ここまでされたら納得せざるを得ない
トラックに轢かれて死んだかと思ったら、なろうにありがちな異世界転生の当事者になってしまった。勇者か悪役かと期待したが、辺境伯家の次兄で、出戻りのΩで。足が悪いこともあり、領地に引きこもりだ。両親は俺がこの家で暮らしていけるよう整えてくれているし、俺自身も穀潰しにならないよう事務仕事を担っているが、他家から見るとどうしても何の役にも立たないΩにしかならない。
この転生に意味はあったのか、なんて考える不毛な日々を過ごしていたが、突然、それは起きたのだ。
「おにぃ、マジでお願い!剣技大会観に来て!」
夏季休暇で領地に帰ってきた弟のウィリアムが、開口一番、そんなことを宣った。書類を片付けていた俺は思い切り首を傾げる。
「あ、剣技大会ってのは騎士科の年一のイベントなんだけど、」
「あぁ、いや、それはわかるけど…なんで俺?」
ウィリアムは王立学園騎士科の2年生だ。昨年は特に声がかからなかったし、観に行くとしたら両親が妥当だろう。足の悪い俺をわざわざ引っ張り出す意味がない。
「そ、それはえぇと、……俺がおにぃに活躍を見てほしいから?」
「絶対嘘だろ」
「じゃあ、神のお告げってことで!」
「ンなわけねーだろ」
「怒らないなら正直に言う」
「俺が怒りそうな内容か。ンじゃあ聞きたくもないし、お願いも叶えねぇわ」
そう切り捨てるとウィリアムは顔を真っ青にして俺の腰に縋り付いた。
「おにぃが来てくれないと、俺センパイに絞められちゃうよぉ〜!」
あーなるほど。出戻りΩでもいいから婚姻関係を結んで辺境伯家と繋がりたいというところか。そう言ったのが煩わしくて、領地に引きこもっているのに。
「出戻りΩの身内がいるって喋ったのか?」
怒りをこめてそう問うと、ウィリアムはぽかんと首を傾げた。
何を言ってるのか分からない、そう顔が語っている。
「へ?喋ってないよ?」
「じゃあなんでお前の先輩とやらが俺に来いって言うんだよ。なんでもいいから辺境伯家と繋がりたいってことじゃねぇの?」
「センパイはうちと繋がってもなんも無いと思う!センパイはさぁ、このハンカチの人に会いたいって言ったんだよ!」
ウィリアムが胸元から取り出したのはボロボロの生成りのハンカチ。ウィリアムのイニシャルが刺繍されている。見覚えのあるそれは、ウィリアムの入学祝いで俺が渡したものだ。
「センパイにこのハンカチ貸したことがあって、それで何でか会いたいって」
「……絶対そいつαだろ」
「え、なんでわかったの?おにぃすげーや」
このハンカチに俺のフェロモンが残っていて、それに思うところがあったのだろう。何もわかっていないβのウィリアムの額を指で弾く。
「いでっ」
「そのセンパイとやらに俺の情報を細かく伝えろ。それでも会いたいってなら自分でこっちに来いって伝えとけ」
「え、でも」
「でもじゃない。何で足の悪い俺が王都まで行かなきゃなんねぇんだ。健康で紳士的な騎士ならそっちから来るのが筋だろ」
そう伝えて何か言いたげなウィリアムを部屋から追い出した。まぁ、きっと来ないだろう。こんな不良物件、誰だって嫌になる。
姿見に映る自身が視界に入り、俺は顔をしかめた。Ωらしくないひょろりとした体躯に、平凡な顔。銀髪と言えば聞こえはいいが、ただの灰色の髪。Ωにしては見目が悪いのを心配した両親が、早いところ嫁ぎ先を見つけ、17歳で一度嫁いだ。が、結婚式当日に他のΩと駆け落ちされ、更にその帰り道で事故に巻き込まれ、右足から腹にかけて大きな傷がある。
そんな不良物件の俺は、そこから10年、領地に引きこもっている。
同世代は俺が逃げられたうえに傷物になったと知っているから関わってこないから、おそらくウィリアムのセンパイとやらは金のある商家の息子か、事情を知らない他国の貴族か。
「まぁ、来たとしても30間近のオッサンとどうこうなるわけないだろう」
と、思っていたのに。
番のいない貴族のΩとαが顔を合わせる時、事故が無いように徹底的に管理される。大昔に王太子と平民がうっかり番ってしまったことから始まった慣習らしい。
お互いのフェロモンに徐々に慣れるように、1日目は互いの持ち物を交換し、2日目は衝立越しに面会をし、3日目に同じテーブルに着く。そこでお互いに問題がなければ婚約になる。
「あ〜〜どうすんだよ、これ」
1日目。センパイとやらが本当に来るとは思わなかった。両親は嬉々として受け入れていたから、家格の合う貴族だったのだろう。とりあえず仕事で使っている万年筆を渡し、代わりにセンパイとやらからはクラヴァットを渡された。
