第7章「まっすぐな瞳、嘘のない声」
画面に映る彼の顔。
その写真は、思っていたよりずっと自然で、穏やかで、どこか優しさを滲ませていた。
少し深めのシワ、真面目そうな眼差し、柔らかく微笑んだ口元。
54歳、と聞いたあとだったから、年齢的な印象は確かにあった。けれど、それ以上に「遼さん」らしいと感じた。どこか、声が聞こえてきそうだった。
──あ、この人が、わたしと毎晩、DMでくだらない話をしてくれた人なんだ。
その思いが胸に満ちて、ねねは思わずスマホを抱きしめるようにして目を閉じた。
でも、そのぬくもりも束の間、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
「わたし、送っちゃったんだよね……。自撮り、しかも笑ってるやつ……!」
顔から火が出そうだった。SNSに載せる加工バリバリのアイコンとは違い、今回送ったのは限りなく「素」のねねに近かった。もちろん、少しはアプリの補正はかけたけど、それでもあんなに真正面から撮って送ったのは初めてだった。
(どう思ったんだろう、遼さん……引いてないかな……)
返信はすぐに来た。でも、その内容に、ねねの胸は少し痛くなった。
『……俺も、遅くなったけど。これが、俺。
ずっと言えなかったこともあったけど……
君が送ってくれたから、俺もちゃんと向き合いたいって思った』
──ずっと言えなかったこと。
それは、年齢や性別、あるいは過去のことかもしれない。
彼の中にある迷いや遠慮、その重みがこの短いメッセージから伝わってくる気がして、ねねは胸を締めつけられるような思いがした。
でも、それ以上に、嬉しかった。
彼が、自分のために一歩踏み出してくれたこと。
わたしの送った「ほんとうの顔」を受け止めてくれたこと。
そして、自分自身の姿も晒してくれたこと。
その誠実さが、何よりも嬉しかった。
──ああ、この人、やっぱり好きかもしれない。
ふいに、そんな想いが心の中にふっと浮かんだ。
恋、なんて大げさなものじゃないかもしれない。
でも、どこか胸の奥が、あたたかくて、少しだけ苦しくて。
ねねは、もう一度スマホを手に取ると、丁寧に、言葉を選びながら返信を書き始めた。
『……遼さん、ありがとう。
ちゃんと見せてくれて、嬉しかったです。
なんだろう……安心したというか、もっと近くに感じたというか。
54歳って、最初はびっくりしたけど、今はもう、遼さんは遼さんでしかなくて。
そういう風に思える自分が、なんかちょっと不思議です。』
少し間をおいて、さらに打ち込む。
『写真、すごく優しい雰囲気でした。
わたし、遼さんの声、聞いてみたくなっちゃいました』
──送信。
送ったあと、やっぱりちょっと後悔した。
「声、聞いてみたい」なんて、少し踏み込みすぎたかもしれない。
だけど、そのままの気持ちを書いたのは、嘘をつきたくなかったから。
数分の沈黙が流れた。
スマホの画面をじっと見つめたまま、ねねはソファに体を沈める。
少し鼓動が早くなっているのがわかる。
──ピコン。
通知音が鳴った。
『……そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもなかった。
ありがとう。
俺の声なんて、たぶん想像よりおじさんだと思うけど……
それでもよかったら、今度、ボイスメッセージ送ってみようかな。
緊張するけど、ねねさんになら、聞かれてもいいって思えたから。』
そのメッセージを読んで、ねねは一人、笑ってしまった。
──やっぱり、遼さんだ。
まっすぐで、不器用で、でもどこまでも誠実で。
年齢も、距離も、性別も、まるで関係ない。
画面越しのその人を、こんなにも近くに感じている。
「会いたい」とは、まだ言えない。
「好き」とも、まだ早い。
でも、「もっと知りたい」という気持ちは、もう止まらなかった。
夜の静けさの中、スマホの画面を見つめる二人は、
それぞれの部屋で、同じ気持ちを抱いていた。
画面を越えて、まっすぐに伝えた自分の「顔」と「言葉」。
そこにはもう、嘘も遠慮もなかった。
次に踏み出す一歩を、心の中でそっと描きながら、
ねねは、眠りにつくまで何度も、遼の写真を見返した。