【前半戦】 うらはらな恋心
俺はその日もうんざりしていた。
四月、小学校からの友達やサッカークラブで顔を合わせたことのあるやつ数人と、入学式を目前に教室で話していた。
教室を見渡すと、半分以上が違う小学校だった生徒で、俺より背の小さい男もいるし、背の高い男もたくさんいた。その中で、いくつかのグループに分かれて話す女子が、こそこそとこっちを見てるのに気づく。
「ねねっ、あの子、すっごいかわいくない」
「あっ、私知ってるよ。西海神小の香川君だよ。女の子よりきれいな顔してるよね」
その会話に、俺はぴくっと反応する。女子たちはこそこそ話してるつもりだろうが、俺にはその会話がまる聞こえだった。
確かに、俺はそこらへんの女子よりも整った顔をしてる。初対面のやつは、だいたい俺を見るなりかわいいというのだ。だが、男がかわいいとか言われても嬉しくないんだよ!
他の女子のグループも同じようなことを話してるのが聞こえて、俺はイライラする気持ちをどうにか抑えようとして女子の方をじろっと見た。するとその中に、眉間にすごいしわを寄せてこっちを見ている子がいるのに気づく。
「うーん、確かに綺麗な顔だね。でもあと二、三年したら、すっごくかっこよくなるんじゃない? 将来有望そう」
その子がそう言った。
かわいいとかきれいとはしょっちゅう言われるが、かっこよくなるなんて言われたのは初めてで驚いた。その瞬間、心臓の音がドキドキと早くなる。
その子は違う小学校出身で、自己紹介の時に千葉花音という名前だと知る。出席番号が割と近くて、その子の席は俺の斜め前。気がつくと俺は、いつもその子を見つめていたのだ。
でも好きとかそういうのではなく、俺の事を初対面でかわいいと言わなかった初めての子が、どんな子なのか興味を持ったからにすぎなかった。実際、千葉花音は、顔は特別かわいいわけでもなく平凡、人見知りなのか仲のいい友達意外と話しているところをほとんど見かけず、クラスでは影の薄い存在だった。ただ、時々する眉間にぎゅっと皺を寄せた顔を見ると、なぜかイライラと胸がざわついた。
中学生になって二カ月が経った頃、二年生の女子に呼び出されて告白された。
その先輩とはいままで話したこともなかったが、初めての告白にうかれ、付き合うことにも興味があったから、あまり深く考えずに付き合いだした。
先輩とは一緒に帰ったりしたけど、付き合うことに対して抱いた期待以上のことは起らなかったし、いい人だとは思うが女の子として好きかと言われると微妙なとこだった。
それからしばらくして席替えがあって、千葉花音と席が隣になる。
仲良くなるチャンスだと思った。しかし、千葉花音がこっちを見ることも話しかけてくることもなかった。おまけに、今まで観察することが楽しみだったのに、席が隣ではジロジロと見ることもできず、イライラした日々を過ごす。
ある日、社会科の教科書を忘れたことに授業が始まる直前に気づく。もっと早く気づいていれば他のクラスに借りに行けたけど、しかたなく隣のやつに教科書を見せてもらおうと思った。俺の隣、というと……左側は窓で、右側は彼女だ。俺は思い切って声をかけた。
「なぁ、教科書見せてくれる?」
しかし、彼女は全く反応を見せずなにか一生懸命ノートに書いていた。聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけるがこっちを見ようともしない。
そのうち、先生が来て授業が始まった。俺は無視されてるのかと思ってなんだか腹が立ち、ダンッと勢いよく俺の机を彼女の机にくっつけると、彼女の机の上にきっちり揃えて置いてあった社会科の教科書をひったくって自分の机の真上で開いた。
それまで夢中でなにか書いてた彼女が、机をくっつけた拍子にゆれた机に驚き、こっちを振り仰いで一瞬動きが止まり、俺の顔を見て、きゅっと眉間にしわを寄せた。
俺に向けられたその表情に、視線に――ドキンっとする。それと同時に鼓動が激しく打ちはじめ、わずかに顔が赤くなるのを感じて視線をそらした。
しばらくして、腕の下敷きになった教科書を引っ張られてることに気がつく。ちらっと横を見ると、彼女が赤い顔をして必死に教科書の端を引っ張っていた。その顔があまりにかわいくて、俺はその顔をもっと見たいと思って、教科書に乗せた腕に力を入れその一時間、彼女の教科書を独占して、ちらちらと彼女を観察した。
初めは、教科書を取り戻そうとしてたが無理だとあきらめたのか、前を見て先生の話を聞き、ノートを必死に取っていた。俺は、初めてこんなに近くにいる彼女の存在を全身で感じて、体の右側だけが熱を持ったように熱かった。
授業が終わる頃、俺はウトウトと寝てしまっていて、ドンっという机の揺れで目を覚ます。
