43 本当に美しいものは
アリスがワンダーウォーカーで働くようになって十日。
二日目にはレジ打ちができるようになり、歩が教えた商品の仕入れ先や由来などもすぐに覚えた。
話しかけられたくなさそうな客の雰囲気は察して、あちらから声をかけてくるまではそっとしておくし、引っ込み思案で声をかけて来れなさそうな人にはアリスが自ら声をかける。
人の空気を察する力がずば抜けて高い。
自分なんて、と卑屈になってしまうところがあるのは、働いていくうちに自信がついて直ると、歩は踏んでいる。
昼前に客足が途切れ、レジ打ちを終えたアリスに声をかける。
「うんうん。アリスちゃんはこの店一番の掘り出し物ね。いい看板娘ができて嬉しいわ」
「看板娘って……まだ服に着られているみたいな感じなのに」
「そんなことないわよ。蜻一おじいちゃんなんて、孫ができたみたいで嬉しいって喜んでいるじゃない」
商店街に住んでいる老人、蜻一はワンダーウォーカーの常連で、ここでしか扱っていない水たばこのフレーバーを買いに来る。
アリスは蜻一と一回話しただけで好みを覚えて、店に入ってくるのが見えるとすぐ、タバコのケースを用意する。
「あたし、物心つく前におじいちゃんが死んじゃっているんで、あんな風なおじいちゃんがいたら嬉しいです。蜻一おじいちゃん、シーシャのことすごく詳しいですね」
「そりゃそうよ。あの人に欲しいって言われて本体とフレーバーを仕入れたんだもの。ガラス細工のじゃないと嫌だって言うから、ドバイにまで探しに行ったのよ?」
「綺麗ですものね。ステンドグラスみたいにキラキラしていて」
苦労した甲斐があって、蜻一おじいちゃんは大喜び。毎日通ってくれるようになった。
ついでに歩自身もシーシャの魅力にはまり、ノンニコチンのなかでも香りが良い物を厳選して店に置いている。
柱時計が十二時を告げる鐘を鳴らす。
「アリスちゃん、休憩入っていいわよ。今日は特製のローズヒップティーをブレンドしてあるから、温めて飲んでね」
「ありがとうございます、歩さん。それじゃあ休憩いただきます」
店の奥が住居を兼ねていて、キッチンもある。店の商品を覚えてもらうという名目で、店に並べてあるハーブティーをアリスに飲んでもらっている。
実際に飲んで味を知っていれば、客に聞かれた際により詳しく説明ができる。
カランとドアベルが鳴り、若い女性が入店した。
女性は入ってくるなり、商品には目もくれずカウンターに来る。
「私、アリスの姉でリナっていいます。ファッション雑誌で見たことありません? Rinaって名前で活動しているんですけど」
リナは指先で長い黒髪をかき上げて口角を上げる。
流行色のメイクと、サロンでやったんだろうデコレーションがされたネイル。
スタイルは自称モデルなだけあってそれなりにいい。
ラメ加工された名刺を差し出してきたが、歩は受け取らなかった。
リナは短く舌打ちして、名刺をカウンターに置いた。
「……アリスは今いないんです? あの子、ちゃんと役に立ってます? 高校受験に失敗して以来、ずっとひきこもりだったからまともに働けるか不安で。根暗で愛想もあまりよくないですし」
アリスの自己肯定感が異様なまでに低い理由を、一瞬で理解した。
歩はこの一分足らずの間で、リナという女が嫌いになった。
「うちの看板娘を悪く言うのやめてくれない? アタシはアリスちゃんをすごく良い子だと思っているし、常連さんも大喜びなんだから」
歩の言葉を聞いて、リナが顔をしかめた。
「やだ、あなた、男性よね。男性がそんな言葉遣いを? しかもネイルまでして、気持ち悪い」
「あら、性別でしか人を図れないなんて了見が狭いわね。アリスちゃんは当たり前のようにアタシを受け入れてくれているのに」
さりげなく貶されて、リナの眉間のしわが増えた。
「私は親切で教えてあげているんです。アリスが中卒の引きこもりだったこと、店長さんが知らなかったら可哀想だもの。腕の傷も、お客さんが見たらどう思うか」
アリスが新しいことに踏み出そうとするたびにリナが邪魔してきたのがわかる。
(こんな馬鹿な真似、許せない。アタシがアリスちゃんを守る)
歩は店の扉を開けて、リナに笑いかける。
「店長に暴言を吐くだけじゃ飽き足らず、看板娘まで貶す。ずいぶんなめた真似をしてくれるじゃない。買い物に来たんじゃないなら帰りなさい。所属事務所にクレームを入れられる覚悟はできているのよね」
「私がいつ暴言を吐いたって言うの。この店の店長がひどい被害妄想を言うってSNSでつぶやいてもいいのよ。私、フォロワーが一万人いるんだから」
非を認めないばかりか、さりげない脅しもかけてくる。
それでも歩は怯まない。
「店内には監視カメラもついているから、あんたが店に入ってきたときから今この瞬間まで、ずっと音声付きの動画が記録されているの」
リナが慌てて店を見回し、カメラを見上げる様子もリアルタイムで監視カメラに映し出されている。
「SNSであんたの大好きなフォロワーの皆さんに判断してもらう? あんたのフォロワーには、少なくとも数名、アタシのような類いの人間もいると思うのだけれど」
ちらりとだけ見たリナの名刺には、各種SNSのアカウント名とQRコードが載っている。
歩にたたみかけられ、リナは分が悪いのは自分の方だとようやく悟った。
「アタシはこれでも世界を渡り歩いているからね。あんた程度の見た目の人間なら百万人は見ているわ。
若いうちはちやほやされるかもしれないけど、美貌だけを武器にしていると、それを失ったときあんたは存在価値が無くなるわよ」
「この私が、いくらでも替えのきく存在ですって?」
「引き立て役がいないと輝けないなら、あんたは偽物よ。本当に美しいものは引き立て役なんていらないし、添え物すら輝かせる。
それと、アリスちゃんはあんたが思うよりずっと気が利く良い子よ。無能なんかじゃない。自分の本当の価値を知らない原石」
思うところがあったのか、それとも悔しさからか。リナは唇をかみ、足早に店から出て行った。
店内が静かになり、数分後には蜻一おじいちゃんが顔を出した。
「おおい、アリスちゃんはいるかい。いつものをくれ」
「いらっしゃい蜻一おじいちゃん」
これでもう、リナはこの店に来ないはず。
きっと美人で妹想いの優しい女を売りにしているだろうから、事務所にクレームが入るのだけは避ける。
初田が歩にアリスを託した理由がよくわかった。
リナが何度来ても追い払う。
アリスを傷つけさせたりはしない。
歩は心に誓った。





