閑話4 不思議な出会いの連鎖
蛇場見歩は自分の名前が嫌いだった。
初見じゃ読めないと言われるし、字面も悪いし、響きも嫌い。
高校に入学して最初のホームルームでも、自己紹介するのがすごく嫌だった。
「第三中から来ました、蛇場見歩です」
短く挨拶だけして座る。悪意ではないのだろうけれど、
「じゃばみってどう書くんだ?」
「ウケる。変な名字〜」
と他校から入学した生徒たちがささやき合うのが聞こえてくる。
歩だって好きで蛇場見家に生まれたわけではないのに、なぜからかわれなければならないのか。
最悪な気分で他の人の挨拶を聞き流していると、歩の隣にいた男子生徒がいくら先生に呼ばれても答えなかった。
「初田、おい、初田、お前の番だぞ。自己紹介をしろ」
先生に五回呼ばれてもぼんやりしている。歩は「あんたのことじゃないの?」と初田をつつき、初田はやっと立ち上がった。
「すみません。新しい名字になったばかりなので、自分のことだと気づきませんでした。悪気はないので許してください。ええと、嘉神……でなく、初田初斗です。自己紹介ってなにを言えばいいんだい?」
眠たげな様子で歩に聞いてくる。
「……出身中学と好き嫌いでも話しとけばいいんじゃない」
「出身は東京のS中学、嫌いなものは鏡と兄です。これでいいですか先生?」
「え、あ、ああ、そうだな。もう座っていいぞ」
担任が苦笑いしながら、次の生徒を指す。初田は腰を下ろして歩にお礼を言った。
「たすかったよ、ええと、君はなにさんだったかな」
「歩。あるくと書いて、歩」
「将棋だと金になれるね。歩はいつ金になる?」
「なんでいきなり将棋の話」
「隣に住んでいるおじいちゃんの対局相手をしているんだ。歩もやるかい」
初田初斗がとてつもなく変なやつだったおかげで、歩の名字が特徴的だなんてことはすぐに流された。これがきっかけで初田とよく話すようになった。
それから二十年以上経ち、高校を中退した後でも、初田との付き合いだけは続いている。
初田が紹介してくれたアリスが働くようになって、店内は前より活気づいている。
常連客になった少年、コウキが買い物に来た。
「アリス。昨日言っていたお茶まだある?」
「カーネーション茶のこと? うん、あるよ。お取り置きしといたから」
コウキは昨日来たとき、ガラスのティーポットと茶葉のセットを食い入るように見ていた。
カウンター裏にしまっておいたものを、アリスがとってきた。
「もうすぐ母の日でしょ。だから母さんに贈ろうと思って。初田先生がね、お母さんに花を贈るのが一般的だから、お店で買うと良いよって言ってた」
「あらま。初斗がそんなことを言うなんて成長したわねぇ……。高校の時なんて「贈り物ならこれでいいのかな」って花壇のラベンダーをむしって正座させられていたのに」
ラベンダーの花は潰すと香りを発する。もちろん花をむしっていた初田本人はやたらラベンダー臭くなっていたので、歩は初田を叱り、すぐさま教員室に突き出した。
その初田が贈り物の花は店で買いましょうと言えるようになったのだ。
歩は、我が子の成長を見守る親のような心境だ。
「そっかー。初田先生も変な人だもんね。初田先生ならやりかねない」
「うん、初斗が患者からどう思われているかよくわかるわ」
コウキの率直な感想に、歩は笑うしかなかった。
頼まれたわけではないけれど、アリスはティーセットの箱を丁寧にラッピングして、カウンターに乗せる。
代金を受け取って、手提げ紙袋をコウキに渡した。
「コウキ、母の日の贈り物をするくらいにはお母さんのこと好きなんだね」
「うん。俺の親は母さんしかいないし」
「そう。大事にしなね」
「アリスは母の日に贈り物するの?」
「……しないよ。お母さんと呼べる人がいないから」
純粋な少年の言葉に、アリスは少し寂しそうだ。両親に疎まれ、家から追い出された。
店に来たばかりの頃、アリス本人が話してくれた。今でも親のことを好きになれないとも言った。
「育ててくれた親にそんなこというのは失礼だ」なんて言うことはできない。
親に対する禍根やわだかまりは、アリスにしかわからない。
コウキはぽんと手を叩いて歩を指す。
「なら、店長に贈ればいいんじゃない」
「え。なんでアタシ?」
「店長って、お母さんみたいでしょう。世話焼きで、優しい」
価値観がだいぶ人とずれた子だという認識はあったけれど、お母さんと言われたのはこれが初めてだ。たぶん褒め言葉である。
アリスもツボに入ったのか笑っている。
「あははは、歩さんがお母さんか。本当に面白いよねコウキは」
「俺そんな変なこと言った?」
「いや、いいんじゃないかな」
コウキが帰った後も、アリスは思い出し笑いで肩をふるわせている。
「もー、アリスちゃんてば、そこまで笑うことないじゃない」
「だって、たしかに初田先生と歩さんが話しているときって、親子みたいだから」
「初斗は世話が焼けるんだもの」
「ほら、そういうところ」
ひとしきり笑って、アリスは休憩室から小さな包みを持ってきた。
「お給料が入ったら贈ろうと思っていたんだ。これ、気に入ってもらえたら嬉しいんだけど」
「開けてみてもいい?」
「もちろん」
箱から出てきたのは、モルフォ蝶を模したガラス細工のバレッタだった。
「すごく綺麗」
「アメリカを旅したときにモルフォ蝶を見かけてすごく綺麗だったって言ってたから。こういうの好きかなって思って。たくさん助けてもらったお礼」
まさかアリスが、最初の給料を歩のためにつかってくれるなんて想像していなかった。
歩の店で働こうとした人は何人かいたけれど、ここまで歩のためを考えてくれた人はいなかった。
「ありがとうアリスちゃん。大切に使うわね」
人との出会いや繋がりは不思議だと、歩はいつも思う。
高校で初田と出会っていなかったら、初田が精神科医になっていなかったら、アリスが初田の患者でなかったら、今日という日は来なかった。
歩とアリスがいるこの時間も、いつか誰かの時間に繋がるのかもしれない。
さっそくケースから出して、元つけていたクリップをとり、蝶のバレッタをつける。
「うん、予想通り。すごく似合ってる」
「嬉しいこと言ってくれるわね」
歩はアリスと笑い合い、心から喜びをかみしめた。
閑話4 不思議な出会いの連鎖 終





