閑話9 思い出の形はひとつじゃない
お茶会翌日、初田は昼下がりにワンダーウォーカーを訪ねた。
新商品を並べていた歩が、扉のベルに気づいて振り返る。
「あら初斗、いらっしゃい。なにか買いに来たってわけじゃないのよね」
「ああ。きのう母さんが帰り際、昔の写真を持ってきてくれたんだ。押し入れを整理していたら出てきたんだって。歩が写っているものもあるからあげようと思って」
アルバムが二冊と、アルバムに収まりきっていない写真の束が山盛り。空いていたカウンターに広げる。
仕分けていない状態で持ってきたから、かなりの数がある。
「あ、先生いらっしゃい。ネルは一緒じゃないの?」
「こんにちは、アリスさん。ネルさんはお昼寝中だよ」
「そっか、この時間だもんね。それなに?」
「写真だよ。学生時代に撮ったものが多いんだ。歩、これは一緒に江ノ島に行ったときの。こっちのは鎌倉に行ったときの」
束の一番上に乗っていたのは、出会って間もない高一の頃の写真だ。
まだ髪をライトブルーに染める前の歩。長く伸ばした髪をポニーテールにしている。売店のベンチに腰かけてソフトクリームを食べている。
歩はその写真を手に取って目を細める。横からのぞき込んでいたアリスに渡す。
アリスは自分よりも若い初田と歩の写真を一枚一枚手に取って、笑う。
「先生って高校の頃から今くらい身長があったんだね。歩さんがちっちゃい!」
「懐かしいわね。初めて初斗のとこに遊びに行った日、初音さんが江ノ島まで連れて行ってくれて。これなんて、覚えている初斗。あんた野良ネコに囲まれて動けなくなったのよね。カツオブシでも隠し持っているのかと思ったわよ」
初田がベンチに座った途端、そこかしこにいた野良ネコが我先にと集まってきて、膝上や肩を占拠した。
歩と初音は助けてくれず、のんきに写真を撮っていた。初田はその日のことを今でも根に持っている。
「笑い事じゃないよ歩。あのときはネコに食べられちゃうと思った」
「あんたみたいに図体がでかいの、ネコは食べないわよ」
歩は束の中から自分が写るものを選別して、手近にあった小箱に入れていく。つきあいが二十年以上だから、その枚数はかなりのもの。写真の中にいくぶん新しいものがあった。
ワンダーウォーカーを開店した日に撮影したもの。
歩と初田と、ネルが映っている。
「いいなあ。こんなふうに何年も一緒に撮れる友だちがいるの。写真を見て、あのときは楽しかったねって、あたしも言えたらいいのに」
中卒後に引きこもっていたアリスには、友だちと呼べる人が少ない。
思い出を語れる写真は、先日のお茶会で撮ったものだけ。
自分で選んだこととはいえ、思い出を共有できる人がいないことをアリスは寂しいと思った。
「何言ってんのよアリスちゃん。人生長いんだから、今から悲観するんじゃないの。アタシがいるし、ネルちゃんがいるし、初斗と、コウキもよく遊びに来てくれるし、蜻一おじいちゃんも喜んで撮ってくれるでしょうし。もっとたくさんの人と出会えるわよ」
「そう、かな」
うつむくアリスの肩を叩き、歩はスマホをカメラモードにして初田に投げ渡す。
「初斗、いいのを一枚よろしく」
「任されたよ」
肩を並べた歩とアリスが写真の中に収まる。初田は撮れた画像を二人に見せる。
自分の写りが悪いことに、アリスは引いた。乙女としてそれなりに理想の写りかたというものがあるのだ。
「あー! あたし目を瞑っちゃってるんだけど」
「それもまた思い出よ。アタシと初斗の時なんて使い捨てカメラだから撮り直しがきかなかったのよー」
「それは昔の話でしょ! 歩さんだって写りが悪かったら撮り直したいって思うはずだよ。撮り直してよ先生。デジタルだからできるでしょ」
出会って一年も経っていないのに、歩とアリスの息がすごく合っている。とくに、アリスからは最初の頃の遠慮が消えている。すっかり元気になっていて、娘の成長を見守る父親のような心境だった。
カラン、と扉を開けて、今度はネルが入ってきた。
「あ、やっぱり初斗にいさんもここに来ていたんだ」
アリスがいるのを確認して、一抱えある紙袋を持ち上げる。
「アリスさん、これ。さっきお姉さんが持ってきたよ。出禁にされているから代わりに渡してって言われたの」
「えぇぇ……お姉ちゃんが? 捨てていいよ」
ときおりショートメッセージで連絡を取っているとはいえ、やはり苦手なものは苦手だし、嫌いだった。
露骨に嫌な顔をするアリス。姉嫌いだと分かっていて持ってきたのかと、アリスはネルを睨む。
「きょ、今日はちゃんとしたものだから、ね?」
ネルが袋から出したのは湯たんぽだった。ピンク色で小ぶりの、少々年季が入っているもの。布袋も一緒に入っている。袋にプリントされているのは十七年ほど前に放送していたアニメのキャラで、布地がくたびれて色あせている。
「これ、あたしが小学生の頃気に入っていたやつ。すごく好きなアニメで……」
「もうすぐ寒くなるからって。物置を整理したら出てきたんですって」
アリスはなんと言っていいのか分からなかった。
リナだってアリスのことを嫌っているだろうに、どんな気持ちでこれを持ってきたんだろう。
「私もこのアニメ観てたよ。お母さんに、映画つれてってーって泣きついて困らせたなぁ」
「ほんと? ネルも見てたんだ」
年齢差が二歳だから、幼い頃に観ていたテレビ番組がかぶる。どのキャラが好きだったとか、どの回で泣いたとか、初田と歩には分からないけれど、アリスとネルは楽しそうにアニメの話をする。
「よかったわね、アリスちゃん。写真がなくたって、思い出を共有する方法があったじゃない」
歩が背中をぽんと叩くと、アリスは照れてそっぽをむいてしまう。
「え、なに、なんの話?」
ネルはさっきの会話を知らないから、頭に?マークを浮かべる。
「みんなで思い出を一杯作って、写真を撮りたいわねっていう話。見てよネルちゃん、このネコに集られた初斗を。服がネコ毛でもさもさになって、コロコロで取りきれなくて大変だったのよ」
「わー! 初斗にいさんかわいい! ネコちゃんまみれ」
「え、そっち?」
写真を両手で握って、目を輝かせるネル。大好きな人が大好きなネコに囲まれているという写真は、ネルにとってすごいお宝写真だった。
「これもらっていい? 部屋に飾りたい」
「やめてください」
「フォトフレームなら、仕入れたばかりのオススメがあるわよ」
「買う! 買います!」
初田の意見はまるっと無視されて、ネルがフォトフレームをお買い上げ。
家に帰ってから、写真を部屋に飾ると言ってきかないネルと、ぜったいに黒歴史を飾られたくない初田の戦いが始まるのだった。
閑話9 思い出の形はひとつじゃない 終