顔を上げると、彼女がぎゅっと眉根を寄せた顔で叫んでいた。
「勝手に、私の教科書使わないで! 返して!」
そう言った彼女に思いっきり教科書を引っ張られ、俺は教科書に乗せた腕のバランスを崩し、顎をしたたかに机にぶつける。顎をさすりながら再び顔を上げると、彼女は教室から駆けだしていくところだった。
突然の大声に、クラスメイトは俺と教室の入り口をちらちら交互に見ている。
俺は一人にやける顔を隠すように手で口もとを押さえ、好奇心から少しはみ出して生まれた自分の気持ちに気づいてしまった。
と言っても、すぐに自分の気持ちを伝えることはできなかった。なぜならば、初めての恋だったからだ。それに俺には彼女もいる。どうしたものかと悩む――
※
放課後、部活に向かったが、忘れものに気が付き教室に戻ると、数人の女子が話していた。その中に彼女がいて、俺はあわてて扉に隠れる。
「花音ちゃんいいなぁ、香川君の隣の席で」
「ねぇ~、香川君てかわいいし、やさしいし、隣の席だったら仲良くなって付き合っちゃったりして~」
そんなことを話していた。きゃっきゃっと楽しそうな声の中、彼女は一人うかない声で。
「あんなやつのどこがいいの?」
彼女がつぶやいた。
「あー、花音ちゃん、この間すごい怒ってたもんね? 何があったの?」
「私の教科書を勝手に使って、そのくせ授業中に居眠りしてるんだよ? 信じられないでしょ!?」
怒った声と一緒にバンバンっと音が聞こえる。きっと、怒りにまかせてまた机を叩いているのだろうと想像して、頬が緩む。
「えー、居眠りしちゃうなんてかわいいじゃん」
「そーだよ、席くっつけてなんか話さなかったの?」
そう他の女子が言って笑う。
「全然! だって、教科書一人占めされてノート取るのに必死だったんだから!」
「あらら、それは大変だったね?」
「でもさ、あんなかわいい香川君が隣にいたら、好きになっちゃうんじゃない?」
その言葉にドキンとして、俺は胸に淡い期待を抱き――次に発せられる彼女の言葉に耳をすませた。
「まさか! ありえないし! あんな強引なやつ、大嫌い!」
しかし、当たり前と言うべきか、あんな意地悪をしたのだから、好かれているわけはないか。
ガクッと肩を落としてうなだれる。期待した自分が馬鹿らしかった。
「まあまあ……」
彼女はまだ何か愚痴っているようで、友達がなぐさめていた。
俺はその場を静かに立ち去る。しばらく廊下を歩いて、はぁーっと落胆のため息をはいた。
自分で言うのもなんだが、俺は女子にモテる。中学に入ってからもう何度告白されたことか。まあそのほとんどがその時初めて話す子ばかりで、見た目だけで告白されてるように感じるが、この顔のせいかおかげか、普段、女子の方から積極的に話しかけられる。
下に弟と妹がそれぞれ二人ずついるから面倒見はいいし、頼られるのは好きだ。女子から頼みごとをされれば快く引き受けるし、女子には優しく接してる方だと思う。
ただ、自分から積極的に女子になにかしたことはない。
千葉花音と仲良くなりたい、どうにか彼女の中の俺の悪いイメージを撤回したい、とは思うものの、どうすればいいのか全く分からなかった。
なんとか彼女と話そうとペンやノートを借りるのだが、彼女を目の前にするとぶっきらぼうな口調や態度になり、そのたびに彼女の俺を見る目がどんどん冷たくなっていった。
俺が声をかければ、かならず眉間にぎゅっと皺をよせ嫌そうな顔をする。仲良くしたい、優しくしたいと思うのにその顔を見ると、心とは反対に、ひどい態度をとってしまうのだった。
※
夏、部活が忙しくなるのと反比例して、彼女の先輩と遊びに行く時間がどんどん減った。
夏の終わり、『他に好きな人が出来たから』というメールが、初めてできた彼女との別れを告げた。自分の気持ちを自覚した今、去っていく彼女を引きとめることもしない。
二学期になり、席替えが行われ千葉花音とは席が離れ、近くに彼女の気配を感じることも、彼女を盗み見ることもできなくなってしまった。隣の席、というたった一つの接点がなくなり喪失感に襲わせる。たとえ冷たい視線でも、向けられないよりはましだとさえ思う。
その寂しさを埋めるように、クラスの女子に告白されてそのまま付き合いだした。それなりにその子のいいとこを見つけ、やさしくし接して楽しく付き合ったつもりだが、俺の心がどこか上の空で違うとこを向いてると気付き、やはりそのことが気に食わないようで、付き合いは長く続かなかった。
それでも、俺が彼女と別れたと聞くと告白してくる女子は後を絶えず、すぐに新しい彼女ができる。基本、来るものは拒まず去る者は追わず。そんなことを繰り返して、千葉花音に対するやりきれない思いをどうにかしようとしてた。
香川、中学生編です。