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傷の治療



 元々、アリアは森の中の家に両親と、妹と三人で住んでいた。

 この国にはたくさんの人たちが暮らしていることをアリアは知っていたが、自分と誰かが関わることなどないと思っていた。

 一人きりになってからおおよそ八年。

 生きている人に触れたのは、本当に久しぶりだった。

 家族ではない。知らない、人だ。

 降り頻る雨と、血を失ったからだろうか、男の体は服の布越しにもわかるほどに冷えていた。

 丸太を担いでいるように重くて、それから硬い。

 アリアも男も未だ降り頻る雨のせいで全身を濡らしていて、洋服はたっぷりと水分を含んでいた。

 力の入っていない人間の体は重い。ただでさえ重いのに、雨がその重みを倍加させているようだった。

 ブーツの中にも水が入ってきて、歩く度にぐちゃぐちゃと鳴った。

 何度も、背中からずり落ちそうになるのを、ズキズキとした痛みがひっきりなしに襲ってくる両手に力を込めて、姿勢を直す。

 一歩一歩確かめるように足を踏み締める。


 ──まるで、あの時みたいだ。


 嫌な記憶が、アリアの脳裏に、水底に沈めたはずの箱がぷかりと浮かんでくるようにして想起される。

 今は、考えなくていい。

 アリアはすぐにその記憶を打ち消した。

 ──考える必要のないことだ。だって、私には、ニニスがいるのだから。


 ようやく家の扉の前に辿り着いた時、濡れた髪を振り乱し、服もドロドロで、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返している酷い有様だった。

 男は、無事だろうか。

 扉を開くと、アリアは床に倒れ込むようにして膝をついた。

 背中からのしかかる男に押し潰されて、そのまま男と共に床に転がる。

 アリアと共に男に潰されたニニスがするりと這い出してきて、心配そうにアリアの顔を覗き込んだ。


「……私は、大丈夫」


 足も手も、痛みと冷えでもう感覚がない。

 まるで両手足が棒切れに変わってしまったみたいだ。

 アリアもなんとか男の下から這い出すと、うつ伏せで倒れている男の体を両手で必死に押して、ごろんと仰向けにした。

 

「体が大きい……私は、小さい。大変」


 こんな時でなければもっと軽々と、男を助けることができたはずだ。

 アリアはか弱い少女ではない。卵獣を鎮めるために、卵獣と戦うことだってある。

 だが、今は。昨日と今日の鎮魂で、贄に捧げた両手足にくっきりと荊の模様が浮き出ている。

 荊棘の呪い。苦痛の呪いが降りかかった証である。

 足の包帯も、ほどけてしまっていた。


「生きている?」


「…………」


 男からは返事がない。

 先ほどよりも呼吸が浅い。雨の中を引きずるようにされてきたからだろう、さらに血が抜けてしまっているようだ。

 血を失うと人は死ぬ。このままではきっと、この男は助からないだろう。


「まずは、服を脱がせて、傷口を見ないと」


 怪我の手当は慣れている。家族を失った十歳から、十八になる今まで全て一人で行ってきた。

 アリアは自分の濡れたフード付きのマントを脱いだ。それから、邪魔なブーツと靴下も脱いだ。

 立ち上がり、足に絡みつくスカートをぎゅっと絞る。床にぼたぼたと水滴が落ちる。

 泥と水で床が汚れてしまったが、後で掃除すればいい。

 男の側にしゃがむと、男のマントに手をかける。

 金の金具を外してマントをはいで、黒い服の首の前に一列に並んだ留め金を外していく。


「……ごめんなさい」


 濡れた服が体に張り付き、うまく脱がせることができない。

 アリアは謝罪をすると、腰のベルトに引っ掛けてあった短剣を取り出して、男の服を切り裂いた。

 ビッと、布の裂ける音が、雨音に混じり響く。

 抉られている脇腹あたりの服は裂けてしまっている。どのみちもう着られそうにないように見えるが、服を切り裂くのは申し訳ない気がした。

 切り裂き剥ぎ取った服の下から、立派な体躯が現れる。

 アリアとはまるで違う。

 あつい胸板に、浮き出た腹筋。体にはいくつかの傷が残っている。

 男の倒した分も含めると、十体ほどの卵獣に襲われていた。それなのに死なずにこの程度の怪我ですんだのだから、男はとても強いのだろう。

 戦う人の、体だ。


「あなたは、卵獣を殺しにきたのだろうか。それとも、私を殺しにきたのだろうか」


 アリアのことを、『魔女』と呼んでいた。

 それは、仕方のないことだ。

 アリアたちの一族は、『魔女』や、『悪魔』と、昔から言われ続けてきたのだから。


 今は考えても仕方ない。

 アリアは傷口を確認する。男の脇腹は、綺麗に裂けていた。内臓が露出していないのがせめてもの救いだろう。

 水瓶の水を大鍋に移して、火にかける。家を飛び出す時に燃やしたままだったかまどの火が、まだ残っていた。

 それから水をタライにくんで、男のそばに持ってくると、清潔な布を絞る。

 絞った布で、傷口を拭った。泥と血の塊と、新しい血に塗れた傷口が、何度か布を絞ってふくうちに、綺麗になってくる。


「ぐ……ぁ……」


「痛い? 我慢、していて」


 うめき声が聞こえたので声をかけたが、男の意識はやはりないようだった。



お読みくださりありがとうございました!

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