おれの予言 :約3000文字
――来たよ!
――しっ、静かに。
――マジなのかな……。
「ん?」
おれは思わずぽつりと声を漏らした。朝、オフィスに足を踏み入れたその瞬間だった。ざわついていたはずのフロアが潮が引くように静まり返り、同僚たちが一斉にこちらを見たかと思うと、ひそひそと声を潜め始めたのだ。
一瞬、何かのサプライズがあるのかと思った。だが悲しいかな、おれはただの平社員。昇進の気配もなければ、表彰されるほどの功績もない。誕生日でもないし、異動の内示が出る時期でもない。いったいなんだろうか。それとも、ただの気のせいか。あるいは……いや……。
「な、なあ……」
考え込んでいると、周囲から背中を小突かれるようにして、一人の男が押し出されてきた。田口だ。陽気な男で、普段は軽口ばかり叩くくせに、今は妙に肩をすぼめ、おずおずとした足取りでおれに近寄ってきた。
「来週……なんだよな?」
「来週?」
「あ、ああ……。来週、起きるんだろ……?」
「え……何が?」
「だ、だ、大災害が……!」
「え? なんの話だよ」
田口は唇を小刻みに震わせ、異様なほど目を見開いていた。冗談にしては真に迫っている。演技だとしたら大したものだが、どう見てもそんな余裕はない。本気で怯えている顔だった。だが、おれにはまるで心当たりがなかった。
おれが首を傾げると、田口はふーっ、ふーっと息を吐き、胸をトントンと叩いて引きつった笑みを浮かべた。
「わ、わかった……順番に話す……。お前、前に言ったよな。今年大災害が起きるって……」
「今年? そんなこと言ったかな……」
「言ったんだよ」
「目、怖。……あ、ああ、言った言った!」
おれは思い出した。
「ノストラダムスだのマヤ文明だの、そういう予言がだいたい十三年周期くらいで流行るから、今年あたりにまた便乗して騒ぐ連中が出てくるんじゃないか、って話だろ?」
「そ、そうそう……。それからお前、何年か前に『今週、地震が起きる』って予言して、て、て、的中させたことがあっただろ……」
「え、そんなのあったかな……」
「あったんだよ。会社が揺れてさ。お前、得意げな顔してたから、ムカついてよく覚えてる」
「ムカつかれてたのか……いや、正直よく覚えてないけど、地震なんてしょっちゅうあるだろう」
おれは笑って肩をすくめた。
「でも、お前は何度も当ててきたんだよ」
「何度もって、そんなに言ってたかな……」
「とぼけるなよ。他のみんなも言ってるぞ。三木さんも、野中も大木も」
「いや……たぶん誰かの話と混ざってるんだろ。ははは、会社で予言って」
おれは冗談めかして笑ったが、田口の表情は一切崩れなかった。
「少なくとも、俺には予言したことがあっただろ?」
「いや……ああ、夢の話な。地震が起きる夢を見て、妙にリアルで焦ったとか、そういう雑談だろ。ははは、今思うとなんか恥ずかしいな」
「だから、とぼけるなよ……」
「ん?」
「とぼけてんじゃねえよ!」
「うっ!?」
突然、田口がおれの胸ぐらを掴んで押してきた。腰がデスクにぶつかり、鈍い衝撃が走った。
「な、何すんだよ……」
「ら、ら、ら、来週、大災害が起きるんだろ……?」
唇が触れそうなほどの距離で、田口は呻くように言った。唾が飛び、ほのかに柑橘系の香りが鼻をついた。
「お、起きないって!」
「嘘つくなよお……天皇陛下だって今、海外に行ってるじゃないか……避難してるんだろ……?」
「いや、普通に公務だろ……。それに総理大臣は日本にいるじゃないか」
「あんなの、死んでも替えが利くだろ」
「言いすぎだ」
「なあ、なんで正直に話してくれないんだよお……。俺ら同期だろ? よく一緒に飲みに行ったり、くだらない話も散々してきたじゃんか……」
