序章:王からの勅命
草も木も、夜行性の動物たちでさえ寝静まってしまったようにすら思える静かな夜だった。
静けさの中に、硬い靴底が石造りの回廊を歩く靴音だけが響いている。
回廊の両脇の壁には太い蝋燭の立てられた燭台がいくつも並び、橙色の炎で回廊を心許無く照らしている。
夜半過ぎのこの時間帯、ここまで明るさを保っているのは貴族の邸宅か王の住む城ぐらいだ。
蝋燭は庶民にとっては高級品であり、蝋燭よりも明るいという理由で最近使われ出しているオイルランプはさらに高級で、とても庶民には手に入らないものである。
エラリアの夜は早い。余程のことがなければ、日が落ちれば皆眠りにつく。
暗闇の中で起きているのは、門兵か警備兵、夜盗ぐらいのものだ。
「シヴァル・ヴィアライド、ただいま参上しました」
回廊を通り、現れた扉を叩く。
名を名乗ると「入れ」と一言許可を与えられたので、シヴァルは重たい扉を開き、中へ入る。
招かれたものだけが入ることのできるエラリア城の二の間、黄金の王の間である。
その名の通り、壁から天井に至るまで、黄金に輝く金でできている。金の壁から様々な宝石のあしらわれた燭台が突き出ている光景は、何度目にしてもシヴァルの目の奥を痛くさせた。
小さな窓の外には闇が広がっている。蝋燭の炎は金の間においては十分な光源の役割を果たすのか、回廊よりもよほど明るく眩しい。
金の間の中央の立派な椅子に座り、椅子の横にあるテーブルに並べられたワイングラスを手にしている壮年の男の前に、シヴァルは膝をついた。
胸に手を当て深々と頭を下げて、忠誠の礼を行う。
「シヴァルか」
カリス騎士団の軍服を着て、肩から背中を流れ落ちるマントを床につけて礼をするシヴァルに、低い声がかけられる。
「頭をあげよ」
シヴァルは一呼吸置いて、下げていた頭をあげた。
肥えた体にゆったりとしていて豪奢なローブを羽織っている、黒い髭にも髪にも白いものが目立ち始めたエラリア王、ジオスロット・エラリアは、手にしていたワイングラスを置くこともないまま、口を開いた。
「このところ、魔卵の数が増えている」
「はい」
「卵獣の襲撃により滅んだ村が十を超えたそうだな。カリス騎士団は、そして王家は何をしているのだと、民たちは怒りを露わにしているそうだ」
「申し訳ありません」
ジオスロットの声音は淡々としているが、その奥に巧妙に隠されている苛立ちと怒りに、シヴァルは気づいていた。
「守られるだけしか脳のない愚かな民草ではあるが、不満や怒りも尤もの話ではある。街が滅ぼされ、多くの人が卵獣に殺された。それを守る役目のカリス騎士団も、卵獣討伐の最中に多くの兵を失っている」
「お恥ずかしいことです」
エラリア王国の各地に現れる魔卵から生まれる異形である卵獣を討伐するのが、エラリア王家直属の騎士団であるカリス騎士団の役割の一つである。
卵獣の襲撃により多くの兵を失い、多くの民を失っていることを騎士団長であるシヴァルはよく知っていた。
卵獣は異形だ。動物とも人間とも形が違う。
ただ目の前のものを壊し、殺すぐらいしか能のない、化け物。
だが、強い。
シヴァルは一人で数体の卵獣を相手にできる実力の持ち主だったが、他の兵士が全てそうというわけではない。
そして王国の各地に現れる卵獣を、全てシヴァル一人で屠れるというわけではなかった。
物資も人も金も、全てが足りない。
だがそれを王に進言することはできない。王家に意見をすることは重罪である。カリス騎士団とは、王家に忠誠を誓うもの。王の言葉は絶対だ。
「カリス騎士団の損害は、お主に責があるな、シヴァル」
「はい。全ては、私の至らなさです」
「シヴァル。お主は騎士団の不甲斐なさについて、責任をとる必要がある。ネクロシウスの魔女を捕らえよ。これは勅命である。お主一人で捕らえ、連れてくるのだ」
「はい。全ては王の、お心のままに」
ネクロシウスの魔女。
シヴァルは頭の中で呟いた。
その者は、東にある誰も近づかない孵化前の魔卵であふれた深い森──ネクロシウスの森に住むという。
そして、魔卵の現れる場所に、共に現れるという。
ただの噂だ。
シヴァルはそんな女を今まで一度も見たことがなかった。
だが、捕らえよと言われれば、行うだけだ。
シヴァルはもう一度深々と礼をして、王の間を後にした。
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