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スパイさんの晩ごはん。  作者: 61
第一章:敵の国でも腹は減る。
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魅惑の『屋台』

 『スパイさんの晩ごはん。』

第一章:敵の国でも腹は減る。

第一話:魅惑の『屋台』


あらすじ:よろしくおねがいします。

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ある晴れた日の昼下がり。


見たことも無い大きな門を抜けた大通り。そこには見たことも無いほどの人が溢れていて、見たことも無いほどの活気があった。国中から集まった乗合馬車に、徒歩のまま大きな荷物を担いで来た者。到着したばかりの旅人を狙ってところ狭しと屋台が並び、ひっきりなしに声をかけている。


抜けるような青空に雲は無く、からりとした風が心地いい。


絶好の潜入日和。


誰も私を怪しむ者はいない。


同じ乗合馬車に乗っていた者達のキョロキョロと物珍しいものを見る陽気な雰囲気に紛れて、私も人ごみに流されながらこの王都、カントリサイドへの第一歩を無事に踏んだ。


ここ、バスケット王国と私の故郷フォージ王国は戦争状態にある。


この陽気な雰囲気からは想像もつかないかもしれないが、今の戦場はフォージ王国寄りの国境で、小競り合いを続けながら均衡を保っている。今、私が踏んだばかりのバスケット王国の王都は国の中央よりも遠いので、戦争の暗い雰囲気はほとんど見えないだけだ。


私はフォージ王国からの入国だと悟られないために、この国の周りをぐるりと遠く回り、海側の国から侵入した。人目を避けて街道の整備されていない獣道を何日も歩き、この国に入るまでは何度も名前を変え、身分を変え、衣服も変えた。


取り替えた服については勿体なかったが、どこから足が着くか解らないので古着屋に売るわけにもいかず、燃やすほど慎重に。売れば数日の寝床に困らなかっただろうし、それなりの身なりにするために金がかかったのは痛かったのだが。


手元に残っているのは自身の体と重要な物を詰めた旅行用のトランクだけ。そのトランクもバスケット王国ではありふれた物で、出所が簡単に割れないように新品を用意してもらい、口の堅い鞄屋に頼んで頑丈な鍵と隠しポケットを付けてもらった。


そのトランクも長い旅での度重なる激務ですでに傷だらけになっている。ひとつひとつの傷に愛着は沸いているが、この国へ到着したからはお役御免だ。隠しポケットの付いたトランクなんて怪しいにもほどがある。中身を隠す良い場所が見つかればどこかで燃やすしかないだろう。


失敗すれば命は無い。


ここまで徹底しろとは命令されては無いが、私は臆病なのだ。


「いらっしゃい!いらっしゃい!秘伝のタレで焼いた串肉だよ!」

「最近話題の『勇者の雲』を使った甘い菓子で疲れを癒さないか?」

「まって、まって、乗合馬車は暑かったでしょ。冷たい飲み物で喉を潤さないかしら?」


潜入を成功させるのなら、この見たことも無い食べ物や飲み物の誘惑を断ち切って、指示されている隠れ家に向かうのが正解だろう。だが、私は誰もいない獣道で一つの事を悟った。食べられる時に食べないと、次はいつ食事にありつけるか解らないという事を。


それに、このカントリサイドの街はこの国の王都なだけあって私の想像以上に大きい。そして、私が世話になる隠れ家は見つかり難いように裏路地の裏の裏の裏に隠されている。隠れ家への地図は覚えているが、慣れない街でまっすぐに辿り着ける自信はない。


「そのジュースをひとつ。」


「お、にいさん。ありがとね!」


国の訛りが出ないように気を付けて、黄色い柑橘が置かれた樽を指して短く注文すると、屋台を切り盛りしている愛想の良い熟年の女将が木の杯を満たした。そして、太い指で半分に割った果物を絞り入れると、柑橘の厚い皮から出る強い香りが埃まみれの私の鼻腔をくすぐった。


実は、喉がカラカラなのだ。


本当なら、祝杯に酔いたいくらいの気分なのだが。


この王都に入る時には必ず門番に身分証を見せ来訪の理由を告げねばならない。私の持つ紹介状は完璧なものだったのだが、初めてターゲットの街へと潜入する私の緊張をほぐす理由にはならなかった。


