60 画面越しの挑戦状
嘉神平也は潜伏先の部屋に帰るため、初田ハートクリニックから二駅離れた駅の通りを歩いていた。
行き交う人はほとんどが会社帰りの大人たちか、塾帰りの学生だ。空は厚く黒い雲に覆われていて、湿り気を帯びた風がふく。
駅前の大型ビルに設置されたビジョンが午後七時を告げる。
画面一杯に【未解決事件を追う、公開捜査スペシャル】とタイトルが映し出され、スタジオ内の映像に切り替わる。
キャスターやコメンテーターが挨拶をしてから、スタジオのテレビに平也の父、嘉神廉也の顔が大写しになる。
『今日とりあげる一つ目の事件はこちら。当時も特集を組んだので、覚えている視聴者さんもおられるでしょう。十年前に起きたバラバラ殺人事件です。容疑者の嘉神平也は今なお逃亡中でーー』
よくある3Dモデルを使った再現ビデオが流れ、嘉神家の近所に住んでいる老人たちがインタビューに答えた様子が流れる。
親の離婚が原因だの、幼い頃からおかしかっただの。会場にいた女優の一人が口元にハンカチを当ててうつむく。
(まだこんな無駄なことをやっているなんて、ご苦労なこった)
平也は橋の欄干によりかかり、他人事でビジョンを見上げ、缶コーヒーのプルを開ける。
サングラスに帽子で顔全体が見えなければ、どうということはない。今の顔を予測した似顔絵だかCGだか、そういうものも警察署にはりだされていることがあるが、あれも信憑性に欠ける。
『今回は特別に、双子の弟さんが番組に全面協力してくださいました』
持っていた缶を落としそうになった。
スタジオの中央に歩みでたのは、間違いなく初田だ。
半袖のカッターシャツに袖を通し、ボタンは三つ開けた状態。デニムにスニーカー。およそ初田がしない服装だ。髪の毛を元の癖と逆に流していて、サングラスをかけている。
初田がそういう格好をすれば、今ここにいる平也そのものだった。
通行人の幾人かの視線が平也に向いたような気がして、ぞっとした。
初田はサングラスを外し、顔をさらす。
キャスターやコメンテーターの質問ひとつひとつに、律儀に答えている。
闇医者をしているらしいこと、歌舞伎町に潜伏していたこと、どれも真実だ。
(初斗がこんな真似するなんて。ずっと、人目を避けて引きこもっているって聞いていたのに)
事件以降顔をさらせなくなり、隠居老人のような生活になっていると聞いて、胸がすく思いだった。
いっそ医者を続けられなくなればいいのにと思ったが、神経が図太い弟はいまも医者を続けている。
平也は弟が嫌いだった。
幼い頃は虫を潰して遊ぶ、平也と同じ側の人間だったのに、自分は兄と違ってまともですという顔をして生きている。
それが許せなかった。
まともじゃないくせに。
平也と同じ、異常者のくせに。
『嘉神容疑者はなぜ父親を殺したんだと思いますか』
コメンテーターの質問に、初田は顔色を変えずに答える。
『やってみたかったからじゃないですか。兄さん、ネズミとかネコとか生き物を殺すのが趣味だったから。人間でもやってみたかったんだと思います。あとは純粋に、わたしに対する嫌がらせ』
『嫌がらせ、とは?』
『ほら、わたしたち双子じゃないですか。わたしは平也じゃないかと疑われて、なにもしていないのに出歩くたびに通報される生活だったんですよ。夢を諦めさせたかったんでしょうね。わたしが研修を終えるタイミングを見計らったかのように事件が起きたので』
弟が惨めな生活することになるのも織り込み済み、そんなところまで正確に読んでいた。
お前のやることは全部予測の範囲内。上から目線で言われているようで、無性に腹が立った。
双子だからこそ、お互いの考えることがよくわかる。
ビジョンに映し出された初田は笑顔を浮かべているが、目が据わっている。
画面越しにいる平也に対する挑戦だ。
初田の左手薬指にはめられた指輪が、鈍く光る。
『兄さん、きっとどこかでこれを見ているでしょう。兄さんはかつてわたしに言いました。善人ぶるのが許せない、死んで欲しいくらいむかつくって。そのままお返しします。自分は何も悪くないという顔をしてのうのうと生活をしている兄さんが大嫌いだし、本当にむかつく』
手の届く位置にビジョンがあったなら、叩き割っていた。
(早く部屋に帰らないと……いや、あいつらもこれを見ているなら、俺を警察に突き出すか)
怪我の治療をしてやった礼に、古いアパートの一室を使わせてもらっていた。さすがに、殺人犯の逃亡を手助けしていたなんて言われたくはないだろう。もう現在の隠れ家に戻れないと考えた方がいい。
番組は次の事件の特集に移る。集団振り込め詐欺の犯人を捜索するという。
「ねえあれ、今テレビで言ってた人じゃない? 番組に送ってみよっかな。Rinaも協力してって呼びかけてたし。さっきテレビに出ていた弟さんって、Rinaが事故に遭ったとき助けてくれた恩人なんだってさ」
スマホのシャッター音がした。
女子高生の言葉が聞こえていたのか、何人かが振り返る。
面白半分に何でも撮影してSNSに投稿する世代だ。やめろと言ってやめるわけもない。
あの番組は生放送。いつものように初田のふりをする手が使えない。
一秒でも早くこの場を離れようとした平也の前に、一人の男が立ち塞がった。
おそらく平也よりいくぶん年上。
高そうなスーツなのに、背広もシャツもシワだらけ。革の鞄も革靴も、薄汚れて光沢がない。
男は唾を飛ばさんばかりの勢いで平也に詰めよってきた。
「初田、お前初田だな。よくも俺の前に出てこれたものだな」
「は?」
平也を初田だと誤認している。
男は怒り心頭の様子で、持っていた傘を振る。金属製の先端が街灯の光を反射する。
「お前のせいで、お前のせいで離婚されることになったんだ! 責任を取れ、あいつらを俺の前に連れてこい! よりを戻すように言え! 礼美は、うちの家事をする義務がある!」
初田ではないと言えば嘉神平也であると認めることになる。
しかし、この男の様子からして初田だと認めたら刺されかねない。
どちらを選んでも碌なことにならない。
平也は飛び退き、考える。
男の様子を見れば、離婚された原因は一目瞭然。モラハラパワハラ、家族にこの言動を取って見捨てられた。
おそらくこの男の家族が初田の患者で、原因は父親にあるから離婚推奨、とでも言ったんだ。
騒ぎが大きくなれば、近くにある交番から警察が来てしまう。
振り抜かれた傘が、平也の帽子とサングラスを掠めて飛ばす。
あたりのざわめきが大きくなる。
「くそ、めんどくせえ」
サングラスを拾う間も惜しく、平也は走った。
男が平也を追ってくる。
空から落ちてきた雫が服を濡らす。ひとつ、ふたつ。
雨足が強まる中、平也はあてどなく逃げた。
明日は
61話 平也が捨てたもの、初斗が大切にしてきたもの
また19:00頃更新です。





