わたくしと真っ黒人鳥の怪異と呼ばれるあの方
今日はとてもいい天気。
晴れ渡る春の水色の空、白い雲、我が家ではちよちよと鳴く小鳥の声も聞こえていたはずなのに、お屋敷の側に近づくたびに無音が迫ってきますが、いいお天気です。
横を歩むマンドラゴラのラーちゃんも気持ちよさそうに頭の花を揺らしております。お迎えに来てくれる上に荷物も持ってくださるとても紳士なマンドラゴラでございます。体長はわたくしと同じくらいで、まだ伸びるとこの間教えてくださいました。
誰ともすれ違わず最近葉っぱのハリが良いと身振りで伝えてくれるラーちゃんとお話しながら歩んでいけば、3階建てで立派で真っ黒な石造りの邸宅に、結晶化が進んで女神像のはずが謎の晶石と化したオブジェが所々に見える、生態系がねじれた植生のお庭。
生きとし生けるものが避けて通って寄りつかないお屋敷ですが、週6で通う我が仕事場です。
例えそれが、窓という窓からうっすらと紫色の瘴気のようなものが吹き出していてもです。窓があっただけセーフです。
その薄紫の煙が屋敷の周りに張ってある結界に当たっては、じゅわっと音を立てているため、これは有害だと確認。
今日は御在宅ねとラーちゃんに話しかけながら、絶対に訪問者お断りと主張するごんぶとの蔦植物が絡む分厚い正門…の隣の通用口に手を置くと、取っ手の青い魔石がキラリと光り扉が開きます。
ラーちゃんと中に入ってから内鍵をかけ、本来は門番の休憩室のそこでラーちゃんが背負っていた大きなリュックサックから取り出した若草色の防護服とピンクの防護手袋・靴袋を身に着け、最後に大きな鳥の頭を模した被り物――ペストマスクの鼻の内側に防毒魔方陣入りカートリッジをセットして頭からすっぽり装着しました。
フードで髪まで覆って喉元の紐を締めれば、今日もどこにも隙のない春色鳥の怪異ことこの屋敷の使用人服の完成です。ちなみに春夏秋冬色がございます。通気性や保温性が考えられた優れものです。
手首の絞りから人肌が見えていないことを確認しつつ前庭へと出ると、どぉん!と爆発音と共に正門が弾けるように開き、中から煙と共にわたくしと同じような格好をした、体格からして男性と一目でわかる真っ黒人鳥の怪異が出てきて、片手を挙げられました。
「ご機嫌よう、シュア様。本日はとてもご機嫌紫な煙と爆発日和でございますね」
「やぁ、リディ。そう思うかい?でもあれで爆発するとはなぁ・・・中々思うような結果を得るのが難しいよね。あ、この煙は吸わないでね、多分粘膜が大変なことになると思うから」
「かしこまりました」
シュア様との朝のご挨拶をしていると、ラーちゃんがさっさと玄関から中へ入って行きました。荷物を生活エリアまで持って行ってくださる紳士ラーちゃん。気遣いが出来るマンドラゴラです。
「今日も来てくれてありがとう。リディの顔を見るとやる気が出るなぁ」
全くお顔が見えないシュア様ですが、ペストマスクの中でふふふと笑う声が聞こえました。
きっと目を細めて可愛らしい笑顔をされているんだろうなと想像しますが、聴覚が幸せですのでわたくしは今日も働く意欲が燃え上がるのです。
「本日もよろしくお願い致します、まずは昼食からとりかかりますね」
「あぁ、よろしく。今日は何が食べられるかなぁ。お願いするよ」
真っ黒人鳥の怪異ことわたくしの職場の主、シュア様のペストマスクが頷きました。
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暗黒研究所、爆発する黒屋敷、生きては戻れぬ瘴気の館――様々な他称はございますが、正式名称は『王立錬金術研究所・王都第1分室』と申します。
錬金術の大家として知られるカナル家で生まれ、幼くして錬金術の天才と称えられたシュア様――ジョシュア・カナル様は、神童から天才、そして鬼才へと成長。それにつれ可愛らしくお庭で植物を観察なさることから研究室で新薬生成時に爆発や毒ガス発生を頻発されるようになり――この研究所でただ一人の主としてお勤めなさっておられます。
王宮から派遣された助手もたまにやって来られますが、大体半日、もって1週間ほどで逃げ出されます。なにぶん、王都から2時間ほど離れたそれなりに栄えた村外れの屋敷。シュア様は出世欲に全く興味を示さず研究に明け暮れられるこの環境を喜んで享受なされておいでですが、上を目指す方には到底不向き。その上部屋が空きに空いているもので住み込み仕事。起きて結界の張ってある自室を出るために完全防護服を着込まなければならない環境は我慢ならないものでしょう。
