41 ジャバーウォックと不思議な店
初田はアリスとコウキをつれて、初田ハートクリニックの向かいにあるセレクトショップに向かった。
ショーウィンドウにアジアンテイストな民族衣装や雑貨が並び、くるみ割り人形やマトリョーシカも置いてある。
店主が旅先で気に入った物を仕入れているのだ。
玄関先に英語で【ワンダーウォーカー】と書かれた手作りの木製立て看板が置かれていて、扉にはOPENの札が下がっていた。
「よかった。今日はいるみたいだ」
「今日はって、どういうこと?」
「店主はたまに商品探しの旅に出るから、いないときは二週間くらい閉まっているんだ」
コウキの質問に答えながら、初田が扉を引くとお香の独特な香りが漂ってきた。
芳香剤ではなく、インドあたりで売られている香草で作られたもの。
スーパーなどではまず見かけることのない珍品の数々を目にして、コウキは興味津々で商品棚に張り付いている。
カウンターにいた長身細身の男は、初田に気づくと笑顔になった。
「いらっしゃい。初斗が来るなんて珍しいこともあるわね。どうしたのよ」
「歩。バイトが欲しいと言っていただろう。この子を雇ってくれ。ーーアリスさん。この人は蛇場見歩。わたしの旧友で、この店の店長だ」
歩は初田と同じ三十八歳。
瞳はカラーコンタクトで、右が青・左が紫になっている。
身にまとうのはチャイナ服。
ライトブルーに染められたロングヘアは、毛先に行くにつれ紫にグラデーションしている。右サイドの髪は青いエクステをつけていて、三つ編みになっている。
とても鮮やかで、例えるなら熱帯魚のよう。
初田に促され、アリスはガチガチに硬直しながら頭を下げる。
「はじめまして。有沢アリスです」
「アリスちゃんね。アタシは歩。名字で呼ぶのはやめてね。ダサくて嫌いなの」
「歩さん」
「それでいいわ。アリスちゃん、あんたレジ使ったことある?」
「いえ、働いたことなくて」
「じゃあ教えるから覚えなさい。週何日来れる? あんたが店番をしてくれれば、商品探しの旅をしている間も店を開けておけそうね」
もう採用が決まっているかのような流れに、アリスの目が点になった。
「え? あの、あたし履歴書持ってきてないし、バイトでも面接ってするもんじゃないんです? それに、いいんですか。腕の、傷が」
「いくらでも嘘を書き込める紙切れに何の意味があるのよ。アタシは、自分の目であんたという人間を見て、大丈夫そうだと思ったから店番を任せる話をしているの」
初田が変わり者だと言うだけはある。
面接に行ったなら、履歴書を見て中卒であることやバイト歴がないことを指摘してくる。
そしてアリスの腕の傷を見て採用をためらうだろう。
そういうものを一切見ないで雇うと即決した。
見た目だけでなく、心の在り方もあまりにも鮮烈。
アリスは脳内で情報の処理が追いつかなくなっている。
「初斗が連れてきたんなら大丈夫でしょ。それにアタシ、磨けば光る原石って大好きなの。時給は1100円で足りるかしら」
「そんなにもらっていいんですか」
このあたりの平均時給は、フルタイムパートでも900円。1000円以上出すなんて破格も破格だ。
「まずアタシと性格が合わないと働けないから妥当よ。それで、アリスちゃんは週何日来れる?」
「何日でも。ここから徒歩圏内だから、いつでも来れます」
「そう。それならまずは商品を一着あげるから、制服代わりに着てみなさい。こういう店は自分が宣伝塔になるのが一番手っ取り早いから」
「あたしが着るの? 売るだけでなくて?」
歩は服のコーナーに飾っていた藍色のアオザイと手袋をアリスに押しつけ、試着室の中に放り込む。
アリスの着替えが住むまでの間、歩はコウキにも声をかける。
「あんたもバイト希望?」
「いや、俺は初田先生についてきただけ。この店おもしろいね。この箱に書かれている文字英語じゃないし、面白い匂いがする」
「それはインドで買いつけてきたものよ。これは白檀こっちの箱はセージ。サンプルを出してあるから一個ずつ匂いを比べてみなさい」
「わ、おいしい匂いがする」
二人がわいわいと話している間、初田は静かに腕組みして待っていた。コウキが人と話せるようになってきていることが感慨深い。家に閉じ込められていた頃の陰鬱とした姿が嘘のようだ。
「着替え終わったよ……ねえ、歩さん。これ本当にもらっていいの?」
「あら似合うじゃないアリスちゃん! アタシの目に狂いはなかったわ! ほら、そうやって長袖を着て手袋をしてしまえば、手首なんて目立たないでしょ。あとこの髪飾りも使って髪を結べば、ほら完璧にうちの従業員よ」
店内に置いてある二メートルの姿見に全身を移して、アリスはそわそわしている。
「アリス似合うね。俺もお金貯めたらこういう服買ってみたい」
「あたしに気を使って、お世辞を言わなくていいんだよ?」
いつもリナと比較されて、ブス、みすぼらしいと言われてばかりだったから、アリスは顔の筋肉が引きつっている。
「良い人材を見つけてきてくれてありがとうね、初斗。あとでお茶を奢るわ」
「こちらこそ」
歩はアリスの事情を根掘り葉掘り聞いたりせず、そのまま受け入れてくれた。
高校生の頃から、歩は女性の心を持つ男というやつでクラスで浮いている存在だった。
いつも教室の隅で女性向けのファッション雑誌を読んでいて、自分が綺麗だと思う物に囲まれて生きたいと常々言っていた。
だからセレクトショップを開きたいという夢を後押ししたし、クリニックの向かいにあった空き店舗を借りてみたらどうかと勧めた。
歩なら、アリスの事情を知ってもまるごと受け入れてくれる。
ここできちんと働けるようになれば、アリスはもう実家に頼ることなく、自分の足で歩けるようになる。
それに、食事療法と心の治療を進めていけば、アリスは望む未来に向かえる。





