16 女王の裁判は終わる
「まさかお前、殺人犯の嘉神平也!? 殺さないでくれ!!」
秀樹は腰を抜かし、初田を見上げたまま玄関先にへたり込んでしまった。
初田は口を真一文字にする。
「違いますよ。わたしは初田初斗。嘉神平也は双子の兄です。一卵性双生児なので、両親以外はわたしたちを見分けられませんでしたが」
「そんな嘘、誰が信じると……」
歯をカタカタ言わせる秀樹に、初田は胸ポケットから一枚の写真を出して見せる。
中学入学式の立て看板の前に、学ランを着た少年が二人写っている。
嘉神平也と、鏡写しのような姿の少年。
違いがあるとしたら、左に立つ少年の口元にホクロがあることくらい。
目の前にいる初田がそうだ。
初田は写真の横に医師免許証を出して見せた。顔写真の横に初田初斗と記載されている。
「迷惑なんですよね。わたしは何もしていないのに、あなたみたいな人がいるから、わたしは素顔を晒して歩けない」
マスクをかぶり直して、初田は玄関に立つ礼美とコウキに目を向ける。
「信じる信じないはあなた達の自由です。ただ、わたしを嘉神平也だと思うなら、わたしの診察を受けないほうがいいでしょう」
猟奇殺人鬼の診察を受けたいなんて狂人はまずいない。
礼美は胸の前で手を握りしめ、秀樹と初田を交互に見て口を開いた。
「信じます。初田先生。あなたに、これからもコウキを任せます」
「正気か礼美!! 嘘に決まって……」
「私は先生の言葉は信じられても、貴方のことはもう信用できないわ。コウキにしたことを酷いと思わず、逃げようとするなんて」
息子だけでなく妻にまで見放され、秀樹は震えた。悲しみでなく怒りで。
これまで養ってやったのに、殺人犯かもしれない男の方を信じることをなじる。
「ふざけるな。オレでなくこんな変人を信じるだと!? オレがこの家の主だぞ!」
「なら、コウキと一緒に出ていきます。貴方がいたらコウキはもっと傷つく」
礼美は家の中に戻っていく。おそらく荷造りのために。
秀樹がその背を追おうとするのを、コウキが遮った。
表情を変えずゴルフクラブを振りかぶる。
「コウキくん。どうしても中村さんを球にしてクロッケーをしたいなら止めないですが、養育費を支払う人がいなくなってしまいますよ」
「どういうこと?」
「お母さんが中村さんと離婚したら、コウキくんはお母さんについていくでしょう。君が成人するまでの生活費を稼いでもらわないといけません」
離婚というワードが出て、秀樹は顔を真っ赤にしてわめく。
父親としては三流以下だが、プライドの高さだけは一流の男だ。
嫁に逃げられそうになっているなんて醜態、認められるわけがない。
「オレは離婚届にサインしない。出ていくなんて許さん。礼美がいないなら誰が洗濯や家事をするんだ。オレの食事は」
「コウキくんのことより自分の心配をするなんて、つくづく父親に向かない人間ですね、中村さんは。赤ちゃんじゃないんだから、自分の世話くらい自分でしなさい」
秀樹は、マスク越しでも初田から軽蔑の目を向けられているのを感じ取った。
慇懃無礼と言うのが適切だろう。
初田は常に丁寧な物言いだが、言葉の意味するところは“自己中心的で父親と呼ぶのもおこがましいクズ”だ。
「中村さん、離婚したくないならご自由に。ですが、わたしが止めなければ貴方は今ごろお星様だったことをお忘れなく」
コウキは秀樹を父と思っていないから、いつでも殺しにかかる。適切な精神治療を受けなければ必ずその日が来る。
そして礼美は秀樹を見限って、コウキを守ることを選んだ。
コウキの親権と養育権を、絶対秀樹には渡さない。
秀樹は二人と別々に暮らす以外の道は残されていない。
初田は家の奥に向かって呼びかける。
「お母さん。裁判になるならいつでも言ってくださいね。この人が電話してきたときの録音と、クリニックに乗り込んで来た日の防犯カメラ映像がとってありますので」
礼美は支度を整え、ボストンバッグとコウキの上着を抱えて戻ってきた。
「ありがとうございます、先生。あとでデータをお願いできますか」
「頼まれました。次からは通院になりますね。落ち着いたら予約の電話をしてください」
「はい。コウキ、行きましょう」
コウキはゴルフクラブを投げ捨て、礼美から受け取った紺色のダッフルコートに袖を通す。
「ま、まて、出ていくなんて許さ……」
礼美の足を掴もうとした手を、コウキが踏みつけた。虫けらを見るような目で秀樹を見やる。
もうコウキにとって、秀樹は虫以下の存在だった。
ふたりの姿が見えなくなってから、初田も立ち去る。
秀樹は初田を嘉神平也ではないかと疑っているから、追いかけられない。
夜道を歩きながら、初田は写真に写る兄に小言をいう。
「まったく。兄さんがさっさと捕まってくれないと、わたしはいつまでも帽子屋でいないといけないじゃないか」
殺人犯と間違われるのが嫌なら、マスクをかぶるのでなく整形すればいいじゃないかと言われることが多い。
初田としては、何も悪いことをしていないのに、顔を変えなければならない理由がわからない。
かと言って素顔を晒して歩くと平也と間違われて通報される。迷惑なことこの上ない。
兄が逮捕されるその日まで、初田はウサギマスクをかぶって生きる他なかった。
礼美がコウキの診療予約を入れてきたのは、十一月一週目。
クリニックの待合室に礼美とコウキが姿を見せた。
ネルは保険証と診察券を受け取って、笑顔で応じる。
「お待ちしておりました、珠妃コウキくん。お母さんも。先生がお待ちです。診察室へどうぞ」
平也と初田先生のイラストは三ツ葉きあさん画です。ありがとうございます。
次回中村コウキの場合最終話。
そして最終回の後日談を描いたショートストーリー「花と虫の天秤」へと続きます。
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