51 三ヶ月目も同じ失敗
翌日出勤し、虎門は店長に睨まれてすくみ上がった。
「病院に行くって行っていたよな虎門。昨日はどうだったんだ」
虎門と五歳しか年齢が違わないが、どうにも偉そうな男だ。自分より年上だったり、勤務歴が長い社員相手には丁寧語を使う。
しかし、年下や女性には上から目線であたりが強い。
来週で試用終了になることが決定しているのに、なぜプライベートに踏み込んでくるのか虎門には理解できない。
口答えするなと言われるのは目に見えていたから、虎門は当たり障りのない範囲でだけ答える。
「安定剤を処方されて、昨夜飲みました」
「それ飲めばもうクソなミスしなくなるわけ?」
「……わかりません。合うかどうかは飲んでみて少しずつ量や種類を調整すると主治医が言っていたので」
「治らないならなんのために病院に行ったんだよ」
唾を飛ばす勢いで、店長が虎門をなじる。
初田は体質によって人それぞれ合う薬が違うと言っていた。効果が実感できるようになるまで早くても二週間。
虎門は気分が落ち込み悲観的になりやすい。今回の薬は気分が落ち着くようにサポートしてくれる効能がある。日中眠くなる、体重が増えるなどの副作用と思われる症状が出たら記録しておくように初田から指示された。
(風邪だって一日二日じゃ治らないってのに)
初田から言われたことを話したところで理解してもらえる気がしなくて、虎門は説明することを諦めた。そもそも、虎門自身いつ普通になれるのかわからないんだ。
聞かれたところで正確に何日に薬が効きますとは言えない。
「虎門、1番テーブルの料理できたぞ」
「はい!」
「4番テーブル空いたぞ。早く下げてお客様を案内しろ! 入り口の待機列が長くなってんぞ」
「は、はい!」
客が入れ替わり立ち替わり、常に店内の状況がめまぐるしく動く。
(4番テーブル片付けなきゃ、いや、お客様の案内、ええと、配膳を先に?)
臨機応変というのが最も苦手とするところではないかと指摘されたがその通り。今もまた頭が回らなくなっている。
「おにーさん、オレンジジュースちょうだい」
目の前のテーブル席の男の子が呼び出しベルを連打して虎門に言う。
「すみません、伝票取ってくるのでおまちください」
レジにある伝票を取ろうとしたところで店長の怒号が飛ぶ。
「1番テーブルの配膳!」
「は、はい!」
急いでキッチンに行き、1番テーブルの伝票が置かれたトレーを取る。
「おまたせしました」
1番テーブルの配膳を済ませたら、次になにをするべきだったか考える。
「オレンジジュースまだ?」
男の子に聞かれて、伝票を書いていないことを思い出す。
「すぐにお持ちします」
レジに走り伝票を書き、キッチンに届ける。席が空くのを待つ客の列はさらに伸びている。
待機用の椅子で待つ人たちの顔は苛立ちで険しくなっていた。
「虎門! いつになったら片付けるんだ!」
「はい!」
4番テーブルを片付けるため走り、もう一人のホール担当のバイトとぶつかった。
入ってまだ一ヶ月の女子高校生、小森だ。小森はふらついてオレンジジュースをこぼした。
グラスが砕ける音がして、席にいたサラリーマンが飛び退く。
「なにしてくれてんだ! スーツに飛んだだろ! クリーニング代弁償しろ!」
小森が急いでふきんと取ってきて、サラリーマンの裾を拭う。虎門はとにかくグラスの破片を拾おうとして店長が怒鳴った。
「素手で拾うな! 掃除用具入れからゴム手袋を取ってこい」
「すみません、ええと、はい!」
グラスの破片を片付け、スーツのクリーニング代は虎門が持つことでなんとか許してもらえた。
シフトが終わる時間になり、他のバイトが帰った後、虎門は事務室に残される。
ただでさえ店長のことが苦手なのに、二人だけで話すなんて地獄だ。
どうせまた今日の失敗に対する説教だ。
「虎門。薬飲んだら落ち着くんじゃないのか?」
「一日じゃすぐに効果はでないって、朝も説明しました」
「そういうことじゃないだろ。何回同じ失敗するんだお前。三ヶ月目になってもまだ初日と同じ失敗を繰り返しているのが問題なんだよ。ほんと、そんな物覚えも要領も悪くてよく高校卒業できたな」
失敗したことは悪いけれど、これまでの人生否定されるのはどうなのか。
そんな権利が店長にあるのか。虎門は言いたいことを飲み込んでぐっとこらえる。
「俺がなんで怒っているか分かっていないよな、その顔」
「わ、分かって、ます」
「言ってみろ」
「失敗したから」
「違う。それもあるけど、そうじゃない! 分かってないなら分かってるなんて言うな!」
言ってみろって言ったから答えたのに。これはパワハラというものじゃないか。
怒号と共にふきんが飛んできた。
お茶を吸ったふきんは虎門の肩に当たって床に落ちる。
「失敗しただけじゃここまで怒らねえ! 失敗したのに反省する様子も、反省を生かす様子もないから怒ってんだよ! お前自分が悪かったと思ってないだろ」
「……思ってます」
「思ってるなら同じこと言わすな。ったく。そんなんじゃお前どこ行っても通用しねえよ。一年以上の職歴が無い時点で、雇うのやめときゃよかった」
(早く終われこの時間)
説教は一時間近くにわたり、仕事の時間よりこの時間のほうがよほど精神をすり減らした。
帰りの電車に揺られながら、ぐるぐると頭の中で店長の説教がまわる。
どこに行っても通用しない、一年以上の職歴が無い時点で雇うのをやめときゃよかった。
怒声がいくつも刺さって痛みが消えない。
(健常者なら、今日の仕事もうまく立ち回れるのか。やっぱりおれ、駄目なんだな)
障害を隠したまま働くことはできないか、と初田にすがったが、それは無理だと今日一日で身にしみた。
何も説明しなければ、物覚えが悪い失敗ばかりの無能だ。
次の職場でも仕事を覚えられず怒鳴られるだけなら、初田の言うように障碍者枠に賭けた方がいいのかもしれない。
ナナも、障碍者と呼ばれることになっても気にしないと言ってくれた。
(でも、こんなおれに合う仕事なんて、あるのか……? 障碍者枠でも無能だって言われたら、生きていける気がしない。おれだって、おれなりにがんばってるのに。結果がついてこなきゃ、どうしたって言い訳ばかりの無能なんだ)
悔しくて、どうしようもなくて、アパートに帰ってすぐ、部屋の電気もつけずにベッドに突っ伏す。どうせ隣の部屋は空き部屋だ。
虎門は枕に顔を埋めて泣いた。