田口は胸ぐらを掴んだまま、頭を肩に押し当て、縋りついてきた。
「なのに……なのによお……さっきからへらへらしやがって……」
「だから、夢の話だって……。いい加減、離せよ」」
おれは田口を押しのけた。田口は二、三歩後ずさりし、よろめきながらも踏みとどまった。ぎらりと目を光らせて、おれを睨みつける。
「お前……いつもそうだよな……そうやって……」
ぶつぶつ呟きながら、田口はゆらりゆらりと揺れ始めた。
いったいどうしたんだ、こいつ。周りの連中も引くだろう……。
おれは乱れた襟元を直しながら周囲を見渡した。途端、首筋に冷たいものを押し当てられたような寒気が走った。他の社員たちがじっとこちらを見つめていたのだ。しかも何人かはゆっくりと、まるでゾンビのような動きでこちらへ歩み寄ってきていた。
「ねえ……本当に大災害が起きるの?」
「本当なんだろ?」
「なんでごまかすんだよ……」
皆が口々に田口と同じ言葉を浴びせてきた。それで、誰も田口を止めに入らなかった理由がわかった。どういう経緯かは知らないが、この場にいる全員が、おれを『予言者』だと本気で信じ込んでいるらしい。
いや確かに、あくまで都市伝説レベルの話だが、今年何かが起きるという噂はおれの耳にも入っていた。馬鹿だとは言いたくないが、そういう話を信じてしまう人間が一定数いるのは事実だし、仕方のないことでもある。
しかし、いい大人がそろいもそろって、ここまでオカルトに呑まれるとは……。
「大丈夫だ。そんなのはデマだよ、デマ」
おれは一度深く息を吸い、できるだけ冷静な声で言った。
「そもそも、占い師も予言者もみんなインチキなんだ。ほら、ノストラダムスの予言もマヤ文明の予言も、結局外れたじゃないか」
「いや、実は解釈が違っただけで、予言の日はまだ来てないらしい……」
「じゃあ、来週がそうってこと……?」
「人類は滅びる……はは、ははは!」
「この前、地震あったよな。あれって前兆じゃないのか……?」
「帰りに米とトイレットペーパー買わないと……!」
「外国人観光客も旅行を取りやめてるらしいぞ。これはマジであるな」
「やっぱり予言は本当なんだ!」
誰もまるで聞く耳を持たない。空気はみるみるうちに淀んでいき、理性は剥がれ落ちていく。もはや暴徒寸前の有様だった。上司までもがおれに詰め寄り、唾を飛ばしながら怒鳴ってきた。その顔には恐怖と無力感、そしてそれを押し隠すための怒りが張りついていた。
「もし外したら、お前責任とれよ!」
「ぶち殺すからな!」
「いやああああ!」
「はははははは!」
「き、きいいいいいいいいい!」
皆、額に汗をにじませ、目を潤ませ、叫び、笑い、泣き、正気はどんどん崩れ落ちていく。理性も秩序も失われ、そこに残るのは恐怖――
「……なるほど、そうなるのか」
おれはベッドの上で身を起こし、暗い天井を見上げながらぽつりと呟いた。胸の奥から重いため息が自然と漏れ出た。
……どうやら、彼らも潜在的に感じ取っているらしい。“何かが起きる”ことを。
それはノストラダムスやマヤ文明――これまで何も起きなかったとされてきた数々の“予言”が、彼らの危機意識を高めているのだろう。
おれはベッドを降り、クローゼットを開けると、コスチュームを引っぱり出した。
手早く着替え、窓を開けて誰も見ていないことを確認する。
そして、そのまま部屋を飛び出し、一気に遥か上空へと舞い上がった。
さて……今回も止めてやるとするか。
……しかし、予知夢で見た同僚たちのあの様子。何も起きなかった場合、それはそれでおれの社内評価がまた下がるだろう。当分、平社員が続くな……。
だが、それも仕方ない。
おれは――スーパーマンなのだから。
――これも、まさか夢? To Be Continued…?――