それを狙って住み込みしか受け入れないと仰るシュア様もシュア様ですが。助手という手よりも、己の手で全てをやった方が気が楽なのでしょう。気が楽なのはいいことです。被害が減るので。
わたくしは、そんなシュア様の身の回りのお世話を仰せつかっております、リディアリア・フレッチャーと申します。このブライスの村一帯を任されているブライス家の長女で、村長を務める両親と弟一人の四人家族。裕福とはいえないまでも、王都の薬草生産の大半を引き受ける荘園村であり、寄親は王家近隣領を頂く侯爵様でございますため、基板しっかり、しかし実質一つの村を治めながらふんわりと生きている家でございます。
そんなわたくしが何故シュア様にお仕えしているかと申し上げれば、簡潔に申し上げればわたくしのゴリ押しでございます。
そう、あれは幼い頃――まだわたくしが幼気な幼児だったときのこと。ジョシュア様のご実家カナル家は、錬金術で名を馳せる名家ですが、領地を持たぬ宮廷貴族でございます。しかし、王都にある屋敷のほかに別荘も所有しており、それが今はこの王立錬金術研究所・王都第1分室となっている屋敷でした。
今は爆発の煤に染まり黒屋敷と成り果てたこの分室でございますが、当時は白い石造りの邸宅で、薬草などを近隣で栽培を管理していたわたくしの父とシュア様のお父様であるカナル家ご当主様は懇意にしておりました。
そこで、割と頻繁にいらしていたご当主様に連れられていらしたシュア様に、わたくしは出会ったのです。
そこまで回想し、天使かと思ったらマジ天使だった幼少期のシュア様を思い出しほぅっと息をついた時。ピーとヤカンが鳴りました。
いけませんいけません、火を扱っているときに物思いにふけっていては危ないったらありゃしません。本当の天使がお迎えに来てしまいます。シュア様似だったらちょっとついて行ってしまうかもしれませんが、やはり本物、本物こそジャスティス。わたくし、誘惑に負けません。
手早くお茶を淹れると、生活スペースの壁に設置してある鳩型研究室直通通話魔道具――通称お話鳩ちゃんをなでなでしながら声をかけます。
「シュア様、昼食が出来ましたよ。お召し上がりになられますか?」
『ありがとう、今向かうよ』
安心致しました、すぐにいらっしゃるよう。あまり食事に重きを置かれぬシュア様は、実験が手放せないときはお返事がなかったり後でと言われて一食抜いてしまわれたりします。シュア様の健康と長寿を願うわたくしとしては見過ごせない事態でございますから、必ず一日一食は食べるようお願いしましたら、『一緒に食べてくれるなら食べるよ』とのこと。
正直額に手を当てて気絶したいところでしたが、図太い私は二つ返事で了承し、今日に至っております。
本当に締め切りが迫っているときなどは事務仕事をなさいながら簡単に摘まめるものを召し上がってお仕事に戻られます。わたくし達は二人とも防御護符を大量に身につけており、もしもマスクが取れても早々毒に犯されたりは致しませんが、大変よろしくありません。結界を張ってある実験室横の休憩室には給水魔導具と日持ちのする食料がございますのでどうにかなっているそうです。
それ以外は、二人で向かい合ったり生態系が狂った庭を眺めながらだったり何故かお膝の上で食べております。時々ではありますが、食事の用意が調うとひょいと抱えられております。最初は遠慮しておりましたが、シュア様の悲しそうな顔に拒絶できたことがございません。この方を傷つける言葉を吐くなど、わたくしの口が四つに裂けようとも申せぬことです仁幸の至りドキガムネムネ。
そうこうしている間に、シュア様がおいでになられました。この家の中はとても便利に出来ていて、2階の大部分を占める生活スペースの扉をくぐると、じゅわっと音がして防護服に付いていた有害物質が剥がれ落ちてまとまり、近くの蓋付きバケツの中へ勝手に捨てられます。そして防護服も勝手に脱げ、ドア脇にある棚とフックに全て行儀よく収まります。
わたくしもこの屋敷へ来るときは自分で着る必要がありますが、屋敷内では自分で着脱する必要がなく楽でいいことです。
ふぅ、とシュア様が一息ついて前髪を掻き上げられました。
いつもは見えないおでこが最高にキュートでございます。な、流し目など、あ、ちょっとお待ちくださいやめてくださいにこにこしながら近づいてなど、どうして両手を広げていらっしゃ、あ
「リディ、いつもありがとう。今日も美味しそうだ」
は、ぐ。
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「はっ!?今とっても白昼夢!」
「夢にされるのは悲しいなぁ」
イリュージョン! 目を開けたらふふふと嬉しそうなシュア様の顔が目の前に!!
