表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第3章:画面越しの温度

日曜の夜。

一週間の終わり。

世間の多くが仕事や学校の準備をしながら、次の朝に備える静けさの中で、遼はいつものようにPCデスクに向かっていた。


福岡の郊外にある、築年数の古い一軒家。その2階の一室。

静まり返った家の中で唯一、彼の部屋だけが淡いモニターの光に照らされていた。


モニターの中に表示されていたのは、たった今、完成したばかりのAIイラストだった。


――長い時間をかけて、生成して、修正して、試行錯誤して、ようやく辿り着いた一枚。


少女の姿はどこか儚げで、それでいて強さを秘めている。

細い肩にかかるシルバーの髪が、風もないのに揺れて見えるほど、繊細な描写。

瞳はまっすぐにこちらを見つめ、微かに潤んでいるような、何かを言いかけているような表情だった。

口元はきゅっと引き結ばれ、それが彼女の「強さ」を象徴していた。

でも、その奥にある「寂しさ」や「弱さ」が、画面越しに見る者に訴えかけてくる。


それは、ねねがかつてリクエストしてきた少女像。


「儚さと、でも負けない強さを持った子が好きなんです。

誰にも甘えられないような、でも誰かに気づいてほしい……そんなキャラって、描けたりしますか?」


その言葉が、ずっと心に引っかかっていた。

だからこそ、今日の遼の創作は“彼女のため”に注がれていた。


「……こんな感じ、かな」


そう呟いた声は、ほとんど無音に近かった。


モニターに映る少女と、しばし見つめ合うように沈黙した後、遼はマウスを操作し、トリミングとフィルター調整を施して投稿の準備に入った。


SNSの投稿文は、いつものように控えめに。


『新作イラスト。気に入ってもらえたら嬉しいです。』


静かに「投稿」ボタンをクリックすると、画面にほんの小さな達成感がにじんだ。

――創作は、自分の内側のなにかを吐き出す行為であると同時に、それを誰かに「受け取ってもらう」ことで、初めて意味を持つ。


投稿からわずか数分後。

控えめな通知音が鳴った。


「いいね」1件。


そして、すぐにもうひとつ。


リポスト:「すきです、こういう表情。やっぱり遼さんのタッチ、落ち着きます」


発信者は、もちろん――ねねだった。


何百回と見たはずの通知画面なのに、彼女の名前がそこにあるだけで、胸の奥がふっと温かくなる。

その感覚が、最近は特に強くなってきている。


さらにDMが届いた。


『さっきの子、私がイメージしてた以上に雰囲気出てて感動しました。ありがとうございます!』


一言一言が、心に直接触れてくるような優しい言葉だった。


『よかった。ちょっと表情に迷ったけど、強さと儚さのバランス意識してみた』


『それ伝わってます。なんか……会ったこともないのに、私の好み分かってくれてるのがすごい。不思議だけど、安心するんです』


――“安心する”。


その言葉に、遼の指が一瞬、キーボードの上で止まった。


彼にとって、誰かから“安心”される存在になることは、日常の中にはほとんどない感覚だった。

職場では年齢的に“ベテラン”として扱われ、家ではただの“独り身”。

何も求められず、何も与えられない。そんな空白のような毎日の中で、たった一人の女性が、彼に対して感情をぶつけてきてくれる。


『ありがとう。その言葉が一番嬉しい』


そう返したあと、机の上に置いた冷めたコーヒーを見つめた。

一口も飲まずにいたことに、今になって気づいた。


外では風が吹いていた。

かすかに、植え込みの葉が揺れる音。

窓の隙間から聞こえる虫の声。

すべてが、深夜という時間の静けさを物語っていた。


そのとき――また、ねねからのDM。


『実は、最近ちょっと落ち込んでたんです。

だから遼さんのイラスト、ほんとに救われた。……こんなこと、ここでしか言えないけど』


その一文に、遼の胸がきゅっと締め付けられた。


『何があったか分からないけど……ねねさんの心に寄り添えたなら、それだけで描いた意味があったよ』


『うん、ほんとに。あ、変な話だけど……今夜は久しぶりにぐっすり眠れそう。おやすみなさい』


『おやすみ。また明日、話せたら嬉しい』


短いやりとりが終わったあと、遼はしばらく無言でモニターを見つめていた。

キーボードに置いた手も動かず、ただ、あの言葉の余韻に浸っていた。


彼女の言葉。

彼女の感情。

彼女の存在。


それらが、まるで透き通った水のように、遼の心の奥深くに静かに染み込んでいく。


――こんな感覚、いつぶりだろう。


画面の向こうにいる、名前も顔も知らない“ねね”という存在。

だがその匿名の奥にある“人としての温度”を、今夜ほど強く感じたことはなかった。


そして遼はまだ知らなかった。

この夜を境に、自分の中の何かが、少しずつ、しかし確実に変わり始めているということを。


孤独に慣れ、静けさに慣れすぎた生活の中に、ほんの小さな波紋が広がりはじめていた。


――それは、まだ見ぬ誰かの心と、繋がり始めた証。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