49 短冊に四倍の願いを込めて
一日の業務が終了した後、初田とネルはワンダーウォーカーを訪ねた。
夏間近で、十九時過ぎでもまだ空が明るい。
CLOSEの札がさがる扉を開けると、レジの閉め作業をしている歩が顔を上げた。
「わざわざ来てもらって悪いわね初斗、ネルちゃん」
「別にかまわないよ。徒歩一分だし」
「おじゃまします、歩さん」
初田は答えながらウサギマスクを脱ぐ。
かぶるのに慣れているとはいえ、やはり暑い。汗が額を伝ってしたたる。
「もうすぐ終わるから、ダイニングに入っていて。アリスちゃんはもう先に準備しているわ」
「わかった」
居住部も店と同じく歩の趣味が全面に出ていて、北欧のアンティーク家具で統一されている。
「いらっしゃい二人とも。初田先生がウサギマスクをしていないなんて珍しい」
「顔を知っている人間しかいないからね」
初田とネルは椅子を引いて座り、アリスがローズヒップティーを出してくれる。
強化ガラス製のカップだからローズヒップの赤が映える。初田は甘酸っぱい香りを堪能してから口をつける。
たわいもない話に花を咲かせている間に、歩が仕事を終わらせて戻ってきた。
「お待たせ。それじゃ会議を始めましょうか」
B3サイズのホワイトボードを取り出して、マーカーでキュッと議題を書き上げる。
【商店街七夕祭 仕事分担】
毎年七夕に一番近い日曜日に、この商店街で七夕祭が開催される。
駅前商店街商工会に所属する店舗が露店を出店することができる。
初田は病院ゆえ、出店と言われても出すものがない。だからいつもネルと二人で、歩の手伝いをしていた。
「今年はアリスちゃんがいるからね。店舗と露店の同時営業をしようと思うの」
「じゃあわたしは露店設営と、手伝いが必要なときに呼ばれた方に行けばいいかな」
「それでお願い」
歩の露店は出張版ワンダーウォーカーだ。
祭に来るお客さんが露店で買い回りをすることを考慮して、手のひらに収まるサイズまでの小物やアクセサリーを販売する。
露店営業時間は十時から十九時まで。
以降は広場で来場客に花火を配り、二十時まで花火大会というのが恒例の流れだ。
「露店のレジはタブレット端末にするわ。アリスちゃんとネルちゃんでシフト交代をお願いしたいの。タブレットの使い方は会議の後説明するから」
「任せてください歩さん。ネルは日中昼寝しないとなんだから、前半はあたしが店番する。ネルは十五時から交代で店じまいまででいい?」
「ありがとうアリスさん。そうしてもらえると助かるよー」
アリスはネルがナルコレプシーであることを知っているので、ネルに負担のないシフトを提案してくれた。
商品にはそれぞれに値札がついているから、値段を覚えなくても大丈夫だということや、アクセサリーを包むときの取り扱いの説明がされる。
「ところで初田先生。まさか祭のときもウサギをかぶったままなの? 顔出しNGなんだよね」
「そんなことをしたら、暑さで蒸しウサギになっちゃいますねぇ」
初田は他人事のように笑う。
普段はエアコンが効いた部屋にいるから平気なだけで、かぶり物をしたまま一日中炎天下にいたら熱中症まっしぐらだ。
「初斗にはマスカレードの仮面をかぶってもらうから大丈夫よ。店の服と合わせていれば宣伝にもなるから、販売の手伝いがないときはその格好でビラ付き風船を配ってね」
「任されました」
初田は歩から渡された目元を覆う仮面をつけ、ウサギマスクに乗せていたシルクハットをかぶってみせる。
薔薇飾りがついた仮面舞踏会の小道具だ。当日はこれにドレスシャツと舞踏会ズボンを組み合わせる。
「わー、さすが先生。怪しい格好がよく似合うね」
「褒められました」
「あんた本当にポジティブよね」
初田にとって、大抵の言葉は褒め言葉だ。
歩はひとしきり笑って、次の話題に移る。
店の作業テーブルから持ってきたペン立てと、縦長のカラフルな短冊の束を机に出す。
「ここと露店の店先に七夕飾りを出したいから、三人ともなにか願い事を書いてくれる? サクラで何枚かぶら下げておくとお客様も自分の願い事を書きやすいから」
「歩さん。何枚書いてもいい? 私、書きたいことたくさんある」
「いいわよ。アリスちゃんも、なんでも書きなさい。若いうちは野心をたくさん抱えていた方が楽しいんだから」
この手のことが大好きなネルは青と緑とピンクのアルコールペンを抜いて、さっそく願い事を書き始める。願い事の下にネコやネズミの絵を描く。
ネルに触発されて、アリスも短冊を一枚とって考え、ボールペンで願い事を書く。
「初斗もなにか書きなさいよ」
「わたしは不確かなものにすがる気はないよ。願いなんて他人に丸投げしないで、自分でつかみ取るものだろう」
「うーん。あんたって本当に、頭がいいのか悪いのか分からないわよね。書くだけならタダなんだからいいじゃない」
この思考回路せいで、初田は幼い頃から感情が欠落しているだの人の心がないだのと言われる。
本人は思ったことを口にしているだけなのだが、初田の正直な気持ちは他者に言わせると非情。
新患の虎門のほうがずっと一般常識や普通の感覚を持っている。
障碍者扱いになることを受け入れたくない、と抵抗していた。薬を飲んで症状が抑えられるなら、それで健常者として生きられないのか、と。
性格や思想を変える薬なんてこの世に存在しないときっぱり告げてしまったが、そんな薬が存在したら、初田は真っ先に自分で試すだろう。
そのつもりはなくても、場の空気を凍らせる発言ばかりしてしまう。普通の人なら空気を読んで、場に合った発言をできる。
「嘉神兄弟の平常は普通の人間にとっての異常」
と幼い頃から陰口を叩かれていた。
平也にしろ初田にしろ、方向性が違うだけでどこか異常なのだ。
「……歩がそこまで言うなら、一枚だけ」
(兄さんが逮捕されますように? いや、わたしが欲しいのは、そこから先)
外でお茶会をしたい
マーカーで手早く書いて歩に渡す。
平也が起こした事件のせいで、もう十年近く顔を隠した生活をしている。総合病院にいたときだって、常に不織布マスクで口元を覆っていたし、外出時に素顔をさらせたためしがない。
平也さえ逮捕されてくれれば、普通の生活ができる。
「そうね。じゃあアタシも同じものを書こうかしら」
「歩は歩の書きたいことを書けばいいじゃないか」
「二人が同じことを書いたら、星が叶えてくれる力が倍になりそうじゃない」
歩はそう言いながら、銀の短冊に
“みんなで公園に行ってお茶会をする”
と書く。
「私も書く。私がおにぎりを用意するね」
「じゃあ、あたしはお菓子を買って持って行かないと」
初田と歩のやりとりを聞いて、ネルとアリスも新しい短冊にお茶会をする、と書く。
「四枚あれば倍率四倍よ、初斗。宝くじだってそうでしょ。たくさん買った方が当選確率は上がるんだから」
歩が「ね?」と言うと、ネルもアリスも揃ってうなずく。
「……そういう考えもいいかもしれないね」
初田は自分がサイコパスだと理解している。
人の気持ちを本当の意味で理解することはできない。
けれど、きっとみんな同じ気持ちでいるのだと思った。





