深い森の少女
ざあざあ、どさどさ、ばたばた、びゅおんびゅおん。
雨の音だ。
今日の天候はひどく荒れそうだと、アリアは窓に打ちつけては雫の筋を作り流れていく雨粒を見ていた。
雫の筋は、ガラス窓にカタツムリが這ったあとに少し似ている。
何本も何本も、雫がぷっくり膨らんでは、重力に負けて下へ下へと落ちていく。
ネクロシウスの森の奥深くに、アリアの家はあった。
森には獣道以外には道がない。草むらをかき分け、木々の隙間を通り抜けて、倒木を超えて、それから、魔卵と言われている黒い卵の安置された『卵の揺り籠』を通り過ぎた先に、ぽつんと建っている。
一人で暮らすには少し大きく、家族と暮らすには少し小さい家だ。
白煉瓦を組み合わせた外壁に、赤い屋根。冬の寒さを凌ぐために暖炉があって、煙突もある。
一階にはかまどと水瓶。テーブルと、保存食がいろいろ。お風呂と、暖炉と小さなソファがある。
二階にはベッドが一つとクローゼット。
それから、羽のある白蛇のニニス。
それがアリアの世界の全てだ。
森の近くにある街で、かわいそうな卵獣を卵に戻して持ち帰った翌朝から、土砂降りの雨が降り出した。
本当は卵の揺籠で、浄化をしてあげたかったけれど、今日はこんなにひどい雨じゃ、何もできそうにない。
アリアは小さくため息をつくと、アリアの首に巻き付いている翼蛇のニニスを撫でた。
それから、お湯を沸かそうと水瓶の前に水差しを持って向かった。
水瓶の水は、朝一番に井戸で汲んで、いっぱいにするようにしている。
森の気候は変わりやすいから、後回しにしておくと水を取りにいけなくなったりすることもあるからだ。
アリアの腰ぐらいまでの高さのある大きな水瓶の前に立つと、なみなみと注がれた水瓶いっぱいの水に、アリアの顔が映った。
茜色の癖毛に、紫と水色が交わる瞳。小柄な体に、すっぽりとフードをかぶっている。
フードには、大きめのリボンがついている。アリアは小柄で元々若く見えるので、大きなリボンのある服を着ると余計に子供染みて見える。
もう、十八才だ。
眠り子の役割を一人で行うようになってから、八年以上立つ。
水瓶から柄杓を使い水さしに水を注いだ。
水さしの水をポットに注いで、薪に火をくべたかまどの上に置く。
「お茶をいれるね、ニニス。今日はもう、何もできない。悲しい人が、現れないことを願うばかりだ」
アリアはかまどの前に置いてある小さな椅子に座って、ポットの中でお湯が沸くのを待った。
村で卵獣が出るのは、数年ぶりだった。
アリアは卵獣が出現した時以外は、森から出ることはない。
だから、森のそばにある小さな村に行ったのは、ずいぶん久しぶりだった。
「甘いのと、スパイシーなの、どっちがいいかな」
瓶の中に入っている茶葉を眺めながら呟く。
甘いお茶は、花蜜草を乾燥させた茶葉でいれたもの。スパイシーなお茶は、花蜜草と一緒に癖の強い香木をいれたものだ。
アリアは少し考えて、花蜜草だけの茶葉を取り出した。
瓶の蓋を開いて、ガラス製の透明な茶器に茶葉を入れる。
その中にお酒を注ぐと、乾燥した花蜜草が開いていく。
甘いいい香りが、部屋に漂った。
「……人に、見られてしまった」
茶葉を蒸らしながら、アリアは呟く。
アリアは、卵獣を魔卵に戻すことができる、眠りの歌という特別な力を持っている。
魔卵を森に集めて、そのかなしい魂を地に戻してあげるのがアリアの役割だった。
アリアの役目は、秘密である。
けれど、卵獣と互角かそれ以上に戦う銀の髪の男に、姿を見られてしまった。
「い……っ」
ずきんとした痛みが、包帯を巻いた足に走る。
アリアは顔をしかめると、茶器からカップにお茶をそそいだ。
憂鬱な日は、甘いお茶を飲んで眠ってしまうのがいい。
けれど──アリアはそのお茶を、一口も飲むことができなかった。
「……卵獣? どうして……!」
土砂降りの外から、何か、不自然な音が聞こえる。
森に響き渡るような低い獣の声と、地面を駆ける誰かの足音。
どういうわけか、卵の揺籠に綺麗にしまっておいた魔卵から、卵獣が生まれているようだ。
一体ではなく、数体。
アリアは弾けるように、ニニスを首に巻いたまま家を飛び出した。
そして、自分が濡れることなど何も気にしていないように、ざわめきがする方向へと水溜りとぬかるんだ泥道を蹴って駆けていった。
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