52 自分を知るということ
七夕祭を明日に控え、商店街はいつも以上に賑わっていた。
虎門は妹のナナと一緒に来た。
まず虎門の問診をして、そのあとナナと話をするという形になる。
「二週間経ちましたがどうでしたか。副作用があったなら量を調節するので遠慮無く言ってください」
「ええと……」
前回、六月いっぱいでバイトの契約が終わると言っていたから、今は仕事をしていない状態のはず。虎門は視線をさまよわせながら言葉を探す。
思考を整理するのに時間がかかるタイプなのだと察して、初田は言葉を待つ。
軽いノックのあと、ネルが入ってくる。
今日は特に暑いからアイスティーだ。シロップとミルクの小瓶も添えてある。
ネルはグラスをテーブルにのせてふわりと笑う。
「虎門さん、外は暑かったでしょう。おかわりもあるので、
気兼ねなく飲んでくださいね」
「あ、い、いただきます。根津美さん」
頬を赤らめながら、虎門はアイスティーにシロップを入れて口をつける。
初田もお礼を言ってアイスティーを飲む。
ネルが退室してから、虎門は扉の方を見ながらぽつりとつぶやく。
「根津美さん、かわいいなあ。彼氏いるのかな……。先生は知っていますか?」
「プライベートには干渉しないので知りません」
通院や買い物に行くときはそう言うし、友だちと遊びに行くときもそう言ってから家を出る。
普段食事の時にネルの話題に出るのは、だいたいアリスや花森といった友だちの話。あとは散歩中の犬や野良ネコの目撃情報。
ネルが初田に隠しているのでは無いかぎり、恋人はいないのではないかと推測する。
もうすぐ二十四歳になるから、想う人の一人くらいいても不思議では無い。
この話題を長く続けるのが嫌で、強制的に話を戻す。
「それで、どうでしたか」
「あ、えと、仕事中やっぱりパニックになって、失敗して、怒鳴られちゃいました。おれ、駄目だな……。薬はそんなすぐには効かないって、話したんですけど、わかってくれなくて。次の就職活動、やっぱ先生の言うように障碍者枠を使うしかないんですね」
「そうですね。ただ、精神障害者手帳の申請は初診から六ヶ月経たないと通らないので、虎門さんが手帳を申請できるのは十二月に入ってからです。それまでは診断書を提示するのがいいでしょう。必要なら書くので言ってください」
初診時には「できたら障碍を職場に隠しておきたい」と言っていたが、雇用主や職場の理解を得ておかないと大変なのだと、身をもって実感したらしい。
診断書も欲しいと言われたので応じる。
「次の就職活動をするにあたって、自分の得意不得意を見える化しておくと、特性に合った仕事を探しやすいですよ」
「見える化」
初田はノートを出し、真ん中に縦線を引く。左に得意、右に苦手と項目欄をつくり、虎門に見せる。
「例えばわたしの場合、こうして対面で話すのは得意。不特定多数と話すのは苦手です。持久力がないです。在庫整理は得意です。同じ作業を延々とするのが得意です。毎回違うことをするのが苦手です。……というふうに書き出してみると、スーパーのレジのような仕事とは絶望的に相性が悪い、と分かります」
「先生でも、できない仕事ってあるんですね」
「そりゃそうですよ。言ったでしょう、アスペルガーも得意不得意が大きいだけだって。虎門さんもこうして書き出すと、自分に向いているものが見えてきますよ」
初田の場合、たまたま自分の希望する仕事が自分の特性に合っていただけ。
虎門も、これまで巡り会わなかっただけで自分にぴったりの仕事があるはずなのだ。
虎門の問診の後、ナナと話をする。
最初はウサギマスクに驚いたものの、入ってきて患者用のソファに腰を落ち着けた。
すでに兄の障碍について受け入れているようで、取り乱す様子はない。
「兄貴、アスペルガーなんだって? 調べたら、治るもんじゃないから特性と付き合っていくしかないって書いてあった」
「そうです。妹さんから見てお兄さんはどうでしょう。生活は一人でできているんでしょうか。障害等級にも関わってくるので教えていただけますか」
初田が聞くと、ナナはなにかに驚いたように目を見開いた。はっと我に返り、話をする。
「兄貴は掃除がすごく苦手。いつも部屋がちらかってる。小学校の時も大事なプリントを無くすことがしょっちゅうだった。料理はできないほうかな。ほっとくとカップ麺ばっか食べるから、うちがたまにかに玉の素とか野菜炒めの素とか持ってくんだ。卵を入れて炒めるだけなら兄貴でもできるから」
「ありがとうございます。とても参考になりました」
初田はナナの証言をカルテに書き留める。
一人暮らしの兄の部屋の様子や食生活を理解している、こまめに会うくらいには兄妹仲はいいようだ。それに、これほど協力的な家族がいるなら、虎門も前向きに通院できる。
再び、ナナが首をかしげた。
「レンさん、いつから右利きになったの」
「レンさん、というのは?」
知らない名前で呼ばれ、初田は困惑する。さっきから探るような視線を向けられているような気がしていたが、気のせいではなかった。
「その体格に、その声。レンさんだよね。本業ってここのお医者さんだったの? なんでウサギマスクなんてかぶってるのさ。去年うちが歌舞伎町でバイトしてたときに隣の店にいたよね」
「……どなたかとお間違いではないですか。わたしは三年以上ここを離れていないです」
「ええぇ、知らないふりを続けるつもり?」
体格だけなら同じくらいの人間はいくらでもいる。
けれど、声まで同じとなるとそういない。
初田と同じ姿を持つ人間なんて、一人しか思い当たらない。
「そのレンさんって人の写真はありますか」
「写真見たら思い出すかな。去年の今頃だよ」
ナナがスマホを操作して、一枚の写真を表示させた。
どこかの路地裏で室外機に腰かけ、缶コーヒーを飲んでいる男。
サングラスと帽子で顔の半分しか見えないが、それは間違いなく平也だった。
明日は
53話 三月ウサギを追いかける帽子屋と、ごきげんナナメな眠りネズミ
19:00頃更新です。





