55 苦手はあるけど、特技もある
翌日は気持ちがいいくらいの晴天だった。
雲一つない空に笹の葉と短冊が映える。祭の開催を知らせる砲が三発打ち上げられ、駅前商店街七夕祭が開幕となった。
初田は予定通り仮面舞踏会の格好でクーポン券付き風船を配っていた。浴衣や法被の人が行き交う中、一人だけスペインの民族衣装はとても目立つ。
しかも百八十センチメートルの高身長に派手な帽子をかぶっているため、頭一つ分飛び出ているからどこにいても見える。
祭が始まってしばらくすると、かき氷で舌を真っ赤にしたコウキが初田のところに来た。
「初田先生、俺も風船もらっていい?」
「どうぞ、コウキくん」
「ありがと、一度でいいから風船をもらってみたかったんだ」
コウキはうさぎみみの形をした風船を振ってご機嫌だ。
両腕にたこやき、やきそば、フランクフルトなどをさげて、これでもかというくらいに祭を満喫している。
「お母さんは一緒じゃないのかな」
「母さんは今日、パートがあるから。だからこの食べ物も、帰ってから母さんと一緒に食べる」
「そうでしたか。順調そうでなによりです」
コウキがある程度社会に適合してきたため、礼美は六月に入ってから短時間のパートを始めた。
離婚の際に養育費をもらったとはいえ、お金は無限ではない。コウキも炊事洗濯を覚えて、礼美の助けになろうと頑張っている。
昨年通院を始めたときと比較すると、珠妃母子は見違えるほど良い方向に変化していた。
「それじゃ先生がんばってね」
風船を持つ腕を上下させながら、アリスが店番をしている露店に走って行った。
コウキが離れてすぐ、女子高生数名のグループが寄ってきた。
近所の高校の夏服を着ていて、めいめい手にタピオカドリンクやかき氷を持っている。
「わ-! マスカレードの格好なんて初めて見た! おじさん、一緒に写真撮っていい?」
「だめです」
「一枚だけ。ね? お金かかるわけじゃないしさー。SNSにのっけたい」
「いやです」
「一枚くらいいいじゃん。はーい撮るよー」
嫌だと言っているのに、少女たちは初田の隣にかわるがわる並んで撮影し始める。うるさいし香水臭いし、苦手な部類の人間なので離れて欲しい。
平也だったら「寄るなガキが、しばくぞ」とでも言うだろうか。
いや、そもそも平也なら風船配り自体を引き受けない。
どうやって少女たちにお引き取り願うか考えていると、ネルが割って入った。
「写真撮っちゃ駄目」
「ネルさん」
ふくれっつらで初田の腕にしがみつくネル。初田はネルにされるがまま。
少女たちは何を察したのか、「彼女いたんだー」「ごめんね彼女さん」と言いながら離れた。
「助かりました」
「にいさん。嫌ならもっとハッキリやめてって言えばいいのに」
「嫌だとも駄目だとも言ったんですけどね……。ああいう子たちはどうにも苦手です」
虎門に言ったとおり、初田は患者以外の不特定多数を相手にするというのは本当に駄目なのだ。
やめろと伝えるにも、無自覚な失言をするタイプゆえ、相手の心にうっかり大ダメージを負わせかねない。
青い顔をする初田の頬に、ネルが冷えたスポーツドリンクのペットボトルを押しつける。
素直に水分補給して、疲れていた脳が少しだけ回復した。
休憩がてら、ネルに付き合って露店巡りをする。
今年は珍しく、ペットショップの蜻一じいさんが金魚すくいをやっていた。
ネルが目の色を変えて水槽にはりつく。
「にいさんにいさん、金魚がとれたらクリニックで飼っていい?」
「わたしがいるのに小魚を飼うなんてチャレンジャーですね、ネルさん。わたし七歳の時、メダカの水槽にザリガニを入れたことがあるんですよ」
初田は小学生の頃、祖父母宅近くの小川で小魚を捕った。
ついでに田んぼの溝でザリガニを捕まえ、同じ水槽で飼った。
翌朝には小魚がいなくなっていた。「ザリガニは魚を食うから同じ水槽に入れるな」と、祖父にげんこつされて、初めて駄目なことだと知った。
「金魚になにかしたら、初斗にいさんのご飯がメザシ一本だけになります」
「しません」