「ほんとに来るとは思わねぇじゃん。しかも家通してガチなやつ」
机の上に置かれたそれは、檸檬をそのまま絞ったかのような爽やかな香りで、俺の好みのど真ん中をついていた。近づきすぎると下肢が反応してしまいそうで、俺は部屋の隅で壁に寄りかかり頭を抱える。持ち物だけでこんないい匂いをしていたら、明日明後日どうなってしまうのやら。
「あら、好みのフェロモンなら良いじゃない。そのまま番っちゃうだけよ」
ソファに座る母親が嬉しそうに紅茶を啜る。
外孫が見れるかもしれないと、もうすでに嬉しそうだ。
「良くねぇって。ウィリーのセンパイって18歳だろ?俺と10も離れてんだわ…。そもそもあちらの親御さんだって嫌だろ」
「さあねぇ。Ωとαは体裁とか建前とか吹っ飛ばしちゃうことあるし、運命には逆らえないのは皆理解しているわよ」
「……俺にはそれが理性のない獣にしか思えないんだが」
母親は人間だって動物よと立ち上がり、俺の頭を扇で叩いた。
優しいそれは励ましか、呆れか。
「10年前、わたくしが無理やり縁談を進めたせいとは分かっているけど、貴方も少し卑屈すぎよ?」
「別に母さんのせいじゃないってば。アレは誰も悪くない」
「そう思うなら、今回は恋愛を楽しんでみなさいな」
2日目。衝立越しに面会をする日。
応接間にはアコーディオン式の衝立が置かれ、それを挟んで俺達は席に座っていた。俺の両脇には両親が座り、向こうの両脇には侍従が控えているらしい。抑制剤も飲んだし、ネックガードも締まりを確認したから大丈夫だと思うけど、どこか落ち着かなくて居心地が悪い。
衝立の向こうから香るあの檸檬の香りが、更に心を騒ぎ立てる。
「改めましてこの度は我がエルリック辺境伯領までお越しいただきまして、誠にありがとうございます。今回の顔合わせが両家にとって、──いや、二人にとって素晴らしいものであることを願っております」
隣に控える父親が地を這うような低い声でそう話した。普段よりも抑揚のない腹の底に響く声。視線を向けると、少し緊張しているのか、額が汗ばんでいた。
普段ちょっとのことじゃ慌てない父親が?何故?問うように視線を母親に向けるが、彼女は口元を扇で隠したまま、ただ微笑むだけ。
衝立の向こうにいるのは誰だ。
貴族ではありそうだが、この両親の姿を見ても相手が読めない。αとΩの出生率は低いから貴族名鑑を開けば分かりそうなものだが。
その時、衝立の向こうの人が口を開いた。
「──こちらこそ無理を言ってしまいすみません。どうしてもお会いしたくて」
「っ」
若い男の声。
温かいお湯に触れたかのように、じんわりと響く優しい声音にらしくなくうっとりしてしまう。この衝立を越えて、彼の顔を見たい。その手に触れたい。その手で触れてほしい。いい歳をした大人とは思えない願望が顔を覗かせる。これがΩの本能か。俺は手で顔を抑え、ゆっくりと息を吐いた。
そんな俺の様子に気づいたのか、父親は大丈夫だと言わんばかりに俺の背中を叩く。辺境伯家だからなのか似た者夫婦なのか母親も父親も励まし方が同じで少し笑った。
「いえ、息子も貴殿にお会いできて嬉しそうです。明日のお茶会ですが、息子をどうぞよろしくお願いいたします」
貴殿の紳士的かつ騎士道に則った行動を期待しています。父親が言外に含ませるように告げて、2日目が終わった。
3日目。
この日は朝から、いや、2日目の夜から大変だった。
身体を何度も磨かれ、保湿クリームが塗りたくられ、少しでも顔を良くしようと化粧も施された。用意されたフロックコートもベストも上等な物で、注文の多い何とやらだな、なんて思いつつ、楽しそうな母親と侍女に流されるまま身支度を整えた。
「やっぱりどう見たって30歳近くのおっさんじゃねぇか」
鏡に映る自分の姿にため息が出る。母親と侍女の技を持ってしても、鏡に映るのはくたびれた顔の凡庸な男。灰色の髪はギリギリ銀色に光ってはいるが、これもいつまで持つか。
「なぁに言ってるんですかぁ!おぼっちゃんはエルリック辺境伯家の皆様の中で一番の美人さんですよ!」
俺のナニーを務めていたジョゼがふくよかな身体を揺らしながら笑う。
産まれた頃から面倒を見てくれていた彼女には俺が大層可愛く見えるらしい。
「まぁ、美人さんでもおっさんでも、向こうからおぼっちゃんに会いたいって言ってるなら大丈夫ですよ!」