目覚めの一撃にまた気を失いそうになりますが耐えきってみせました。何せ、これが初めてのことではございませんので・・・。
「シュア様。何故わたくし、ふとした時に気が遠くなると、目が覚めた時にはシュア様のお膝の上にいるのでしょう・・・?」
「リディはとっても可愛いから仕方ないんだよ」
ふふふ、とまた上機嫌に笑うシュア様。シュア様のご機嫌が麗しいならばわたくし何でもようございますが、一応雇用関係を結んでいる者といたしましてはとてもよろしくないと思うのです。
「いつも申し上げておりますが、食べるのに邪魔でございましょう?わたくし横のお席にぐむ」
「いつも言っているけれど、こうしてリディと食べるのが僕にとっては一番美味しいんだから、こうして食べようよ。僕が好きなチキンソテー、ちゃんと一口大にしてくれる気遣いも嬉しいよ、ありがとう」
「シュア様はナイフを使うのも面倒な時があると仰いますから・・・ですが、わたくしが食べるものではございませんからシュア様が召し上がってもぐむ」
「世の中の食べ物全部一口大ならいいのにねぇ・・・こうして食べさせてあげるのが楽になる。ほら、次は何がいい?野菜サラダ食べさせたいから、ちゃんと大きなお口開けようね?」
「いえですかもしゃ」
割とたっぷりめにサラダが口の中にINして参りました。わたくしがもしゃもしゃ口を動かしている様を、シュア様はうっとりと眺めておられます。
「あーほんと癒やされる。実験で植物をすりつぶしているより、君が奥歯で植物をすりつぶしているのを見ている方が万倍楽しいよ・・・口の中でどんな風になっているんだろう、ちょっと見せて」
「断固としてお断り申し上げます、咀嚼物を見たいってどういうことですか」
ちょっと君の唾液の緩衝作用を見たいだけじゃないかと口をとがらせてぶつぶつと仰っていますが、本当にそれは流石にお見せできませんよ口の中とか。
むっとしておりますと、伸ばした人差し指でちょんと鼻タッチされました。
「そういう顔も可愛い」
「」
ぎゅ、と一回強めに力を入れて抱きしめられると、シュア様はまた私に食べさせ、その合間にご自分が召し上がる昼食にお戻りになりました。最後まできっちり二人分作業なさいました。お膝の上に座る確率が、最近急上昇している気がしてなりません・・・。
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「では、シュア様。本日はお暇いたしますね」
「うん・・・」
「また明日お伺いしますから」
「うん・・・」
「あの、ですから、今日はもう帰らねばなりませんから!」
「うん・・・」
わたくしの袖口のボタンをずっといじりながら、シュア様は生返事をなさいます。
昼食後は一日の仕事を全うし――全うと申し上げましても、この館に常駐する使用人はございません。王都からの連絡は魔導文箱でやりとりをしておりますからメッセンジャーは参りませんし、家事はわたくしが少しお手伝いするだけでお屋敷をピカピカに保つ魔導生物が沢山おります。
昼食の後片付けは洗浄スライムが食器や調理用具を体内に取り込んでピカピカにしてから手渡してくださいますのでわたくしは出した場所に戻すだけです。
その後は生活スペースから出ようとしますとしゅるしゅると防護服が勝手に着せつけてくださります。とても楽ですね。
