53 三月ウサギを追いかける帽子屋と、ごきげんナナメな眠りネズミ
初田はスマホを持つナナの手首を掴んだ。
「やっと見つけた! ナナさん、このひとの連絡先を教えてください。わたしの兄なんです」
「へ、え、あ、兄? レンさんが、先生の? あなたが本人でなく?」
困惑するナナの様子を見て、初田は我に返った。慌ててナナの手を離す。ウサギマスクの男に詰め寄られたら驚くのも無理は無い。
「すみません、女性の腕を掴むなんて失礼なことを……」
「いえ、驚いちゃっただけなので。でも先生、レンさんと兄弟なのに、連絡先を知らないんです?」
「生き別れの双子なんです」
そいつは殺人犯の嘉神平也だ、と言ってしまうと自分の立場も危うくなる。
初田は本当のことをいくつか隠しつつ、情報を引き出そうと試みる。
前回のようにただ目撃情報を警察に伝えるだけでは、簡単に逃げられてしまう。
(わたしが平也になりすまして、逃亡の手助けをした人たちに接触すれば……、潜伏先にたどり着けるんじゃないか? 居場所を突き止めてから、警察に情報を渡す)
危険な賭けだが、やってみる価値はある。家族以外に二人を見分けられた人はいない。
性格がかなり違うが、黙っていれば分からない。見た目だけは本当に鏡映しのようだから。
「そう、なんだ。でもごめんなさい。連絡先は知らないんだ。この写真も、うちが勝手に憧れてて、隠し撮りしただけだから」
「なら、直接店に行って店長や他の客にあたってみます。歌舞伎町の、どのあたりですか。なんという店ですか」
「【名無しの森】ってバー。すぐそばにアパレルショップがあるの。そこでちょくちょく見かけてた」
初田は急ぎ手帳にメモを取る。クリニックから電車で一時間半かからないくらいの距離だ。
予想以上に近くに拠点があったようで、ペンを持つ手に力がこもる。
「でも、会えるか分からないよ。今年の正月前には、来なくなったから。店長に聞いてもわからなかった。レンさん、自分のことなんにも話さない人なんだもの。うちも父さんの葬式後はこっちに帰るために仕事やめたから、バーに行ってないんだ」
「兄は干渉されるのが何より嫌いですから。その写真、もらっていいですか? クリニックのホームページにメールアドレスがあるので、そこに送ってください」
「べつにいいけど」
疑る様子もなく、ナナは写真をメール添付して送ってくれた。
「そうだ。わたしが突然行っても怪しまれるだけだから、ちょっと付き合ってもらっていいですか? 顔見知りのナナさんがいれば話がスムーズに行きそうです」
小さくノックの音がして、ネルがアイスティーを持ってきた。
「明日は仕事があるので、そうですね、月曜の夜なんてどうでしょうか。ナナさんの都合がよければ」
「うん、空いてる」
「店長に事前連絡はしないでください。予約はわたしが自分でするので。わたしのわがままに付き合ってもらうのだから、一杯くらい奢りますよ」
「じゃあ、ありがたく奢られようかな。うち、クローバー・クラブが好き」
会話を聞いて、ネルは一瞬動きを止めた。
テーブルに乗せようとしていたアイスティーがかしぎ、初田がキャッチして事なきを得る。
「どうしました、根津美さん。眠くなったなら休んでいいですよ」
「だいじょぶ」
お盆が空になると、ネルがお盆の平面でウサギ頭を叩いた。
力が無いから痛くはないけれど、これまでネルがこんな行動に出たことが無いので初田は瞬きする。
ナナもネルの謎の行動に固まっている。
「ど、どうしたんです?」
初田が聞くと、ネルは頬を膨らませて声を荒らげた。
「初斗にいさん、約束破るつもり?」
「は?」
「お酒飲んじゃ駄目って言ったでしょ」
今の会話だけ聞くと、あたかもバーで一緒に飲む約束をしているように取れることに気づく。
ネルにだけは勘違いされたくなくて、初田は必死に弁明する。
「飲みませんよ。そこの店主に用があるので話を聞くだけです。ナナさんがお知り合いだというので、口利きしてもらうんです」
「ほんとうに?」
「嘘はついていません」
正直に説明したのに、ネルの目はまだ疑っているように見える。
仕事が終わってから詳しく話さないとへそを曲げてしまいそうだ。
冷房が効いているのに冷や汗がとまらなかった。
ネルが退室してから、ナナが気まずそうに視線をそらす。
「な、なんか彼女さんに勘違いさせちゃったみたいで、ごめんなさい。うちも帰るときちゃんと説明するから……」
「彼女じゃありませんよ?」
「じゃあ、新婚さん?」
「いえ、彼女でも奥さんでもないです。はとこです」
ナナは理解できないという顔をした。
「え、でも。今の先生と根津美さんのやりとりって、誰がどう見ても、彼氏の浮気現場に遭遇した彼女と、弁明する彼氏って感じだったんですけど」
今度は初田の方が困惑した。
ネルを引き取ってから、総合病院の同僚たちにも何度も言われたことだ。
嫁にするつもりなのか、とか恋人にでもする気か、と。
そんなつもり一切無かったのに、揶揄されて腹が立ったし、面倒くさかったのを今でも覚えている。
けれどいま、ナナに「ネルと恋人なのか」と誤解されても、嫌だとは思わなかった。
自分の心境の変化に戸惑う。
「……わたしたち、そういう風に見えるんですか」
「無自覚なんだ。二人ともそうなら、先が長そうだね」
楽しげに笑うナナに、初田も笑う。
「私情で本題からそれてしまってすみませんでした。虎門さんの話なのですが……」
精神障害手帳を申請する場合必要になる手続きや、就職活動の際に利用できる公的制度について、虎門にしたのと同じものをナナにも説明する。
住んでいる市町村によって多少差はあるが、どこの地域にも必ず、支援機関が存在する。
資格が欲しいなら、職業安定所関連の職業訓練校とよばれる短期学校に通う手もある。
「制度を使わずに就職している人もいますので、使う使わないは虎門さん次第です。手続きで手こずる場面もあるでしょうから、ナナさんが嫌でないなら、お兄さんのサポートをしてください」
「うちも兄貴がちゃんと働けるようにできる限りのことしたいと思ってるから。兄貴、緊張しいで人付き合いが苦手なだけで、頭はいいんだよ。
パソコンいじるのみたいな、うちが苦手なことは兄貴がやってくれるし。だから合う仕事、どこかにあると思うんだよね」
ナナはほんとうに、なんの苦でもないように言う。
根っから兄を慕っているのが分かるし、だからこそ虎門もナナを信用していて、一緒にここにきた。兄弟助け合って生きているのがよく伝わってくる。
「わたしも最大限サポートしますので、いつでも頼ってください」
「うん。兄貴をよろしく、先生」
虎門兄妹が帰った後、バーに行く件についてネルに詰めよられることとなった。
明日は
54話 いつか来る未来を刻む
次も19:00頃更新です。
ネルさんのいかり
( ´・ω・)パーンッ☆
(, ,_u_つ―ー
∑ (╯•ω•╰)