「おまちどう!」


満を持して受け取った木の杯を傾けると冷たい液体が口の中に広がる。口腔に強い香りが充満し、期待したとおりの甘酸っぱい味が舌を楽しませる。


美味い。


どこの街に行っても果物のジュースには間違いが少ないが、ここまで香り立つ果物は少ない。新鮮な皮には苦みの成分もあるが、香りが強く甘さを引き立たせる。しかし日を重ねた皮では水分が抜けてこうも美味くはならない。さすが近隣でも指折りの農業が盛んな国の新鮮さだ。


私は貪るように飲み干すと女将に木の杯を返し、次の店を選び始めた。


喉が潤えば腹が減る。


気を良くした私は手近な屋台に飛びこんだ。


「こっちの串肉を2本くれ。」


実は、旅が予定より遅れていた事もあり強行して、腹の虫が今にも喉から飛び出してきそうなのだ。朝食もほどほどに出発する馬車に飛び乗れたのは僥倖だったのだが、胃の中には何も残っていない。あれほど獣道で酷い目に遭ったのに。


今になって思えば急ぐ必要も無かったと後悔するばかりだが、あの時は天の助けだとばかりに飛びついてしまった。空腹は判断を鈍らせるという良い例に他ならない。


「はいよ、お待ちどう!」


屋台の男は私の見ている前で、焼き上がっていた串肉をさらにタレに浸し炙り直してくれた。渡された肉からは湯気が昇り、芳ばしいタレが香り立つ。


しかし、私は判断を間違えたようだ。


食べてみればタレは煮詰まってバランスが崩れ、慣れない香草が強まって鼻につく。それに、2度も焼いて脂が落ちて肉が硬い。サービスにタレを付けて焼き直してくれたのだろうが、それならタレの味付けを薄めにして、煮詰まるのを計算に入れるくらいはして欲しかった。


空腹は判断を鈍らせる。


まぁ、店舗も構えないような屋台ならこの程度かとため息を吐き、「美味しかったよ」と世辞を告げて屋台を離れた。周りを見れば旅慣れていそうな行商人は屋台に見向きもしていない。


いや、先ほど甘味を謳っていた店に人の列ができている。甘いジュースで体の疲れを癒したばかりだが、口は串肉でタレの味に変わっていてちょうどいい。


看板には異世界から召喚されたという勇者アマネが伝えた逸品で、薄く焼き上げた生地に『勇者の雲』というものを塗り果物を乗せて巻いた『クレープ』と言うものだと書いてある。


初めて聞く『勇者の雲』と言う知らない味に、私の興味は集中していた。人込みを掻き分けて目的の屋台に足を向けのだが、注意が杜撰になって人にぶつかるほどに。


「気を付けろ!」


「ああ、悪かった。」


景気よく怒鳴られながら最後尾に並んで看板を再確認すると、『クレープ』に乗せる果物はいくつかの中から選べるらしい。どれにしようかと迷っている間に人の列は短くなっていく。こんなに順番が早く思えるなんて久しぶりだ。いつもは待たされる間の匂いに気が立つのに。


期待による高揚感で胸が高鳴るなんて、いつ以来だろうか。


新しい馬車が着いたのか列の終わりに新しい人がぞろぞろと増える。長い行列に期待を寄せているのは皆同じで、私も先の人と同じように後ろの人を待たせないように財布を先に出して準備をしておくべきだろう。


しかし、懐に手を伸ばしても腹を満たすための確かな感触が…無い。


せっかく長い列の順番は回って来たのに財布がない。


私は列を離れて恥の欠片も無くあちこちを探し回るが、いくら探しても財布どころか銭貨のひとつさえ見つからない。


「やられちまったな、ダンナ。」


私の肩を『クレープ』を片手にしたオヤジが満面の笑みで叩いた。同じ乗合馬車に乗っていた顔で私と同じように寝坊して走っていた男だ。先ほどまで包み焼きの店に並んでいたのに、今は私が買えなかった『クレープ』を頬張りながら笑っている。


「ああ…。」


旅先でスリに気を付けるのは常識だ。故郷でも乗合馬車の中でも耳にタコができるくらい聞かされた。なので、旅に出た頃はトランクの中に金を隠したりと慎重を期していたが、予定以上の長い旅でそれらもすっかり路銀に変わってしまった。


つまり、少し薄くなっていたあの財布は私の最後の金だったのだ。


空腹は判断を鈍らせる。


私は無一文になったのだった。



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次回:裏路地の裏の裏の裏の『隠れ家』




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