シヴァルの出立
カリス騎士団のことを、副団長であるヴェイロンに頼み、シヴァルは出立の準備を進めた。
シヴァルの生家であるヴィアライド家とは、代々優秀な騎士を輩出する家系として知られている。
貴族ではないが、エラリア王都のヴィアライド家といえば王都の人々なら誰でも知っているほどに、有名だった。
シヴァルの両親はまだ健在で、父はカリス騎士団から退役して後、剣の師範として王都に訓練所を開き、若者たちの指導に勤しんでいる。
子供は、シヴァルと妹であるセイラだけ。シヴァルは嫡男としての期待を一身に背負っており、騎士団長に選ばれた時も、そして王から勅命を受けた今も、両親は名誉なことだと大層喜んでいた。
「兄様、……ネクロシウスの魔女とは、恐ろしい化け物なのではないでしょうか」
シヴァルが荷物を騎乗用の飼い慣らされたフォックスリオンの上に乗せて準備をしていると、獣舎にセイラがやってきて小さな声で言った。
栄誉を与えられたと喜ぶ両親の前では口にできなかったのだろう、わざわざ獣舎に訪れてまで二人きりになりたかったのだ。
シヴァルはフォックスリオンのファスを撫でていた手を止めて、セイラに向き直った。
「さぁ、どうだろうな。東の領地に住む者たちは、ネクロシウスの魔女を見たと言う。ネクロシウスの森には魔卵が多量にあり、ネクロシウスの魔女がその魔卵を各地にばら撒き人を殺しているのだと」
「恐ろしいです……そんな恐ろしい場所に、兄様が……」
「ネクロシウスの森に入った者は出てこないという噂もあり、誰も入らない禁忌の森とも言われている。噂などは曖昧なもので、実際に足を踏み入れてみなければなにもわからないが、もし噂が本当なら、魔女を捕らえれば卵獣の被害はもうなくなるということになる」
「確かにそれは、そうですが……」
「今まではただの噂で、騎士団を動かすことはできず、人々を守らなくてはいけない以上、私が一人ネクロシウスの森に向かうこともできなかった。しかし、此度は王の命。元凶を捕縛し、王国を卵獣から救うことができるかもしれない」
「でも、兄様。魔女というのが何者かはわかりませんけれど、この国に卵獣が現れたのは、つい最近のことではないはず。この国の歴史は、卵獣との戦いの歴史でもあります。……魔女のせいで卵獣が現れるのだと、私はどうしても思うことができません」
セイラのいうことも一理ある。
王国史のはじまりから、卵獣については記されている。
それは魔卵から孵り、卵獣となり人を襲う。倒し方や、身を守る方法などは歴史書に記されているが、そもそも魔卵が何かは書かれていない。
長く続く歴史の中でそれを研究している者は当然いたのだろうと思うが、おそらくは誰も解明できなかったのだろう。
それを──魔女という正体不明の存在に押しつけるのは、確かに違和感がある。
それでも噂が大きくなり、魔卵の被害が増えれば、魔女を捕まえろという声は無視できないぐらいに国民たちの間に高まっていくだろう。
王の決断は、賢明であると、シヴァルは思う。
シヴァル一人に行かせることもまた、カリス騎士団が騎士団として機能し続けるためには必要なことなのだ。
兵力を、いるかいないかも判然としていない魔女に割くわけにはいかない。
「セイラ。お前の言うことは理解できるが、私にしか言ってはいけない。もし誰かに知られてしまえば、王の判断が間違っているというのかと言われ、処罰されかれないのだから」
たとえ、シヴァルの妹といえども、王に逆らってはいけないのだ。
実際、卵獣の被害が増えたことを王家の怠慢だと息巻いていた者などは、『王家に叛意があるもの』『徒に民を惑わし、煽動するもの』として、投獄されたりもしているのだから。
セイラはわかっていると、頷いた。
「兄様、気をつけて。そして、早く帰ってきてください。……兄様がいないと知ればロゼニウム伯がしつこく我が家に押しかけるでしょうから」
「セイラは、フランツ・ロゼニウムのなにが気に入らないのだろうな。私から見れば、よい縁談だと思うが」
「私はただの騎士の娘。父様や兄様はナイトの称号がありますけれど、私はただの平民です。貴族様の嫁になどなれません。それに、フランツ様は……どこか恐ろしいでしょう? 私は好きにはなれません」
シヴァルの問いに、セイラは囁くような小さな声で言った。
フランツ・ロゼニウム伯爵からセイラに求婚の申し出があったのは、半年ほど前のことだ。
王都を歩いていたセイラを馬車の窓から見たのだという。一目惚れだとフランツからの手紙には書いてあった。
よい縁ではないかと両親は喜び、シヴァルもそう思ったが、一度目の顔合わせの時にセイラは「申し訳ありませんが、庶民の身でありながら伯爵様の家に輿入れすることはできません」と断ってしまったのだ。
他に好きな男がいるというわけではないらしい。
確かに身分差を考えれば、セイラは苦労することは目に見えている。それを考えれば、セイラの相手はシヴァルの部下の騎士の誰かの方が適しているだろう。
フランツは諦めることなく、それからも何度か手紙や贈り物を寄越している。そのうち妹の心も動くかもしれないと考えていたが、シヴァルの思うよりも妹は頑ならしい。
「私がいなくとも、父上がいる。父上がお前と母を守るだろう。案ずることはない」
「兄様、どうか無事で」
セイラはシヴァルの首に、先端にサメの牙がついた革紐を巻きつけた。
旅人のお守りとして、王都でよく売られているものである。元々は海辺のものたちの漁の安全を願うためのものだったが、それが内陸にも広まっていって、旅や狩猟や、安全祈願としてサメの牙は有り難がられている。
「兄様は真面目すぎるところがありますから……危険だと思えば、逃げてください。命が、一番大切です」
「ありがとう、セイラ」
シヴァルは鈍い白色の、加工された丸みを帯びたサメの牙を握ると、もう片方の手でセイラの頭を撫でる。
セイラは恥ずかしそうに「もう子供ではないのですよ」と言ったが、手を振り払うことはしなかった。
そして、シヴァルはフォックスリオンのファスと共に、ネクロシウスの森に向かった。
シヴァルの王から受けた勅命は、いつの間にか人々に広まっていたらしい。
王都から出立するシヴァルを一目見ようと集まった人々はまるでお祭り騒ぎで、門の前に集まってくれたカリス騎士団の者たちを除いても、かなりの大人数が、熱狂と歓声と共に王都の大門から出ていくシヴァルを見送っていた。
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