「でもさ…ほら、実際会ってがっかりってあるじゃん」
ジョゼがきょとんと首を傾げた。
「あら、おぼっちゃんも今回のお話は乗り気なんですねぇ。良く見られたいって思うだなんて」
「誰だって…初対面の人に合うときはそう思うだろ」
「いやいやいや、おぼっちゃんはそういうタイプのお方じゃあありませんよ」
そんなわけ無いと思う反面、身なりに気を使ったことなんてそうそう無かったことを思い出し、顔を顰めてしまった。
センパイとやらとどうなりたいんだか答えが出ないまま、お茶会に送り出されてしまった。
エルリック辺境伯家、ガゼボにて。
目の前に現れた若者に、俺は情けない悲鳴をあげる。
顎の下で切り揃えた夜明けの空のような髪。少年から青年へ移行する間の少し柔らかさの残る美しい顔立ち。絵姿や新聞でも何度も見たことがあるその御方は、俺を見て相好を崩す。
「隣国、ランカスター皇国から参りました。コンラート・ヘルガ・ランカスターと申します。本日はお目にかかることができ、大変嬉しく存じます」
「……ぁ、じ、自分はエリック辺境伯家が二子、アルロ・エルリックと申します。皇子殿下におかれましては、その、えとご機嫌麗しく」
まさか隣国の皇子が来るなんて聞いていない。
予想外の来訪者と社交から遠ざかっていたこともあり、言葉がうまく出てこない。いい年の大人とは思えない自身の挙動に顔から火がでそうな程、恥ずかしい。
とりあえず頭を下げようとした俺の肩にコンラート皇子が手を添えた。布越しに感じる皇子の体温と鼻腔をくすぐる檸檬の香りに目眩がする。
「驚かせてしまいすみません。今日はただのコンラートとして、アルロ様とお話ができればと思います」
いや普通に無理だろ。
一国の皇子が、こんな俺なんかと番えるわけないだろ。フェロモンがそうさせてしまうのか。αだから、Ωだからで片付けていいのか。
さっきまで高揚していた気持ちが冷えていく。腹の底が鉛のように重く、鈍い。年下のそれも10個も離れた隣国の皇子に惹かれ始めていた自身が気持ち悪い。
「……貴い方にそんな態度、恐れ多いですよ」
「そんな、僕はただ、貴方に会いたくて」
俺の貼り付けたような笑みに気づいたのだろう。コンラート皇子は不安そうに瞳を揺らした。
「フェロモンのせいでしょう。自分も皇子のフェロモンに惹かれています。性格も好きなことも、嫌いなことも知らないのに」
「──少なくともお互い好意を持っているのであれば、これから知っていけばいいと思います」
眩しい。
若さゆえの無敵感?青春?
俺はもうそんなのとっくに失ってしまった。
「知っても無駄ですよ。自分は足が悪く離婚歴があり、皇子よりも10個も歳が離れている。男Ωでこの歳の初産はリスクしかない。領地経営は携わってはいますが、ほんの少しだけ。多国語は話せません。Ωの割には見目が悪い」
コンラート皇子を敬愛する方々が、皇国が許しませんよ。
学校を卒業すれば出会う人の数もかわります。まだ皇子も番に出会っていないだけだと思います。俺で妥協しないで。
もう話すことはないだろう。
早々に退散させてもらおう。この服も早く脱いでしまいたい。
「わざわざお越しいただいたのにすみません。自分はこれで失礼しまっ、ぁ」
皇子から離れようとした瞬間に、彼に思い切り手を引かれる。
踏ん張ろうにも足が悪くて力が入らない。倒れそうになる俺を皇子は抱きしめた。俺の方が身長が高いからか、皇子の額が頬に触れる。
「貴方の言うことを否定したいのに、貴方が納得してくれる言葉が見つからない。僕の中のαが、貴方を求めているのに」
「──出会わなければ良かったですね」
「それは断じて違う!」
コンラート皇子は悔しそうに顔を歪めたあと、俺の左手を取り、薬指に唇を落とした。急な触れ合いに肩が跳ねる
「3年、待っててください。貴方を納得させるものを用意します」
「何を……」
「何かはまだわかりません。それでも僕は必ず貴方を迎えに行く。それまではどのαにも触れさせないで」
歳下とは思えない威圧感に、無理だろうと思いつつも俺は頷くしか無かった。
──3年後。
見事に俺は皇子──王籍を離脱したアルロ公爵に嫁いだ。
皇国の最新医療のもと一男一女をもうけて、皇国民に祝われて。
今はのんびりと公爵領の運営を行っている。今度は公爵領内に車と言うものを走らせるために道を舗装するらしい。
「これでも納得しませんか?」
「いや、さすがに理解したわ……」
隣に座る夫を見上げて、呆れ顔で笑った。




