閑話7 鏡映しの生き方
【兄さん、元気ですよね。こちらは元気でやっています。
そろそろ裁判がはじまると聞いたので筆をとりました。
無駄な抵抗はしないで、大人しく罪を償ってくださいね。
母さんもそう言っています。】
【せっかく面会に行ったのに。帰れって怒鳴るのはよくないよ。相変わらず短気だなあ。
母さんが差し入れた小説、読んでみてね。気を紛らわすものがないと、兄さんはだらだら過ごすでしょう。人に命令されるのが嫌いだから、所内の人とケンカしそうだし。
それはさておき、この秋に結婚するので一応報告しておきます。
誰しも自分の嫁が1番可愛いっていう定説は、あながち間違いじゃなさそうです。】
【聞いてください兄さん。わたし、次の秋頃父親になるんですよ。
わたしも昔から奇人変人と言われていましたが、ネルさんに人間らしくしてもらえました。
この出会いに感謝しないといけませんね。我が子にいいお父さんだって思われたいから、まっとうな人間になれるようにがんばらないとです。】
平也が檻の中に入って一年が過ぎようとしている。
服役中の平也の元には、定期的に弟からの手紙が届く。
「手紙でのろけんなボケ」
初田は決まって第一水曜日に面会をとりつける。
アクリル板ごしに会うのはもう何度目だろうか。
幼い頃から変わらず、のらりくらりと平也の毒舌を打ち返す。
「いいじゃないかのろけたって。兄さんはどうせわたしの話を聞いてやしないんだから、壁に話しているようなものだもの」
「俺は壁じゃねえ」
「ほら見て兄さん、可愛いでしょう。フォトウエディングだけしたんです」
文句を言ってもどこ吹く風。
初田が大切に胸ポケットに入れていた写真には、かつて平也と一度だけ対峙した女性、ネルが映っている。
ツインシニヨンだった髪はひとまとめのアップにされて、長手袋のロングドレスを着ている。
平也の好みではないが、一般的には愛嬌がある子に分類されるだろう。
「ああ、そうだ。そいつを見て思い出した。『にいさんはここにいますか』ってなんなんだ。最初会ったときに言われてわけがわからなかったんだが」
「今見ているものが本物か、確かめるためです」
「は?」
初田は自分の胸に左手を当てる。
「もうほとんど症状はなくなりましたが、引き取った当初のネルさんは高校一年生で、ナルコレプシーで出眠幻覚を見る状態にあった。だから確かめていたんです。今見ているものは夢じゃないと」
「へえ」
精神科や脳神経科は専門外だから表面的な部分しか覚えていないが、ナルコレプシーは睡眠障害のひとつ。
三十歳の男がわざわざそんな病気の小娘を引き取って看護していたというのだから、変人と言われても文句は言えないと思う。
「光源氏みたいだな」
「当時よく言われました」
「だろうな」
「最初はナルコレプシーの研究をしたかっただけなんですけどね」
さらっと言ってのける初田。マッドハッターのあだ名は伊達じゃない。
「それがいまでは最愛のお嫁さんです」
「のろけんな」
思い出したようにのろける初田に、平也は毒を吐く。
「それではもうそろそろ帰ります。ネルさんを迎えに行かないと」
「帰れ帰れ」
「また来ますね。次は母さんも一緒に」
平也が絶対にしないようなやわらかい笑みを浮かべ、初田は面会室を出て行く。
初田が十年閉じこもって生活していたのと入れ替わるように、今度は平也が外に出ることのできない生活を送っている。
鏡映しのような人生だ。
外に出られないことがどれほど退屈で味気ないか、この一年で身をもって知った。
死刑じゃなかっただけよかったと思え、と何度刑務官から言われたことか。
刑期を終え出所しても、平也には保護観察がつく。
一生監視される生活が続く。自分がやったことへのオトシマエ。
今更考えたところで現実は変わらないが、ふと思う。
(初斗みたいに誰かを信じていたなら、俺はあっち側にいたんだろうか。そのままでいいと言って隣に並ぶ奴がいたなら)
「らしくねえな」
かぶりを振り、平也も面会室を出る。
生き方なんて、いつか刑期を終えたときに考えればいい話だ。
年齢を考えると、そのとき母はもうこの世にいないのだろう。
血のつながりを持つものは弟だけになる。
初田の性格を考えると、出所するまで毎月会いに来るのではないか。平也がいくら来るなと言っても聞かず、自分勝手に会いに来る。
平也は言葉にならない気持ちを胸に、歩き出した。
閑話 鏡映しの生き方 終
うたたんこと唄詠いさんから完結お祝いでミツキをいただきました! ありがとうございます〜!
明日は
閑話8 マッドハッターの恋模様
また19:00頃更新です。よろしくお願いします。





