言葉にならなくても
騎士を倒してからかなりの時間が過ぎていた。あらんかぎりの力を振り絞り、森を駆け巡っているが『再生の果実』は見つからない。
既に息も絶え絶えで、心臓がバクバク言っている。一度休むべきだとわかっているが、焦りがそうさせてくれない。不注意から何かに足を引っ掛けて、受け身も取れず鼻から地面に倒れ込んだ。暖かいものが流れ出る感触がして、拭った手のひらにべっとりと血がついてしまった。あんまり関心もない。
すでに無数の傷を負っているのだ。斜面で転んで右肩を脱臼したし、蛇に噛まれた右足はだんだん感覚が失われている。体力も限界だ。鈍い頭痛が止まなくて、鐘になったみたいな心地がする。
わかっている。これ以上は不味い。死が決して遠くない位置にいる。すぐに森から出て家のお義父様に泣きつくべきだ。
...でも、その選択は狼を見捨てることと同義だ。それはあり得なかった。
アドレナリンを絞り尽くし、失神寸前の脳が不思議な気配を感じた。光を見つけた蛾のようによろめきながら走っていく。顔を上げる機能も忘れて、ただ地面を蹴って前を進むことだけに集中する。何度も体をぶつけ、ボロ雑巾のようになりながら、ついに気配の在処に倒れ込んだ。
やっと顔を上げて、視界に映ったのは先程の騎士、元の場所に戻ってきてしまっていた。気配の正体は大樹だったのだ。目の前に横たわる狼の息はますます小さくなっていて、視界と共に心の中に包まれていくのを感じた。
『おい。』
狼の命は今にも消えそうなのに、どうでもいい騎士はしぶとく生き残り、あまつさえ声をかけてくる。
「死体はとっとと消えろ―ッ!」
『俺ならあの狼を助けることができる。』
「なっ」
『だが、気にいらん。貴様は魔族だろう。あの悪辣で高慢な奴らが、何故他者……しかも犬ッコロのためにそう必死になる?何か特別な性質でも持っているのか?』
私は正直、答えに窮した。あの狼とは特別な絆なんて結ぶ余地がない。ただ数時間前に出会って、なぜかついてきた。クラスで会う名前もいまいち不確かな友達の方が、よっぽど強い関係だろう。
「分からない……。」
『はあ?』
「知らない知らない知るもんか!私は嬉しかった!利害じゃなくて!命をかけて助けてくれたんだ!それが嬉しかった!だから嫌だ!死んじゃいやだ!」
『お前、本当に見た目通りの年齢なのか?……呆れたよ。』
苦々しげな呟き。僅かに見えていた希望がまた遠ざかるのを感じた。
『再生の果実が実を結ぶには奇跡クラスの草魔法が必要だ。』
騎士が指を振ると、大樹から新しい枝が伸び、早送りムービーのように果実が形成された。理由はわからない、しかし意図はわかる。果実をもぎ取って狼の口に押し込む。
直後、狼が一際大きく吐血した。ダメージの現れではなく、気道に溜まった血を吐き出すだけの体力が戻ったのだ。続いて、患部が光に包まれる。なんで眩い治癒の光だ。
「なぜ……。」
『お前には呆れたが、気に入ったぞ。どんな幼稚な理屈でも、誰かを助けるために命を賭けるのはきっと尊いことだ……少なくとも俺にはできなかった。』
打って変わり、騎士は神妙な様子だった。少なくとも戦意は失ったようだ。
狼もそれを察してか、のんびりと伸びているる。尻尾の付け目をなぞるように掻いてやると、嬉しかったのかくるくる回りながら腰を押し付けてくる。ああ、全く元気そうだ。それを認識すると力が抜けた。今更に瞼が重い。
『ほら、お前も食べるべきだろう。ほっとけば死ぬぞ。』
「……そうだった。」
『自分のことだろうに。』
新たに枝が伸びてきて、成った果実に口をつけた。牙に果汁が触れると瞬間に眠気と疲れが吹っ飛び、噛み砕いている内にみるみる全身の傷が癒え、飲み込むと前々から気になっていた歯茎の痛みまで消えた。体が軽すぎて、立ち上がろうとしただけなのに4mも跳躍してしまった。あと三日三晩動けそうな絶好調だ。
『お前に倒されて、色々なことを思い出していた。私たちは魔王の病に侵され、この大樹にたどり着いた。そして、自分だけが助かるために殺し合ったのだ……。全く、愚かなことだ。このように。再生の果実はいくらでも手に入ると知らずにな。』
続けて指が振られると、さらに枝が伸びてきて、三つ目の果実が成る。
『お前は元々、誰かを治すために来たんだろう?』
「ええ、大切な人なんです。……ちなみに、もう少し出せたりします?」
『欲張ると碌なことにならんぞ。この大樹の由来は貴様も想像がつくだろう?』
「え、なんですか?」
『...フン。第一、依代を失ったからな。魔力がもう持たん。』
消えゆく魂はますます薄く、儚く見えた。彼が行き着く場所はあるのだろうか。
「差し引き、ありがとうございます。でいいのかな。」
『魔族からの感謝などいらん。俺は少し後悔しかけているぞ。その狼のために命を賭けたのには敬意を払うが、お前だって私利私欲のために人々を傷つけるのだろう。』
「まさか。私は強く優しくなれって言われてるんです。どっちもまだ遠いですけど。」
『……フン。』
それきり、騎士は完全に消えてしまった。最後の言葉がそうなのは少し惜しい。彼の残していった果実を抱える。これでお義父様を治せるね。
「それで……お前はついてくるの?」
もちろん、というように狼は鳴いた。もしかして龍の言語を理解しているのだろうか?
「よぉし、お義父様が起きるまでに帰るぞ!競争な!」
白み始めた空に向かって私たちは走り出した。
執筆に割く時間を増やすよりスピード自体を上げたいですわ