蜻一じいさんが水タバコを吸いながら、ネルに呼びかける。
「ネルちゃんやってみるかね。一回百円だよ」
「やる!」
町内の小さい子どもたちに混じって挑戦したネルだったが、五回チャレンジして釣果ゼロ。持っていたポイは真ん中が大きく破け、使い物にならなくなった。
隣の家の五歳児に「ネルちゃんへたっぴー」と言われて泣いている。
見るに見かねたのか、通りすがりの虎門が声をかけてきた。
「あの、根津美さん。どうしても自分でとりたいのでなければ、俺が取りましょうか」
「あわわわ、虎門さん! と、取れるんですか? こんなに難しいのに!」
「昔ナナにせがまれてよくやったから」
虎門は蜻一じいさんに百円渡し、器とポイを受け取った。水中を元気に動き回る金魚を目で追う。
「どれがいいです?」
「オレンジの子と三色斑の子と、黒い子、あと白い子がいい」
注文が多いが、虎門はあっという間にネルが指定した金魚を四匹ともすくい上げた。
ギャラリーのちびっ子たちからも拍手がわきおこる。小さなビニールに水と金魚をいれてもらったものを、虎門はそのままネルに渡す。
「根津美さん。これでよかったですか」
「は、はい! ありがとうございます虎門さん! なんとお礼を言ったらいいのか」
「い、いや、レストランで助けてもらったお礼、何もできていなかったから。これでお礼になるかわかりませんが」
「じゅうぶんです! むしろ私がお礼をしないと。何かほしいものがあったら言ってください」
ヒーローを見るかのように目を輝かせて、何度も虎門にお礼を言うネル。
ネルに気があるのか、虎門は耳まで紅潮している。
ネルが喜んでいるのだからそれでいいはずなのに、初田はなんだか無性に腹が立った。ネルの人当たりがいいのと、患者と仲がいいのはいつものことなのに。
「にいさん、金魚。取ってもらったよ。あとで水槽やご飯買おう」
喜々として初田に金魚を見せにくるネル。
虎門は子どもたちに「取り方教えてー」と囲まれて困ったように笑っている。
妹がいることもあって、年下の子の面倒を見ることが苦でないように見える。
虎門は法被を着た三歳くらいの男の子ひっつかれながら、初田を見て目を瞬かせた。
「あ、あなたは。この間、横須賀線に乗ってましたよね。根津美さんのお兄さんだったんですか?」
ナナにレンさんと呼ばれたときと同じような錯覚に陥り、初田の背中に嫌な汗が流れた。
初田は虎門に顔を見せたことがないし、ナナの時と違って口を開いていない。
声を聴いていない状態で初田を誰かと間違えるのなら、その相手は平也以外にありえなかった。
「人違いですよ、虎門さん。わたしは初田。あなたが見たのは別の人間です」
ようやく、一言だけ喉からでてきた。
「え、は、初田先生!? でも、全く別人で声も同じなんてそんなこと……」
「生き別れの兄弟がいるんです」
ナナが年末以来、歌舞伎町では見なくなったと言っていた。潜伏先を横須賀線沿いのどこかに変更したと考えるのが妥当か。虎門はおそらくただ同じ路線に乗っていただけ。
「ちなみに、その人とは何駅で会ったんです?」
「ええと、クリニックからの帰りにそこの駅から東京方面行きに乗って、……ううん、何駅で見かけたかまでは覚えていないです。二、三駅くらい電車が停車したあとだった気がするんだけど、すみません」
「いえ、こちらこそすみません。たまたますれ違った人とどこで会ったかなんて、覚えていろというほうが無理というものです」
歌舞伎町、それと虎門が言った周辺を調べれば、潜伏しているポイントを特定できるかもしれない。
一カ所だけではなく、複数の拠点を行き来している可能性もある。
「とらかど、ぼくも金魚取りたい」
「わかった、引っ張るなよ」
虎門が小さい子にせがまれて、いつの間にか金魚すくいの講習会になっている。
ナナが言うように、虎門にはいいところがあるし、才能を活かせる仕事に出会えればきっと長く働いていくことができる。
次は
56話命を預かっているからこそ、自分を大切に。
明日も19:00頃更新です。





