる。
彼女は去った。
あっけない死に、僕はついていけなくて、戸惑っていた。
いま、死んだ?
彼女が?
どうして!?
自分に何度も問いかけていた時、頬に強い痛みが訪れた。
景色が変わる。
いや、自分の体ごと吹っ飛んでいた。
僕の前に立つのは彼女の弟。
「くそっ、この男のせいで!!」
肩で息をしている。
「姉さんはな、魔力を受けつけない体なんだ!!
だからこの国にいるだけで寿命を縮める。
どの市民も魔力をもつからな。
そして、桁外れの魔力をもつお前のそばなんて特にだ!!」
なん、だって?
彼女は、僕のせいで?
嘘、だろう?
「同じ体質をもつ母さんは長く生きたさ。
安静にして、魔力の少ない場所で暮らしていたからな!
でも姉さんはお前に会いたがった。
あの結婚の話だって、魔力の全くない国で療養するのが目的だったのに、おまえが!!」
僕の胸倉むなぐらを掴んで、怒りと悲しみをぶつけてくる。
痛い。
心も、背中にあたる机の角も。
「お前さえいなければ姉さんはっ!!」
胸倉を掴み上げる。
抵抗する気などない。
しかし、ガタッと言う音と共に手紙が落ちてくる。
僕がぶつかったため、彼女の指した引き出しが開いてしまったのだ。
弟の憤っていた瞳が、手紙を捉える。
「姉さん、馬鹿だよ……」
弟は肩を落とし、部屋を出ていった。
落ちていた手紙を開ける。
どれも、これもラブレターだった。
僕への。
途中から日記になっている。
『今日、先生の部屋に行けなかった。
こんな顔じゃ行けないわ』
『今日は体をおして先生の部屋に。
弟の結婚の話を伝えたの。
……体のこと、気付かれてないよね』
『会いに行けない。
こんな体じゃ。
ただあなたに会うだけでいいのに』
『会いたい 会いたい 会いたい』
『好きです』
『好きです』
『もう今日が最後とのこと。
安静にしてたらあと10年は生きれたそう。
でもそんなことどうでもいいのよ。
ようはどう生きれたか。
だから後悔なんてない。
――嘘。
後悔なんてたくさんある。
先生、好きです。
もし、生まれ変わったら私があなたを探すから。
そのときは笑って笑顔で迎えてね。
あなたに会えたこと後悔してない。
会えてよかった。
好きです。好きです。好きです。
いくら書いても伝わらない気がする』
全てを読み終えた時、部屋が暗かった。
すでに日が暮れていたのだ。
なんて馬鹿だったのだろう。
彼女を思うなら、僕は国を出るべきだったのだ。
そうしたらこの子は……。
いや、僕は彼女と会うのを楽しみにしていたんだ。
わざと嫌そうな顔をして。
彼女の亡骸なきがらを抱える。
冷たくなった手を握って、彼女の安らかな顔を見つめる。
「君は幸せだったのだろうか。
僕を好きになるなんて馬鹿だよ。
そして何も知らなかった僕も馬鹿だ。
――ありがとう」
生まれてくれて、君に逢えて、好きになってくれて、好きになれて。
愛しい人よ。
冷たい唇は僕に涙を流させた。
「あれ……、泣くつもりなんてなかったのに」
とめどなく流れる涙は彼女に落ちる。
まるで彼女が泣いているように。
気付いた僕は彼女の涙を拭い、横たえる。
「安らかにお眠り」
その日、賢者と呼ばれた柱は姿を消した。
ただ、彼の愛した国のどこかにいるのは確かであろう。
そしてこの国の重要な式典に必ずひっそりと現れるのを目撃されている。
きっと彼はこの国が危機に瀕ひんした時、現れ、救うのだろう。
彼女の国だから。
それは一人の柱の話。
彼は今も悔やみ続けている。
****
何故気が付かなかったのだろう。
僕が国を出ていれば――!!
美しく、儚く散った彼女が昨日のように浮かぶ。
しかし、国を出る事は出来なかった。
彼女の愛した国だから、見守っていきたい。
いや、思い出の残る地だからこそ、ここにいたい。
呪縛のように彼はこの地にいた。
森の奥、誰も来ない場所でひっそりと。
「こんにちは、賢者さんいますか?」
時々城からの勧誘に耐えながら。
「帰ってくれる?僕はもう城には行かない」
違う、城には行けないんだ。
「賢者さーん」
ドアが何度もノックされる。
しつこいっ!!
苛立ってドアを開けた先には――
「先生、久しぶりです」
君がいた。
あの時とは姿も、声も違う。
けど君だ。
これだけは確かなこと。
「君はっ!!」
込み上げた感情のままにデコピンする。
君は痛む額を押さえて、
「何するんですか先生!?」
とのたまった。
「笑って笑顔で迎えてくれる約束なのにー!!」
「君はそれが本当に出来ると思っているのかい?
だとしたら馬鹿だ。今のは僕に何も言わなかった罰。
そして――」
ふわりと君を抱きしめる。
「お帰り」
耳元で囁く。
そして君の望むとびきりの笑顔で、桜色の唇にキスを送る。
会えた喜びにくすっと笑って君を見れば、君は大粒の涙を流していた。
「ごめ、ごめんなさい先生。
何も言わなくて。
でも、すっごく嬉しい!!
またあなたに会えてよかった」
君の笑顔で花が咲く。
待っててくれたことが嬉しくて、
あなたに悲しい想いをさせてしまったことが悲しくて、
言葉にできない。
でも、伝えたいの。
「待ってたの、あなたに会える日々を。
本当に、よかった」
違う、もっといい言葉があるはず。
ああ、そうか。
この気持ちを私達は
「愛してる」
愛と呼ぶんだ。
二人の話は再び書き綴られる。
柱の話は、当時よく頭に浮かんでいました。
ですが、不老なため、本当の幸せにはなれない話しばかりで。
この話は、ご都合主義な最後となっています。
ただそれでも、この柱には彼女と会ってほしくて、書きました。
読んでいただき、ありがとうございます。
2006 3/15~3/20 執筆
2012 3/10 修正