そして屋敷中を点検がてら生え来る多種多様のキノコを摘みつつ、廊下に壁にと走り回って汚れを回収するもこもこボールのモコちゃん達を放ちました。モコちゃん部屋を開けますと、数百のモコちゃんが一斉に家中を駆けずり回ってお屋敷の汚れを拭い取ってくださいます。大体2時間ほどしましたらちょっと薄汚れたモコちゃん達と洗濯場にむかい、床を掘り下げて作ったモコちゃん浴場にお湯をためて、芋洗いならぬモコ洗いとなってお互いを洗い合いきれいになってから部屋へ戻っていきます。それで大体の汚れはモコちゃんが食べておりますが、あまりに大きかったり食べられなかったゴミはひとかたまりにまとめられておりますから、さっと集めて捨てるだけ。
水回りには先ほども頑張っていただいた洗浄スライムです。スライム入りの瓶を積んだ台車を押し、要所要所で蓋を開けて、お仕事が終わった頃に回収しに参ります。飼い慣らすのが難しい子達でございますが、分室のスライム達はお行儀がとてもよく、水垢やよごれを食べ終わったら指定の場所で待てが出来る頭のいい子達です。
お庭はいつも植栽のお手入れをしている毒性ドリアド達が植物魔導生物の指揮を執っておりますので何もしません。身長は2メートルほどある、木が絡まったような体の大きな彼らは力持ちで、下手にお庭に出ると、侵入者なら塀の外に放り投げられ、わたくしはそっと東屋に据えられてしまいます。ドリアド達の指示に小さなマンドラゴラやむちむちしたキノコ達が働いているのはとても可愛らしくお手伝いしたいところですが、お屋敷に入る以外の行動を認めていただけませんので、たまに掃き出し窓から手を振っております。そのたび、ぴゃっと逃げたり隠れたり小さく手を振っていただいたりとほっこりいたします。
そうして夕方になりました。
業務終了をシュア様にお声掛けいたしますと、着替えて門から出るところまでお見送りにでてくださいました。
すぐお戻りになるペストマスクシュア様は、今日は送っていけないと悔しそうな・・・本当に悔しそうに仰り、そしてわたくしの服の袖を摘まんで拗ねてしまわれました。
隣ではラーちゃんがヤレヤレというようなだらけた立ち姿で待っております。わたくしもあまり遅くなりますと家族が心配しますし、ほぼ毎回とはいえ、その度心苦しくてたまりません。
ボタンがねじ切れそうなほどいじって生返事をされておられましたが、シュア様の心の整理もついたご様子で顔を上げられ――ペストマスクの鼻先で、連続で頭を突いてこられました。
「しゅ、しゅあ、さま」
「心配で心配で心配でたまらないけどマンドラゴラがいれば道中の危険はないと思う。君はちゃんと僕が贈った防御のネックレスつけてるよね?」
「は、はい、イタ、毎日ずっと大切に身につけておりますよ一撃が重い」
「こみ上げる衝動を抑え込んでるんだから我慢して。ちゃんとネックレスつけてるから、うん、いいよ。気をつけてお帰り」
「は、はい、また明日お伺い致しますねアウチ」
ゴヅ、と最後に脳天へ強めの鼻先をひとつ落としてから、シュア様は一歩離れられました。
連打された頭は気分的に煙りが出ている気がいたしますが、これはシュア様曰く親愛なのだそうで。親愛でしたらいくらでもどうぞ!と申し上げましたら連打されるようになりました。自業自得でございます。得でございます。
そうして、帰り道を行っては手を振り、を曲がり角で見えなくなるまでしながら、陽が落ちかけて長くなった影とラーちゃんをお共に帰るのです。
とても満足のいく日々を、わたくしは過ごしております。
ジョシュア:リディアと出会ってキュートアグレッションを発症した。イケメンという噂ですが、お好きにどうぞ。
リディア:ジョシュアと出会って天使という推し概念を理解した。マジ天使。可愛いと噂ですが、お好きにどうぞ。




